雨に霞むaffair

2005/03/30



 激しい雨が窓を叩く。もともと雨は好きじゃなかったが、それでも任務中に降らなかったことをよしとしよう。
 ガラスという障害物に当たって弾ける脆い軌道を視界から消し去りたくて、神田はシャッとカーテンを引いた。糸が切れたように、ばふんとベッドに寝転がる。だがココは、彼自身にあてがわれた部屋ではな
い。どだい、部屋の内装になど気にも留めない神田の部屋に、カーテンなんて気の利いたものがあるはずもなかったのだ。


「……馬鹿うさぎ…」


 先ほど任務を終えて帰還した自分と入れ違いに昨日、逢いたかった人はイノセンス回収の任務に出かけてしまった。それはもちろん彼のせいなどでなく、また指令を出す室長、コムイ・リーのせいでもない。
 そんなことはわかりきっているが、恨み言を吐かずにはおられなかった。
「…何日経つと思ってやがる……」
 逢えなく、なってから。
 自分たちはエクソシストで、それぞれ任務を執行することが当たり前で、すれ違ってしまうことも、まあザラで。
 そんな中、恋をした自分たちが愚かなのでしょうか。おお母なる神よ。
「ラビ……」
 神田はベッドに伏したまま、少ししわになったシーツをきゅうと握った。またメイキングせずに任務に就いたのだろう。
 恋人のにおいが残るそれに縋って、その日幾度目かのため息をついた。


 不意に。


 耳を支配するコール音。脱ぎ捨てたままの団服から、ぴゅんと飛び出す無線ゴーレム。個人の部屋に備え付けられた無線に応答しなかったから、コムイが察して移動用無線に入電したのだろう、と思った。
 面倒だと思いながらも起き上がり、パタパタとまとわりつくように飛び回るゴーレムに応答する。
『ユウ』
 この教団内…いや、世界中どこを探しても、自分を名前で呼ぶ人間はもう一人しかいない。神田は思わずゴーレムを振り向く。
「────ラビ?」
『ユウ、オマエ今どこにいんのさ? 帰還したって聞いたから部屋の方かけたのに。出ねーからさー』
 ゴーレム越しにとは言え、久方ぶりに耳に入れる、声。身体の奥のほうで熱を持ち始める想いに、歯止めはかけられなかった。
「…オマエの部屋だ。部屋の片付けくらいしてけよ。いつも言ってんだろ…」
 綻んでしまう頬を、彼以外、誰に見せたことがあるだろう?
『ちょっと急ぎだったんさー。もうちょっと余裕あったら、ユウに逢えたのに』
 ごめんさ?とノイズ混じりの低い声。何を謝る必要があるのだろう。イノセンスの回収には、一刻一秒を争う時だってあるのだから。
 だけどその言葉は【逢いたかった】という気持ちを切に表し、神田の身体に溶け込んだ。
「長くなりそうなのか? この雨、しばらく続くぞ」
 声を受け楽しそうに飛ぶゴーレムが、騒がしいあの男を思い起こさせる。神田は未だ激しい音を立てて世界を揺する雨の影に目をやった。
『んー、ちょっと長くなるかもさ。……通算56日目、かな』
 ため息の混じった声に、神田は何がと聞き返してしまう。少し考えればわかる答えだったのにもかかわらず。
『ユウに最後に逢ってから』
「…────そんなもんか?」
 ラビは【記憶】し【記録】することを得意とする。彼が言うのであれば、まずそれに間違いはないのだが、もっと長い間逢っていないように思うのは、逢いたいと望んでいるからだろうか。
『長い。ユウに触りたいさ〜……あ、いいコト思いついた。ユウ。ちょっと目ぇ閉じてみ?』
 そう思っているのは向こうも同じようで、無意識に安堵した。
「は?」


『キス、しよ』


 楽しそうな嬉しそうな声が、耳をすり抜ける。一瞬、自分のその耳を疑った。
「何言ってんだ…アタマ平気か?」
 キスということは互いの口唇を合わせることであって、お互いが目の前にいないと成し得ない行為である。
『本気本気。なんなら実況中継』
「ふざけんな」
 ため息交じりに返した声に、ふざけてない、と強く諌めるような音。この男にしては珍しい声音だった。
『ホントなら今すぐ飛んで帰ってユウにキスしたいところさ。ユウってキスする前、ホントに色っぽい顔する。見たい』
「ばっ、馬鹿言うな…っ」
『ホントだぜ? ギリギリまで目蓋伏せて、その奥の瞳に恥ずかしそうにオレのこと映してさ、ねだるように口唇を上げるンさ』
 飛び回るゴーレムの羽が頬をこすり、ラビの声が耳のすぐ傍を通る。
「んっ…」
 思わず上げてしまった声を高性能な無線ゴーレムが漏らすはずはなく、それはやはり向こう側にいるラビにまで届いてしまう。
『ほら…そーやって甘い声出してさ……オレが口唇舐めてやると少しだけ開いて…舌入れると苦しそうに逃げ回って』
「ラビ、よせ…っ」
 ラビの意図を汲むかのように、ゴーレムは神田の耳元ばかりをさえずるように飛び回る。耳元で聞こえるラビの声に、神田は肩を震わせた。
『オレはユウの舌追っかけて、やっと捕らえて抱きしめてやると安心したみたいに舌、絡め返してくれる』
「やめろって、言っ…てんだろ!」
 逢えない時間がそうさせるのか、思い起こされるキスの感覚。渇いた口唇が次第に濡れていき、角度を変えるたびに深くなっていく口づけは、想像するだけでも情をかき立てる。
『ユウは右の奥歯のあたり、弱いんさ。立て続けにそこ、攻めてやるとさ、膝ガクガク言わせてオレにしがみついて来る。ユウ、すげェ可愛い。サイコ』
「ふ…ざけんな…!」
 まるでラビの口唇が実際に触れているような感覚が、神田を容赦なく襲う。それほどに回数を重ねた口づけが、【距離】を超えてくる。
『ユウ…感じてる? オレとのキス、想像できてるんさ』
「バッ……感じてるわけね…!!」
『ごめ、ちょっとオレ、やばいンさ、ユウ』
 掠れたような声が耳に届く。上がったような息が、彼もまたその行為を想像していたのだと悟らせる。
『えっち、していい…?』
 そして、その先を求めている。神田は目を瞠った。ラビの任務地は聞いていないが、飛んでこれるような距離ではないだろう。実際そんな距離にでもいるのなら、這ってでも来いと言ってやりたいところだが。
「ワケのわからねェこと言うな! この状況でどーやってヤるってんだ!」
『できるよ。ユウ…ほら、ベルト外してさ』
 欲情したような声が、吐かれる息とともに耳に届く。神田は理解した。この状況で、どうやってセックスをするのか。
「てめ……ふざけんのも大概にしろよ!?」
 こともあろうに、ラビは。
 神田に、自分で、ヌけ、と。
『なんでさ。したことない? オレがいない時どーしてんのさ、ユウ』
「し、…してねェよそんなことっ!!」
 したコトがない、ワケではなかった。神田だって一応健全な男子である。どうしようもなくなった夜、一人でヌいたことくらいある。だがそれだって数えられる程度だ。
 ましてや、無線越しとは言え相手の前で、など。
『そうなん? オレなんかしょっちゅうユウでヌいてんのにさ。でもさ、想像はできるさ? さっきのキスみたいに』
 カアァと頬が上気する。感覚がまざまざと思い起こされ、思わずギリ、と口唇を噛んだ。
『ユウ…頼むって。もう想像だけでイくの、限度があるんさ。声、聞かせて…』
 耳元で、ゴーレム越しに囁かれる。その声から余裕のなさが伝わって、求められていることに安堵と、嬉しささえ感じてしまう。
『オレがいつもしてること、すればイイからさ…』
 奇しくも、ココはラビの部屋。声もにおいも、その男の存在を感じるには最適な場所。神田はチッと舌を打った。
「……かったよ…!」
『ユウ?』
「わかったっつってんだよ! そんなにヤりたきゃさっさとしやがれ!」
 この心臓の音は、きっと雨音がかき消してくれる。神田はギシリとベッドに座りなおした。
『うわ、ムードないさ〜』
「ハ、そんなんてめェでどうにかしやがれ」
『じゃあ…ユウ? 今シャツ着てる? だったらボタン外して』
 ラビの声色が急に変わる。セックスをするときの、試すような意地の悪い声。流されるかのように、神田はシャツのボタンに手をかけた。