降っても晴れても

2006/05/03



 雨が降ってきた、と最初に空を見上げたのは神田の方だった。
「あ、本当さね。どうりで肌寒いと思ったら」
 その声にラビもまた空を見上げる。僅かに白い息が、口を逃れて空気に解けた。
 そっちも降ってんのかと返ってきた声に、ラビはうんと頷いて、
「結構雨の粒がデカいさね。大降りになるんじゃないかなこの分だと。そっちはどう?」
 そう、パタパタと飛び回る無線に答えた。
『こちらもだな。やっと任務が終わったと思ったらこれだ』
 耳に懐かしい声が、ラビを安堵させる。何事もないような声音は、無事であることを知らせてくれた。
「任務終わったんか。お疲れ様」
 オレも今終わって帰るところだと、嬉しそうに口にした。
『次の任務は?』
「ん? まだ聞いてない。もしかしたら本部でゆっくりできるかもしれんさ」
 ユウは?と少し強く振り出した雨を踏み、無線の向こうの愛しい恋人に訊ねたら、自分も何も聞いていないと返ってきた。もしかしたら本当に、久しぶりにふたりでゆっくり過ごせるかも知れない。
 前回の任務が終わった時は、入れ違いに神田の方に任務が入ってしまった。
 その前は顔を見て二、三言葉を交わすだけだった。
 だけど今回は、タイミングさえ合えば、顔を見れる。アクマさえ現れなければ、ゆっくり時を過ごせる。
 共に夜を過ごせたらそれは幸せだろうけど、せめてあの身体を抱きしめるくらいはしてみたいと、ラビは口の端をあげた。
「あぁ、なんかもう、任務の疲れなんか吹っ飛んじゃったさ。もうすぐユウの顔見れるんさね」
『……はしゃぎ過ぎじゃねーのかお前。何がそんなに嬉しいんだか』
 向こうから呆れたような声。
 逢いたいと思っているのは自分の方だけなのだろうかと苦笑して、それでも言ってやった。
「そりゃ、嬉しいさ。大好きなユウに逢えるんだもん」
 任務で疲れて帰って来て、それでもいちばん大事な人に逢えるなんて、こんなに嬉しいことはない、と。
『バカ言ってんじゃねぇ! お前が帰還する頃には寝てるからな、起こすなよ』
 きっと無線の向こうの彼は、今頃顔が赤いんだろうなあと考えて、後少しになった階段を上る。
「え? 多分オレの方が早いよ? だって本部もう目の前だもん」
 水路をくぐって階段を上がれば、塔の中に繋がる扉が見えてくる。そうだ、後十数段上ったら。
『あ? オレももうすぐ中に……え?』
「え!? ちょ、ユウ今どこ!?」
 まさかと思った。確かに本部内へと繋がる扉はひとつじゃないし、自分も帰還ルートでいちばん近いこの階段を選んだだけだ。
『今西階段だ。もう中央階段に出る』
「……マジで!? オレ今東階段なんだけど」
『え…』
 ここを上がれば中央階段にさしかかる。思わず足が速まった。
 タタタ、と駆け上った先の踊り場で、足を止め。
「────ユウ」
 自分が上ってきた階段の反対側。そこに、惚けたような顔をした、愛しいひとを見つける。知らず頬が綻んだ。こんな表情は、神田でなければ知らないだろう。
「……チッ、任務で疲れて帰ってきて、いちばん最初に見んのがてめェのツラかよ」
 うんざりだ、とでも言うように息を吐き、神田は眉を寄せた。
「ヒドいさユウ〜」
 もっともそんなすげない対応、こっちはとっくに慣れっこで、ヘコませるためなら効果はない。
「おかえりユウ。逢えて嬉しい」
 踊り場でゆっくりとその身を包み、素直な体温を確かめる。
「……」
 こうして抱きしめてしまえば、神田が大人しくなるのは知っていた。
「怪我してないさ?」
「してねぇ。お前は」
 すっぽりと覆われた、腕の中で目を伏せる。本人は認めたくはないのだろうが、安心できる場所だからにに違いない。
「してないよ。なに、心配してくれてるんさ?」
「誰が」
 神田はぐいと腕を突っ張って、ラビの身体を押しやる。ちぇ、と寂しそうな顔をした彼には見向きもせずに、中央階段を上がった。こんな、いつ誰が来るとも解からない場所でのスキンシップは、正直とても有難くない。神田がそう思っているのは、ラビだってもちろん知っていたけれども、それを思い出すよりは、一刻も早く触れてみたかったのだ。
「おい、てめェも報告行くんだろうが。さっさと来いよ」
 そのまま動かなかったラビを、心配してか訝しんでか、神田が少し振り向いて呼んだ。それさえが嬉しくて、そんな自分に苦笑い階段を上る。
 離れていた間の寂しさなんて、その声と降りしきる雨が流してくれるだろう。



 一応の報告は済ませた。あとは文書にして提出すればいいだけだ。任務に出されるようになってもう何年経つだろうか。さすがにそんなものは慣れてしまって、日常化してしまった。
「書記官でもいればいいのに。倒したアクマの数なんて、もういちいち覚えてねーよ」
 廊下を歩きながらそう口にしたのは、言わずもがな神田の方で。
 彼はラビと違って記録することを得意としない。文書を書くのは苦手だと、口にしたのをいつだか聞いた。
「手伝おうか?」
「……結構だ。また何か変なコト要求されたんじゃ、たまったもんじゃねぇ」
 そんな彼にラビがこう提案すると、決まって返ってくる答えはこれだ。親切心ではあるのだけれども、いつだったか実際、見返りとして【変なコト】を要求してしまった事実がある以上、何も言えはしない。
「今回はちゃんと親切心なのになー。そういうこと言われると、余計に変なことしたくなるさ?」
「あぁ!?」
 くすりと笑って、怒ったような神田の腕をぐいと引っ張る。
 非常食の木箱が雑多に収容された狭い路地に引き込んで、虚勢を張る背中を押し付けた。
「おいっ」
 こんな狭いところでは密着せざるを得なくて、自然相手の体温と匂いがまざまざと感じられて、神田は内心焦る。久しぶりに逢ったのは事実だし、この男がスキンシップ過多なのも事実。
「ユウ」
「やめろ馬鹿ッ」
 近づく口唇は必死で押しのけられて、それでも触れたがったそれが距離を縮めてく。
「……キスだけ」
 鼻先が触れる。雨に濡れたせいかほんの少しいつもより冷たくて、思いのほか敏感になっていた。
 口唇には触れないように、ラビの口唇は神田の頬を滑る。しようと思えばすぐにでも奪えるはずなのに、ラビは神田の答えを待っている。自分が求めているように、相手にも求めて欲しいと、
「仕方……ねェな」
 キスだけだぞ、とお許しが出たのはそれから数秒後。許されてしまえば後はもう、一気に奪ってしまうのが、ラビのやり方。
「んぅっ……」
 細い腰を抱いて、濡れた舌を神田の口へと押し込める。油断していたのか待っていたのか、難なく入り込めたそこを思い切り舐って、食らう。
「ん、ん、ラビ、ッ……う」
 しがみつく指がビクリと跳ねた。神田が、自身が思うよりもっと遥かに、キスをすることが好きなのは知っている。絡め返してくる舌は、力強くて扇情的。まるで、仕掛けたはずのこちらの方こそ食われているような、妙な快感に流される。
「も、やめ……っ」
 人が来る、と自制心を楯にするが、腕はしっかりとしがみついていた。
「いやさ。ユウ可愛い」
「何を馬鹿なっ……ぁ」
 ラビの手は神田の身体を這い回る。ラインを確かめるような手のひらの軌道は、動悸を速めるには充分過ぎるくらいだった。
「やめね……ェかっ、ここをどこだと…ッ」
 自分の身体で壁に押し付けて、背を這い腹を這い、器用な指は団服の中へと入り込む。ラビ、と抗議で名を呼ぶ口唇を、キスで塞いだ。
「んん、んっ、う」
 思う存分味わって離せば、くたりと項垂れる愛しい恋人。自分もまた呼吸を弾ませ彼の頬を撫でると、ギラリと睨み上げられた。
 ああ綺麗だなぁと口の端を上げる。相当溺れているなんてこと、誰の目から見ても明らかで。
「キスだけだって……言っただろうが…!」
 むしろ気づいてくれないのは当人だけだ。そんな風に見上げてこられても、心臓が跳ねるだけ。それでもこれ以上怒らせたら、破局の危機…とまでは行かなくとも、しばらく口をきいてくれないかも知れない。
 ここは大人しくしておこう、と神田を抱きしめたまま、
「ダメ? どうしても?」
「ダメに決まってんだろ、離せ!」
 それでもわざと抱く腕を強めた。神田が力を込めても、振りほどけないくらいには。
「ユウがキスしてくれたら止めるさ」
「バッ……」
「してくれなきゃずっとこのまんまさ? ユウ」
 我ながら卑怯な条件を出したものだと思ったけれど、たまには向こうからの愛情を確認してみたい。自分だけの一方通行でないとは知っているけども、離れていた後はたまらなく不安になるものだ。
「〜〜〜〜、め、目ぇ閉じてろ!」
 キスをしてくれるくらいには、愛されているらしい。それとも、この状況から早く逃れたいだけだろうか。そんなこと思って苦笑して、見つからない答えにそっと目蓋を閉じる。
「……」
 目を閉じていても、神田が戸惑っているのは感じ取れた。ややあって、頬に添えられる細い指先。愛撫するように蠢き、やがて。


 ……ちゅっ…。


 頬に触れて、離れていく柔らかな口唇。
 虚をつかれて思わず目を瞠る。そこには、頬を上気させた神田の姿。視線が絡まって、彼は慌ててそれを逸らした。
「く、口唇に、なんて言ってねぇだろッ」
 まさかそうくるとは思わずに、こちらの方こそ照れくさい。
「馬鹿ユウ。今のめっちゃド真ん中」
「ハ!? ちょ、待て、おい」
 そんな可愛いことを、こんなふしだらな思いの時にしないでください、と幾分身勝手な感情を、指先に乗せてバックルを外す。
「ラビ!」
「ごめん一回だけ。声出すのヤなら、塞いでてあげるから」
 少し雨の匂いがする髪に鼻先をこすりつけて、くつろげた団服の中に指を滑り込ませた。恋する男の性急な仕種についていけず、神田の身体が戦慄く。
「ん! ……ん、や…っ」
 入り込んできた指に嬲られて息が詰まる。耳元で聞こえる荒い息遣いが、余裕の無さを伝え、懇願のようで抵抗さえ忘れた。
「う、あ…ッ……」
「ユウ」
 雨足が強まる外の世界。温度が下がる外の世界と裏腹に、熱を上げていくふたつの身体。
 逢えなかった時間を、流していってくれたらいい。
 それができなければ、降りしきる雨になりたい。
 空を舞って、身体に吸い付いて、この人を包みそうやって消えていくのも悪くないだろう。
「ユウ……」
「ん、ふっ、……ぅ、あ」
 侵食した自分を全部洗い流して、この人が幸せになれるように、祈りながら消えていくのも、悪くはないだろう。
「ユウ、もっと脚開いて……ん、そう…」
「ぁ、ラビ……ラビ、あぁッ」
 ラビを飲み込んで、背をしならせる神田。脚を抱え広げ、根元まで埋めるラビの欲望。吐き出す息が艶めいて、弱気を覆っていく。
「ユウん中……すげぇイイ……すぐ…イッちまいそうさ…ッ」
 ぐいと押し進めた腰が、神田の性感帯を刺激したようで、淫らな嬌声が上がった。それでも快楽に耐え、しがみついて彼が放った言葉は、


「オ…レをこんなんに……しといてッ……ひとりで…いくなよ、…ッかやろ……!」


「────」
 ラビの目を、瞠らせた。
 まいった。心の闇に気づかれている。
 神田は普段こんな風に快楽を乞うことなんてない。その彼がしがみついて、行くなと言ってくれた。愛してもらっていると感じるには、それで充分だ。
「……一緒で、いい…?」
 腰を止めて訊ねたラビに、神田はこくりと頷いて、
「ラビ、……キスを」
 誓いを乞う。ラビはゆっくりと口づけて、ふたりで吐息を分け合った。
「んっ、ん、んぁ、う」
 ねじ込んだ雄と、口内を舐る舌で、高みへと誘う。締め付けられて、痛みと快楽に眉を寄せた。
「ん、んん──ッ、ンッ」
「っつ……!」
 やがて訪れる絶頂に、ふたりで酔いしれる。
 土砂降りの雨の音を、快楽で遠のきそうな意識の中聴いた。
「ユウ、……ありがと、愛してるさ」
 抱きしめるこの腕を振り払われないうちは、この体温であなたを包もう。
 雨の日も、雪の日も。
 暖かい日も、寒い日も。
 春も、秋も。夏も、冬も。
 朝も夜も、ずっとずっと。
 降っても晴れても、この腕で────。