徒花

2005/03/14



「んじゃ、コレ報告書。遅くなってゴメンさコムイ〜」
 そう言って、笑いながら三枚にまとめられた紙切れをひらりとデスクに置いた。言葉とは裏腹に、あまり反省はしていないように思える。
 そうは言ってもこの笑顔が彼の持ち味で処世術。それについてとやかく言う必要はない。
「はい、オツカレさん。ブックマンは?」
「ん? ジジィ? まだあっちで後処理してるさ〜。今回の任務で巻き込んじゃった【一般人】がいてさ〜。ちょっと治療しなきゃいかんらしいんさ」
 そう、と頷いて、ラビから提出された【イノセンスについての報告書】にちらりと目を通し、無造作に放った。整理するという概念が、この男にはないらしい。
「しばらくはゆっくりできるかな、ラビ。さっきまでちょっと頼みたい任務があったんだけど、別に空きがいたからね」
「そうなん? 別に良かったのにオレ。ヘタに休むより動いてた方がなまんねーし」
 任務が苦痛ではない、と言い切れる団員は多くない。大体において、任務は命の危険を伴うのが常だ。
 世界を救うためとは言え、まだ幾らも生きていない自分が、いつ死ぬかもわからない状況を、苦痛でないとは言い切れまい。


 だが、【何かをしていたい】というワガママな思いは切り捨てられず、動く。


「オレが役に立つんなら、行くよ」
「…明快でイイねラビは」
 それが生きてる証だから、といつか笑って言っていたのを、いまだ記憶している。
「でもま、任務ないんならマジメに修練しましょうかねー」
 頭の後ろで腕を組んで、ラビはコムイに背を向ける。
 コムイはその背中を笑って見送りかけ、だがためらいがちに呼び止めた。
「ん?」
「ちょっとね……頼まれてくれないかな?」
 悪いクセだと思った。この男は肝心な時にいつでも遠慮がち。
 エクソシストになり得なかった自分を悔やんでいるのか、哀れんでいるのか。
 ラビは気づかれないようにそっとため息をつき、コムイに向き直った。
「オレにできることなら?」
「キミにできなきゃ誰にもできないよ」
 不思議に思う。自分よりも能力が上のエクソシストがいないわけでもないのにと。


「神田くんを止めて」


 その音に、ひゅっと息を呑んだ。
 組んでいた腕が外れる。
「────…ユウ?」
 それは愛しい人の名前。
 何物にも変えがたくて、何者にも譲れないその人。
「なんかあったんさ!?」
 神田だって任務があったはずだ。確か新しく入ってきたヤツとコンビで行ったとか聞いた。他人とそりが合わない人間だというのは知っているが、また何かしでかしたのだろうか。
「全治五ヶ月だってさ」
 その言葉に、思わず掴みかかってしまったコムイの胸ぐらを解放する
。 神田が怪我をするのはままあることだ。今イチ彼はツメが甘い。心配ではあるが、そんなに驚くことではない。
「なんだ…それって一般人基準さ? ユウだったらそれくらい半日で」
「三日」
「三、…日?」
 責めるように見上げてくるコムイに、ラビは鸚鵡のように訊き返した。


 三日。


 常人では考えられない完治スピードだが、彼に関しては違う。
 遅い方、なのだ。


「また…遅くなったんか」
「…そうみたいだね」
 危険なカケだ。一歩間違えれば深い深い眠りについてしまう。
 それでも彼は、【生き】なきゃいけないのだと先を急ぐ。
「頼むよラビ。神田くんの無茶、止めて」
 イチバン近くにいるのはキミだろう、とコムイは縋るように眉を寄せた。
「彼を死なせるわけにはいかないんだ」
 珍しくラビの眉が寄せられていく。
 怒りからの行動なのか、葛藤からの行動なのか、判別できずにいるけれど。


「────できないさ、コムイ」


「ラビ」
「確かに死なせるわけにはいかんだろうさ〜。【大事なエクソシスト】だもんなぁー」
 含んだ言動に、コムイの眉間がわずかばかり深まった。
 教団にとってエクソシストは必要なものであり、決して失われてはいけないものだ。いや、この世界にとって、と言った方が正確だ。
 それゆえの束縛を、彼らがどう思っているのか、エクソシストでない自分には理解するまでに至れない。
「…怒るよ」
 だが死なせるわけにいかない、と言った思いは純粋なものだ。それを頭から否定させる、【稀少さと束縛】が疎ましかった。
「そんなに無茶させたくないんなら、なんで【あの人】いかせたんさ…!」
「ラビ」
 望んでいるものは、人それぞれ違う。


 神田の望むもの。
 コムイの望むもの。
 ラビの望むもの。
 そして、神田の【あの人】が望んでいたもの。


「オレはユウを止められない。止めない。失くしたくないんさ」
 俯いて、息を呑んで、ラビは顔を上げる。
「自分で何を言っているか、わかってるかい? ラビ」
 上げた顔は、いつものように透き通った笑顔だった。


「コムイ、オレね。目下ユウと恋愛中。惚れた人が正義なんさ」


 その情熱と純粋さに、コムイは目を細めた。
 そうだ、危険さは当人たちがイチバン良くわかっているのだろう。
「ユウがいなくなるから、コムイのその頼み、きけないさぁ〜」
 ごめんさ?と笑って、ラビは司令室を出て行ってしまう。
 コムイはひとつため息をついた。本棚の影からバツが悪そうに顔を出したリーバー・ウェンハムに。
「わかんないスね〜」
「盗み聞きとは感心できないねリーバーくん」
「室長たちの声がデカいんですよ。だけどラビのヤツ、神田を失くしたくないならどうして止めないんですかね」
 コムイはラビの消えたドアを見つめながら、ギシリと椅子の背にもたれた。
「魂のハナシをしてるんだよ」
 魂?とリーバーは訊き返す。ややあって、リーバーはそれを自らで理解した。
「肉体が死んだら元も子もないと思うんですがね」
「だけど今の無茶を止めたとしても、【神田ユウ】の魂が色を失くしてしまったら? ……切ないねぇ…なんで【あの人】いっちゃったのかなあ…。ホント徒花だよねぇ…」
「徒花?」
「…実を結ばないってコトさ」
 ふう、と息を吐き、コムイはリーバーを呼んだ。さっきの任務、誰に頼んだっけ、と。
「確かフレディでしたよね。どーかしたんすか」
「うーん、ちょっとね」
「ああ、わかりました。あんたの魂胆」
「ハハ、さすがリーバーくん。コレくらいはね、してやりたいもの」
 そう言って、コムイは笑いながら無線機に手を伸ばした────





 ジリリリリ
 ぴょこんと無線ゴーレムが飛び出してくる。帰還した途端なんだ、と神田は眉を寄せながらも応答する。
『ユーウ?』
「────ラビ?」
 てっきりコムイだろうと思っていただけに、通信の相手に神田は不覚にも驚いてしまう。
「何の用だ」
『相っ変わらず冷てぇなぁ、コイビトに対してぇ〜。今ドコ?』
 ため息交じりのラビの声。いつもと変わらないやり取りに、どこか気の緩んでしまう自分に腹が立った。
 もっと甘えて欲しいとも言われたことがあるけれど、具体的に何をどうしたら【甘え】られるのかすら理解できない。
 それを言ったら、不器用だと笑われたことを覚えている。
「本部。すぐ任務に出る」
『え〜マジで? ユウ最近任務多くね? で、今ドコよ。行くから』
「馬鹿か、すぐに任務だと言っているだろう。出発まで五分もないってのに」
 行くから、と言うことはラビもココにいるのだろう。任務中は連絡を取れる状態じゃなかったせいか、お互いに帰還がいつになるのか知れない。
 偶然にも今はふたりともが帰還しているらしいが、すれ違うことの方が多いのだ。
『ダイジョブだってー。五分もあれば名前呼んで抱きしめてキスができる』
「なっ…」
 恋人だと言う限り、自分だってそういう気持ちがないわけではない。
 だけど、そうやってあからさまに言葉にされるのはいつまで経っても慣れるものではなかった。
「馬鹿なコトを言うなっ…」
『馬鹿なコトじゃないさ〜。ちょっとの時間でも逢いたいと思わねぇ?』
 今の顔は絶対に見せられない。情けない顔をしているに違いないんだ。神田は吐く息を殺した。
「絶対来るな。来たら斬る」
『アッハ、それ無理〜』


 ふわり、と身体が後ろに揺らぐ。
 記憶してしまった体温が、背を支配した。


「もう、来ちゃったもん。ユウは目立つからすぐわかる」
 ふたつのゴーレムが、じゃれあうように飛び交っていた。
「オカエリ」
「……ああ」
 背中から抱きしめられるのがいちばん好きだった。遠のいていきそうな【自分】を押し留めてくれる。それを彼に言った記憶はないが、不思議と背後からのスキンシップが多いのは、気づかれているからなのだろうか。
「ユウ、今回三日もかかったんだって? ダイジョブ?」
「大した事じゃない。何日も寝ているわけにはいかないんだ」
 そっか、とラビが笑う。
 ラビは神田のすることを止めないでいる。その理由を問いかけて、喉が詰まった。
「ユウ」
 不意に呼ばれた音に。
「キスしてもい?」
 答える前に突然降って湧いた小さなキスに。
「……ラビ」
「オレね、ユウに名前呼ばれるのスゴク好きさ」
 もっと呼んで、とつつくようなキスをする。だけどその口唇は、僅かに。


 ひっそりと震えていた。


「ラビ、言いたいことがあるならはっきり言え」
 それが神田に伝わらないはずがなく、正面切って睨まれた。
 キレイな顔だと思ってラビはあからさまに苦笑い。
「アイシてるさ、ユウ」
「……そういうことじゃなくて」
「そろそろ出発?」
 濁したラビの声に、懐中時計を見直す。タイムリミットだ。神田は舌を打ち、眉を寄せた。
「行く」
「うん」
 踵を返しかけた神田を引き止め、ラビは口唇を塞ぐ。
「…、ん…っ」
 見送りのキスにしては激しく、別れのキスにしては心許なかった。
 口唇を離した後、ぎゅうと強く抱きしめあった。
 【名前呼んで抱きしめてキスができる】と言った言葉そのままに。
「────死ぬな」
「…了解した」
 名残惜しそうに身体を離し、ふわりと笑う。


 生きていける。


 じゃあ、また。
 言いかけて、呼び出す無線ゴーレムの音に邪魔された。
「あれ、オマエのだろ。ラビ」
「ん〜。任務かなあ」
 ゴーレムに応答するラビの声を、神田は背中で聞いた。


 生きていける。


「えっ、マジで!?」
 遠のく距離でも耳に入るようなラビの声。
 いつもながら騒がしい男だ、と神田はため息をつく。感傷に浸ることさえ邪魔をするのか。
「さんきゅーコムイ〜、愛してるさ〜」
 聞き捨てならないコトバが聞こえ、眉間にしわが寄る。早くこの場を離れてしまおうと、足を速めた。
「ユウ、待って待って」
 とたた、と追いかけてくるラビを、不思議そうに振り返る。
「なんだ。もう時間が」
「一緒の任務、だってさ」
 嬉しそうに追い越すラビを、一瞬後に振り向いた。
「ちょっと待て、今回はフレデリックだって聞いてるぞ」
「コムイが気ィ利かしてくれたんデショ? 一緒の任務、どれくらいぶり?」
 時間ないんだろ?と足早に歩き出すラビを追い、逸る鼓動を聞かれないように一歩後を歩く。
 確かに一緒に任務に就くのは久しぶり。コムイが気を利かせてくれたこともわかる。
「一年…くらい」
「楽しみさぁ〜」
「おい、不謹慎な事言うな。任務だぞ」
 それでも、一瞬でも【嬉しい】と思ってしまった自分に頭を抱えた。
「自分の感情に素直なだけだもんオレ。ユウの事好きで、大好きで、一緒にいたいんさ」
 すい、と手を差し出され、神田はためらいがちに右手を伸ばす。
 絡ませた指が、お互いを安堵させた。
「ユウ。花、咲いてるよな」
 みなまで言わずとも知れた。ラビが何を言いたがっているのか。


 生きていける。


「────ああ…そうだな、ラビ」


 たとえ実を、結ばなくても。