初恋

2006/04/23



 別れた時は、お互いまだ子供だった。
 今だって大人と言えるほど生きてはいなかったけれど、身体だってまだ出来上がっていなかったし、エクソシストとしての技術や考え方だって、今よりずっと幼かった。
 そうだ、恋心に気づかないくらいに。



 幼なじみと言えるであろうアイツがブックマンと修行に出てから、多分もう五年か六年か経ってしまっているはずだ。あの頃はオレもまだ髪がここまで長くなかったし、六幻だって上手く扱えなかった。
 アイツが…ラビが修行に出てから、一年目は帰ってくるのを楽しみに待っていた気がする。二年目は、帰ってくるのかと不安でしょうがなかった。三年目には諦め始めて、四年目で一切を諦めた。
 俺とアイツの道が重なることはないのだと言い聞かせて、日々の任務に身を投じる。
 生きているのかどうかも怪しかったが、ブックマンがラビ以外の新しい後継者を迎えたとも聞かない。ラビはまだあの老人のもとにいるのだろう。
 生きているのならもうそれでいい。
 俺だって日々駆り出される任務で実際に忙しかったし、五年も六年も前に別れた親友のことなんか、考えてるヒマもない。
 そうだ、時折ふと思い出すくらいで。


「ユウ!」


 突然呼ばれた名前に顔を上げる。
 この教団に、俺を名前で呼ぶやつはもういないはずなんだ。それに、この声に聞き覚えは……いや、ないと言い切れない。どことなく聞き覚えがある…誰……
「────」
 顔を上げたそこに。
 任務で疲れて帰ってきて、目がおかしいのかと思った。そんなに大した任務じゃなかったけど、そうでも思わないと、この光景は納得できない。


「ユウ久しぶり! 元気だったさ!?」



 見覚えがある。
 見覚えがあるあの赤毛。


「ラ……ビ?」


 階段で立ち止まった俺の方に、いそいそと駆けてくる、アレは。
 夢かとも思ったけど、現実だった。
 すぐそこに、あの日別れた親友。
 アイツ、生きて。


 嘘だろ。
 嘘だろなんで今さら。


 心臓が跳ねる。カァッと体温が上がる。
 手を伸ばせばすぐ届く、そんな位置にいたけれど、顔なんか見ていられない。目なんか、とてもじゃねぇが合わせらんねぇ。
 信じらんねぇ。何だコレ。


「ユウ、髪が伸びたね」


 笑った顔に、一気に競りあがる感情。
 その感情に気づいて、もうその場にいられなくなった。口許を押さえてそいつに背を向けて、振り向かないまま走り出す。
「ユウ!?」
 俺を呼び止める声は聞こえたけれど、止まってなんかやれるか。頼むから追ってくんな。顔を見たら、黙ってなんかいられない。
 塔を飛び出して、広がる森を逃げ場にした。逃げたって何にもならねぇことはわかってるけど、あれ以上アイツの……ラビの傍になんかいられなかったんだ。
 心臓が波打ってんのがわかる。走ってるせいとかじゃなくて、大体そんなもんで不整脈起こすような鍛え方してねぇし。
 追ってくる気配がなくなって、俺はやっと立ち止まり、傍らの大樹にもたれた。
 たったこれだけの距離を走っただけで息が上がっている。心臓がドクドクと鳴っている。
 目を開けていても閉じていても、浮かぶのはさっきみたアイツの姿。
「……」
 背が高くなっていた。
 肩幅がひろくなっていた。
 筋肉だってあの頃よりずっとついてて。
 声が……低くなっていて。
 だけどあの笑った顔だけは変わっていない。あの時のままだ。
「ユウ!」
「!!」
 ため息をついた途端名を呼ばれ、驚いて振り返る。気配を殺すのも上手くなったのか。
 離れようとして、腕をつかまれできず。それでもせめてもの抵抗にと顔を逸らす。
 あの頃はこんなに背が高くなかった。
「なんで逃げるんさ! オレなんか悪いことした!?」
 あの頃はこんなに低い声じゃなかった。
「関係ねぇだろ、離せよ」
「いやさ。理由聞くまで離さねぇ」
 あの頃は、こんなに力強くなかった。
「もしかして怒ってるんさ? 一度も連絡しなかったから…」
「違う、違うから……頼む、離せ」
 勘のいいお前なら、わかるんじゃねぇのか。俺、絶対に今顔赤いだろ。
「理由を言ってよユウ、オレに悪いとこあんなら直すし、謝るさ。ねぇ、こっち向いてよユウ。六年ぶりなのに」
 心臓だって、こんなに。信じらんねぇちくしょう。顔なんか……見れるわけねぇ…っ!
「い、いいから離せっ! てめェは何も悪かねぇし、か、関係ねぇだろ!」
「関係なくない! 友達じゃねーんさ!?」
 バカヤロウ。信じらんねーどうすりゃいいんだこれ以上。
「り、理由聞いて困るのはてめぇの方なんだよ!」
 自分がいちばん信じらんねぇ。なんでだよ。なんでよりによって。
「別に困んねーさ! あ、でも【嫌い】とかだとちょっと困るさ」
「バカ、逆だ!」
 勢いで振り返って、口を出た言葉に、しまったと思った。
 言うつもりじゃなかった。どう考えてもおかしいだろ。
「え、逆って……ユウ?」
 まだわかんねーのかよこの鈍感…っ!
「お前が好きだっつってんだ!」
 投げやりな言い方だ、と自分でも思う。
 まぁ仕方ねぇけどな。言うつもりはなかったし、男同士でこんなこと……拒絶されるに決まってる。
「……だから、困るっつっただろ」
 惚けたようなヤツの顔にひとつため息をついて、緩んだ腕を振り払った。
 それで我に返ったのか、背を向けようとした俺を全力で引き止めてくる。
「ユウ今のマジ!?」
 両腕を掴まれて、グイと引き寄せられる。ちょ、待て近い近い近い…!
「ねぇ、今のマジ!?」
「な、何度も言わせんな! は、離れろてめ…っ」
「じゃあオレ、ユウのこと好きって言っていいんさ!?」


 …………は?


 今何つった、コイツ。
 す……好きとか…何とか……言ったか、今?
「ユウに好きって言っていい……!?」
 何。なんでコイツ、こんな泣きそうな顔……し…て────
「────!?」
「ユウ、好き」
 今、今、今…っ、くち、くくくくくくちびる……っ!
 口唇、当たった……!?
「ラビ、おま……ッ何考えて…!」
 今、キス、した? キスしたのか?
「……ユウの言ってくれた【好き】は、違うんさ? オレはユウのこと好きだから、キスしたいって思った」
 ちが、違わねぇけど、ちょっと待て……っ!
「抱きしめたいしキスしたいし、その先だってしたいんさ。離れてた間、ずっとユウに触りたいって」
 その先!?
「ま、待て、ててて、展開が速ぇ!!」
 思わずラビの口唇を両手で塞いだ。
 なんで、と手のひらの向こうからくぐもった声。
「お、俺はついさっき自覚したばっかなんだ! こんな、さ、触ってるだけで死ぬほど恥ずかしいんだよ!」
 まさか、ラビも俺を、なんて思ってもいなかったし、いやそれどころか自分の感情を自覚して抑えるだけで精一杯だったんだ。
「あ、そーなんか。じゃあ慣れるまでオレに触って」
「!」
 ラビが、口を塞いでいた俺の手を取って握り締める。そのまま指先に口づけられて、心臓が止まるかと思った。
「ユウ……逢いたかった」
「……っ」
「ずっと好きだったんさ。さっきユウに好きだって言われた時、もう死んでもいーやって思っちゃった」
 笑う顔が眩しい。感情が違うだけで、こんなにも印象が違うなんて、知らなかった。
 コイツに逢うまで、こんな感情知らなかった。
「ラビ……」
「ユウ、そんな可愛い声で呼ばないで。またキスしちゃいそうさ」
 こんなふうに、嬉しいと思う感情なんて知らなかった。
「……キ、キスだけなら…」
 こんなに触れたいと思う恋があるなんて、きっとずっと知らずに過ごしてた。
 口唇が震える。
 それを包んでくれる温かな感触が、ラビの口唇だと解かる。
「ユウ、ちょっと口唇開けて…」
「え、あっ…?」
 抱きしめてくる腕が力強く、吐息を感じる距離に心臓が高鳴った。
 口唇を舐められる。ビクリと震えている間に侵入されて、もう何かを考えている余裕なんてあるはずもない。
「ん! ん、んッ……う」
 解かるのは、こんなこと初めて経験する俺を気遣う余裕もなさそうに口づけるラビと、何がなんだかわからずに、ラビにしがみつくしかない俺がそこにいるということ。
「ん……ラビ…」
「ユウ、もっと…キス……」
 答える暇なんかない。口唇が食われてゆく。
 離れてた間の分、隙間を埋めるように。
 気づかなかった想いの分、溢れるくらいに。
 今離れたら、もうずっと逢えないとでも言うように。
「……ラビ……離すな…」
「…うん……」
 何度も、何度も口づけを交わした────。