ひとつ。

2006/01/21



 きみとひとつになれたらいい。



 神田はふぅと息を吐いた。起き上がって、自分の心臓が正常に動いていることに安堵する。
「……」
 名を呼ばれるたびに、心臓が跳ねる。
 長い間付き合っているのに、それは今も変わらずに、どれだけこの男が好きなのだろうと神田は苦笑った。
「ん……ユウ? もう朝?」
 隣から眠そうな声が聞こえ、振り返る。白いシーツに鮮やかな、赤の強いオレンジ。
「悪い、起こしたか?」
 まだ起きる時間ではない、と言ってやり、案外に柔らかい髪を梳いた。気持ちよさそうに目を閉じる男が、子供のように思えてしまう。
「どうしたんさ。眠れない?」
「いや、眠った」
 どんだけ眠ったんさ、とラビは傍らの時計を覗く。身体を解放してから、まだ二時間ほどしか経っていない。確かに先に意識を手放したのは神田の方だったが。
「ちゃんと眠らないと、ユウ。この間みたいに、鍛錬中に倒れるなんて心臓に悪いこと、しないでほしいさ?」
 神田は言葉に詰まる。真実なだけに、反論はできなかった。
 起き上がった腕をぐいと引かれて、身体がベッドに沈んでいく。どれだけか予想していたせいか、驚くことはなかったけれど。
「オレの隣じゃ、眠れない? 今敵さんが来たってユウを守ってまた何もなかったようにベッドに入るくらい、できるのに」
 だからちゃんと安心して眠っててほしいさ、と冗談めかして頭を撫でる。指に僅かに絡む髪が、ラビはとても好きだった。
「バカ、てめぇが、寝かせてくれん張本人じゃねーか。また無茶なことしやがって」
 ため息をつきながら胸の上に頬をすり寄せる。触り心地の良い肌は、神田の好きなもののうちのひとつで。
「あ〜ごめんさ。ちょっと久々で」
「…三日前にも、同じこと言ったな」
 そうだっけ、と笑うラビを見上げて気づく。
「うーそ」
 顎を乗せた、胸の上の神田を見下ろして気づく。


 どの角度から見ても端正な顔立ちだと、思って胸が高鳴った。


「忘れてないよ。ユウを抱いたこと、忘れるわけないさ」
「……調子のいい」
 照れくさくて顔を逸らしたら、ぎゅうと強く抱きしめられた。心臓が跳ねたことに気づかれただろうかと息を止める。
「ホントさ。どんな風に抱いたか、イチから言ってあげようか」
 神田の身体が少し強張ったことに気がついて、ラビは苦笑する。何も言わずに行為を求めたときは、決まって彼の身体が硬くなるんだ。今日も、そうだった。
「ユウの口唇にキスしてさ、中入ったらユウ、オレが何したいのか気づいて、ビクッて息を止めた」
「バ、バカよせ…っ」
 神田はガバッと身体を起こす。顔がみるみる赤くなっていくのが解かって、いたたまれない。そしてそれに気づいてる風なラビが、とても気に食わなかった。
「キスしたままシャツの裾から手ェ入れて、胸触ったら気持ちよさそうに震えてたさね」
「黙れバカ兎…!」
 完全に起き上がってしまった神田を追って、ラビも身体を起こす。【気持ちよさそうだった】ことに否定はしないんだなぁと密かに笑う。
「ユウ、好き」
 抱きしめたら、また身体が強張った。
 こんな言葉、何度も何度も囁いているのにまだ慣れていないんだろうか?
「……そんな、何度も言わなくても、知ってる」
 顔を俯けて、神田は呟く。こんな身体を繋げる関係になる前にも、何度も何度も言われたことがある。それこそ、数えてなんかいられないくらいにだ。
「うん、でも。何度言っても、オレは足りないんさ」
 俯いた神田の顎を取り、上向かせる。そのまま降りた口唇を、抵抗なく受け入れてくれた。
「時々、この身体さえ煩わしく思うよ」
「……ラビ…?」
 苦笑したラビを不思議に思って、囁くように名を呼んだら、とても強く抱きしめられた。
「ラビ」
 苦しい、と声を出してしまいたかったけど、それ以上に戸惑って、どうしたんだと呟くことしかできなかった。
「こうやってユウを抱きしめてても、やっぱオレとユウは別々の生き物で、仕方ないんだけどさ。それが、少し寂しい」
 鎖骨に当たる吐息が、思いのほか乾いていて、耳に入るラビの声も次第に弱まっていく。
「ユウはあったかいなぁとか、普通に思うんだけどさ。どんだけユウを抱いてても、ひとつになれないんさ。ひとつだったら、離れる心配もないのに」
「ラビ、おい」
 揺らぐ、視界。気がつけば背中にベッドを感じていた。抵抗らしい抵抗は見せなかったけれど、ラビがその先に進む気配は見られない。
 こんな風に抱きしめられたことは、果たして何度かあっただろうか。壊れ物にでも触るように髪を撫でられ、そのくせ壊れるかと思うほど強く抱かれる。
「ラビ」


「ごめん。ごめんユウ。ちょっと、なんか、辛い」


 何が、と訊かれても、ラビは答えられる気がしなかった。自分でもその答えが分からない。ただ無性に心臓が痛んで、こんなに近くにいるのに、腕の中の人は別の存在で、とてもじゃないが自分だけのものだなどとは言えやしない。
 朝になったらまた新しい任務に就かなくてはいけなくて、離れ離れになってしまう。やっとのことで身体をつなげたのに、戦いに引き裂かれる。


「………じゃあ、やめるか…?」


 耳に、神田の静かな声が入ってくる。思わず身体を起こして見下ろした。
「辛いなら、やめようぜ。今ならまだ、傷も浅いだろ? 人生のうちの、何分の一かを一緒にいたに過ぎねぇんだ」
 見上げてくる神田の瞳はまっすぐで、本気なんだとわかる。ラビは青ざめた。文字通り、血の気が引いてしまう。
「やっ……やだ、ユウごめん、ごめん今のナシ、やだ…絶対やだ」
 ぎゅうと神田を抱きしめ直して、ようやく気づく。神田が震えていたことに。
「ごめんウソ、辛いなんてウソだから、ユウ、ほんとごめん、やめるなんて言わないで」
 バカか、とラビは心で思う。
 神田はちゃんとここにいてくれるのに。
 一方的に想っていただけの時期を思えば、それだって幸福で幸福で仕方がないはずなのに。
「好き……」
 神田の震えが納まっていく。
「好きさユウ……」
「…うそつき…」
 ぼそり。囁かれる言葉。ラビは顔を上げて、
「なんで!? オレほんとにユウのこと…っ」
「違う、それじゃなくて。……辛くない、はずないだろ」
 心臓が鳴った。見透かされている様で心もとない。
「ここ、一応カトリックだぞ? こんな、人目忍んで身体繋げて、いつも一緒にいられるわけでもねぇし、思ってるコトなんか、全然伝わらねぇし」
「ユウ……?」
 声が掠れる。
 お互いのことは解かっているつもりだった。小さなときから一緒にいたせいで、なんでも解かると思ってしまった。
 実際、そんなことできずに。


「………俺が、どれだけお前を想ってるかなんて、全然伝わらない」


 名を呼ばれることが好きだと、告げたことがあった。それに彼は嬉しそうに笑っているだけだったが、もしかしたら少しも伝わっていなかったかも知れない。
 言葉にすることはやはり苦手だったし、こんな時はお互いがひとつであればいいなんて、思ったことだって確かにある。
 伝えようとして、伝わらなくて、抱きしめることで幾度かやり過ごしてきた。
「お前ひとりが、恋しているなんて思うな」
 バカヤロウ、と弱くなる声を口唇で吸い取って、ラビは神田を強く強く抱きしめた。
「……ホント、大バカ野郎さ、オレ」
 好きだ、と告げたのは自分の方。受け入れてくれたのは神田。自分の想いばかりが大きいと、いつでも思ってきた。そうでもしないと大きすぎるこの想いは、いつか弾けてしまうと。
「ユウ、好き。愛してる」
 囁いて、何度も何度もキスをした。身体中にキスをした。
 口唇を覆ったらとても強く抱きしめられて、たまらなく愛しく思う。
「ひとつじゃなくても…いっか……?」
「……いいんじゃねぇの…」
 そうだ、こうしてあなたを抱きしめられるなら────