果てるまで微笑みを

2005/06/06



 なんでこんな時に任務なんかあるんさ
 そう叫んで部屋に走りこんできたのは、確か昨日のこと。
 任務は突然やってくるものだろう、学校じゃないんだからと説いたのも、確か昨日のこと。
 普段を見ている限りでは、しぶしぶ任務に就いている風ではなかったと思う。それがその日に限って、本当に恨めしく思っていたようなのだ。
 突然言い渡された任務と、それを言い渡したコムイ・リーを。



「今回はどこなんだ?」
 ベッドの上で六幻の手入れをしながら、ふてくされたラビに訊いてみた。ノックもせずに部屋に入り込んでくるのは、まあいつものことで。恋人同士という間柄のせいか、神田もそれに対して何かを言うつもりはなく。
「んー、ドイツで2件ほど」
「2件もか? 別の部隊組んだ方が」
「近場なんよ。それが」
 別部隊組む余裕なんて、今の教団にはないっしょ、とため息をつくラビに、まぁそれもそうだと神田は天井を見上げた。エクソシストは不足していて、イノセンスも全然集めきれてなくて、イノセンス回収の一報が入るとそれはもう、教団が揺れるほど歓声が上がる。
 任務がある、というだけでもありがたいことだったのだ。それは、必ず先へと繋がっているのだから。
「無茶すんなよ、ラビ?」
 だからこそ、ラビが任務に乗り気でない理由がどうしてもわからなかった。いつもであれば、それこそ率先して任務に就くこの男にして、
「行きたくねーさ…」
 この言葉。
 いったいなにがあったのかと心配にさえなってしまう。不審に思って身体ごと振り向くと、強い強い力で抱きしめられた。
「なっ…」
 付き合い始めてもう2年。だけどいきなりのスキンシップには今でも慣れなくて、身体中の細胞が騒ぎ出す。
「………」
「…、ラビ? どうし」
 神田を抱きしめたまま黙りこくったラビに、どう声をかけていいものかと思った矢先。
「よし、補充完了さ〜!」
「は?」
 グッと両肩を掴みバッと身体を離す。文字通り、突然に。さっきまでの消沈した声とは打って変わっていつも通りの。面食らう、というのはまさにこんな風なのだろうか。
「ユウ、オレもう出なきゃいけないんさ」
「あ、あぁ? おお」
 らしくなく外れた反応。実際ラビが何をしたいのかわからなくて、読み取れない自分が悔しくて、そんなことを思ってしまった自分に戸惑った。
「ユウ、オレさ、明日中には帰ってくるから。遅くなるかもだけど、絶対帰ってくるからさ。だから」
 正面から見つめられる。灰色がかった綺麗な緑に自分の姿が映っていて、なぜだか酷く安堵した。
「だから起きて待ってて」



 そう言って口唇に軽くキスをし、背を向けたのも確か。
「……おかしかったな、昨日は」
 神田はひとり、第3書庫室。陽当たり悪く他の書庫より若干狭いせいか、この書庫を好むものはあまりいない。実際神田だって、好んでこの書庫には来ない。というよりは、書庫自体あまり用がない。知識は必要だと思っても、古びた紙面に所狭しと並べられた文字を追うのはとても疲労する。
 それでもココに来るのは、恋人と呼んでいる存在が入り浸っている場所だから。
 呼び方が【キサマ】から【オマエ】に変わって、【ジュニア】から【ラビ】に変わるまでは、そう大して時間を要したとは思わない。
 同い年というオブラートに包まれて、同性同士という背徳は目に入らなかった。それを押しのけてでも、傍にいたいと思ってしまった。
「………」
 きっと想う力は自分の方が大きい。一方通行でないことはわかっていても、こんな風に離れていると、時おりアクマがやってくる。



 ────××してあげましょうか?


 ああそんなことできるはずもないのに
 共にいきたい
 道はないのに
 あの腕が欲しい
 繋がれているのに


 自分にあまり先がないことは解っている。神田はふ、と自嘲気味に息を吐いた。ラビが好んで読んでいる書物に自分はやはり入り込めなくて、手にしたそれをまた棚に押し戻す。
 不意に鳴る、無線ゴーレムの無粋な。この静かな書庫室にしてこの音は、あまりにも不釣合い。神田はチッと舌を打ちながら応答を返す。
「任務か?」
 ゴーレムに入電してくる人物はふたりしかいない。指令を言い渡す室長か、いちばん近しい人物か。そしてそれは私用で使うべきものではないがために、大抵、前者だった。
『そう。ごめんねこんな日に。司令室来てくれる神田くん?』
 いつもと変わらない言葉、変わらないやり取り。ただどこか、声が遠慮がちだっただけで。
「…わかった」
 不審に思いながらもそう答えを返し、神田は書庫室を後にした。





 言い渡された任務は断れない、のが哀しいところ。神田は任務を受け、軽く息を吐いた。コムイからは、割と近場なんだけれどと言いながらもチュニスでのアクマ討伐及びイノセンスの確認・回収を命じられ。
「ああ、お疲れ様神田くん。結構ギリギリだったね」
 任務を終えて戻ってきたのは、日付が変わる、少し前。
「ギリギリ?」
「ごめんねぇ、せめてこんな日くらいゆっくりさせてあげたかったんだけど」
 帰還中に仕上げた報告書を手渡す神田に、申し訳無さそうに息を吐くコムイ。コムイといいラビといい、今日は何かあったんだろうか。
 起きて待っていて欲しいと言われたにも関わらず、急な任務が入ってしまった。
 だがコムイがラビとの約束を知るはずはなく、自分に気を遣う必要はない。
「何、言ってんだ?」
 心の底からの疑問符を口に出すと、コムイの方が不思議そうな顔をした。
「…いいの? 神田くん。【今日】は後もう5分もないけれど」
「あ?」
「だって今日、誕生日じゃない」
「────」
 す、と息を呑んで、止めた。いや、飲んだ息が、止まった。ゆっくりと瞬いた瞳が、泳ぐ。
 チッと舌を打ち踵を返した時には、もう日付変更、3分手前。荒々しく閉ざされたドアに、おめでとうとコムイは小さく呟いた。




 自分の足がこんなに遅いと思ったのは初めてだ。教団の廊下にカツカツと鳴るブーツ。心臓の音と重なって、とんでもなく煩わしかった。
 日付変更あと2分。
 あと1分、せめてあと10秒。12時の鐘は鳴ってくれるな。
 せめて。せめてせめてあと少し。
「ラビ!!」
 向かったのは、自分の部屋だった。絶対そこにいると思った。だけど勢いのまま乱暴にドアを開けたことをここで後悔。
「……っ」
 その人は、眠っていた。
 ベッドサイドの机に突っ伏して、疲れた顔を晒していた。
「ラビ…」
 ドイツで2件、なんて任務を無理にこなして、こんな疲れた顔をしてまで、【今日】という日に帰ってきたがった理由を、気がつけなかった。
「…ラビ…」
 鳴り響く、24時の鐘の音。神田は口唇を噛み締めた。額に流れたオレンジの髪をふわりと掻く。そのかすかな変化に、ラビの身体が蠢いた。
「ん…」
 パッと引っ込めた手がいけなかったらしい。ことにエクソシストは気配に敏感だ。ラビがガバッと身体を起こした。
「え、あ、ユウ!? オカエ…っていうかオレもしかして寝てたさ!?」
 その反動でか、バサバサと数枚の紙が落ちる。何事か調べ物をしていたらしく、机には数冊の本と紙と、ペン。
「…ラビ」
「オカエリ。良かったさ、帰ってきてくれて。任務オツカレさま」
 にこりと笑うラビ。だけどもう、6月6日は過ぎてしまった。逢いたかった【今日】は【昨日】に変わって、意味なんて失くしてしまったのに。
 それでもその人は笑っていた。
「悪い……間に合わなかった…」
 俯いた神田にラビは首を傾げ、小さな置時計を覗き込んだ。長針は12を少し回り、6月7日を告げている。
「忘れてた……自分が生まれた日なんて…」
「大丈夫さ、ユウ」
 神田が俯いている理由を悟り、ラビはその置時計に手を伸ばした。
「…ほら」
 キリリ、と左にずれた長針が10を指す。それを神田から見えるようにコトリと置き、腰を抱いた。
「これでこの部屋だけ、まだ6月6日さ?」
「………バカだろ…」
「だってどうしてもユウに渡したいもの、あったんさ〜」
 はい、と無造作に渡された1枚の紙切れ。ふたつに折られたそれを、神田はただ見下ろす。
「ごめんさ、オレもついさっき帰ってきたばっかで。プレゼント買う余裕、なかった。明日一緒に街行こうさ?」
 ゆっくり、かさりと開いた紙切れ。そこにつづられた文字に、神田は瞠目した。
「なん……で」
「よ、読めるさ? 色んな文献引っ張り出してきたけど、難しかったさー」
 それは紛れもなく母国の。
 ああ何てことだ。顧みもしなかった母国語が、こんなにも。
「発音、違ってたらごめんさ」
 ラビは椅子に腰掛けたまま神田の左手を取り、薬指に口づけてこう言った。
「ユウ、えと…誕生日、オメデトウ。ダイスキ」
 カタコトながらも、紙につづられた言葉を、そのまま。
 神田の国の────言葉で。
「間違って…ないさ? ユウ」
 ココ最近書庫に入り浸っていたのはこのせいか。角ばった漢字と少し曲がったひらがなが心に沁みる。口唇が震え、歯がカタカタとぶつかった。
「ラビ……」
「ん?」
「…────抱きしめていいか」
 震えた声に、背中に腕を回すことで応えるラビ。導かれるように、神田は身体を動かし、ラビをぎゅうと抱きしめる。
「………っ」
 ラビ、と呼ぶ音は声にならない。ただ抱きしめる腕の強さで、心の底からのありがとうを。
「でもこれだけって情けないさ。ユウ、明日街に行こ。何が欲しいさ?」
「…いらねぇ」
 充分だ、という神田に、そういうわけにはいかないさ、と膨れるラビ。抱きしめてくぐもった声に、ふたりで口の端をあげた。
「願って叶うもんならな」
 身体を離し、神田はラビの左目に口づける。いつもいちばん最初に自分を映してくれる、灰緑の瞳に。
「ユウ?」
「…────オマエとの…続きが欲しい」
 保証のない明日。先の知れない命。深くなる想い。やるせなくて背を向ける。それを追ったラビが、ぎゅうと力強く抱きしめた。
「ユウ、来年はI Love Youを日本語で伝えるさ」
 もっと勉強するから、と笑うあなたが愛おしい。神田は少し振り向いて、
「それ、言うまで死ぬんじゃねーぞ、バカうさぎ」
「ユウこそ、ちゃんとオレに言わせてね?」
 一拍置いて、ふたりで笑う。
 合わさった口唇。12で合わさった時計の針たち。
 ふたりで、ベッドに倒れこんだ────