ホーリィ・グレイ

2005/08/13


 

 雨は嫌いさ、と隣の男が呟いた。
「どうしてだ?」
 珍しいと思った。
 良くも悪くも、大概をなあなあで済ませてしまえるようなこの男の口からは、嫌いという単語をあまり聞いたことがない。
「だってせっかくユウと出かけようと思ってたのに。こんな雨じゃ、ドコへも行けないさ」
 頬をぷぅと膨らませるラビが、子供みたいだと思って、ユウは苦笑を漏らした。
「雨だって構わないだろ」
「でも傘を差しても、その身体全部を守ることはできないさ。ユウが雨に濡れるのはイヤ」
 ああ、だからか。とユウは思う。
 だからこのバルコニーで、さっき雨が降り出した時から、雨から守るように抱いているのかと。
 書庫の外には必ず気晴らし用の解放空間が備え付けられている。分厚い蔵書を読んでばかりいたら気が滅入るだろう、との教団側の配慮だろうが、そもそも書庫を使う人物などたかが知れていた。
資料集めをする科学班か、情報を必要とする生業の者か。そして、それは常を伴うものではない。
 石造りのバルコニーが、閉鎖的な教団からの解放区。このバルコニーから見る景色は、教団に生い茂る木々と、遠くの、ずっとずっと遠くの、名前も知らない街。影だけで、最初はそれがなんなのかさっぱり分からなかった。
 ここは、結界内の孤立した城。
 そんなバルコニーから見下ろす遠くの街は、幻のようだ。
「オレは結構好きだけどな、雨」
「マジで〜? 変わってるさ、ユウ」
 心底不思議がったラビの言葉に、ホラと顎をしゃくった。
「ここから見える景色が、雨の日は変わる」
 ユウの視線の先は、果てのない雨霞み。木々も遠く小さな町も、全てが白くけぶる。
 頼りなくて、途方もなくて、いつもとは世界が変わる。
 不確かで、素っ気無くて、本当にココが【現実】なのかと疑ってみたりした。
「遠くまで、白く霞んでるさ。見づらいよ…」
「霞んでいるから、いいんだよ」
 自分たちには守るものがはっきりしない。
 世界のためだなんて、重すぎてとても言えない。
 世界中の人間のためだなんて、怖すぎて言えない。
 言い切るには、どちらもが自分たちに対して薄情だ。返ってこない情を振り撒き続けられるほど、デカい人間でもなかった。


 何を守って、何を望んで、何処に向かえばいいのか。


 自分たちに向かって来るものを敵と見なし、アクマもそうでないものも『破壊』してきた。
 自分たちは破壊者で、罪人で、だからきっと、世界は受け入れてくれないのだろう。
 ココでしか生きていけない。異種を蔑む感情は、外の世界より随分少ない。団員たちが、この黒い教団をホームと呼んでいるのも頷ける。
「そんな現実も、過去も未来も罪も、何もかもが、霞んで、煙って、雨に流れてく」
 遠くを見つめるようなユウを不安がり、抱きしめるラビの腕が強くなる。
「雨の日にここから外を眺めると、自分で不安になるくらい、何もかも忘れてひとりになれる。心地良いな、正直、その感覚は。このままずっと、ここで」
「駄目さ、ユウ!」


 言い終わるか終わらないかの内に、ラビが声を張り上げる。
 背後から抱かれるこの姿勢では、彼がどんな顔をしているのかまったく分からない。だけど相当、必死なのだろうとその声から窺い知れる。


「ひとりでなんかいかせない。絶対ダメ。マジ無理」
 珍しく途切れ途切れの言葉に、くすぐったささえ感じてしまう。
 ラビはユウをぎゅうと抱きしめ、首筋に痕を残し、熱を伝えた。
「オレがここにいる。ここにいてユウを抱いてる。ユウ、お願いさ…」
 震えた声が身体をすり抜ける。


「こんなに近くにいるのに、オレを置いていかないで」


 お願い、と弱る声。伝わる体温。ユウは力を抜き、素直にラビに身体を預けた。
 お互いこの体温を知ったのは、何年か昔。遠い遠い昔だったと言えばいいのか、もしかしたらずっと最近だったと言えばいいのか。
 ただはっきりしているのは、顔も思い出せなくなった、両親と呼んだ人たちよりも、ずっとずっと温かい、ということ。
 遠く離れた、もう逢えないあの人たちは、【体温】という感覚を教えてくれた。
 今いちばん近くにいるこの人は、【体温】という愛しさをくれた。
「…最後まで、聞け、馬鹿」
「ユウちゃん…?」
 染み込むような体温に安堵し、ユウは顔を傾け頬を擦り寄せる。
「オマエはそうやってオレの目を塞いでくれる」
 ひとりだと思ってしまう不確かさを、その温もりで払拭してくれる。
「オマエの腕は温かい。だから」


 だから、好きなんだ。


 ユウはゆっくりと目を閉じた。
「ユウ…」
「オマエと感じる雨は好きだ」
 雨の冷たさが、体温をより差別化してくれる。
 ラビの腕が更に、強くなる。余るほどだった腕が、ユウの身体にしっかりと巻き付いた。
「ラビ、ここでオレを抱いていろ」
 ずっと、ずっと。
 あなたが雨を好きになるくらい。
「オレと一緒にいないときの雨は、嫌い?」
 どれだけかの確信を込めて、ラビはユウの腰を抱きくるりと向きを変えさせる。背中にあった体温は、重なった胸に。
「短絡的な男だな、相変わらず」
 好きの反対は嫌い。曖昧な感情が二分化できるはずもないのに、どうしてもそれを区別したがる。
「ホメてないよね、それね、多分。酷いさユウ〜。オレのコト、嫌い?」
 ほぼ100%に近い確信が、大手を振った。


「嫌い」

 ねぇほら。

「ウソツキ」
 嫌いと呟きながら目を閉じて、そうやってキスをねだるのは、あなたの悪いクセ。


 ちゅ、と柔らかく啄ばんでは、抱く腕を強めた。
 抱き寄せる勢いで深くなってゆく口づけに、降る雨が嫉妬する。激しさを増した天からの水分が、ふたりの身体を濡らした。
「ん、ん、ん…っ」
 それにすら気づかないで、吐息を貪る。キスなんて、慣れたはずなのにこんなにも。
 こんなにも欲しいと思う。
 髪に指を梳き入れ、軌道を無視して、引き寄せる。
 お互い欲しがりすぎて、一瞬ココがどこなのかさえ忘れそうな気がした。
「ん、ぅ…」
 濡れた髪が指に絡みつくたびに、そういえば雨が降っていたんだと思い出す。口唇の隙間から入り込む雨の雫を一緒に飲み込んで、舌を目一杯、絡める。
 ユウの顎に添えた右手を動かし、その片手でシャツのボタンをピッと弾いた。
「バカッ、こんなとこでサカん…っぅ」
 驚いたユウが思わず口唇を離しても、その後をラビは追う。
 口唇を吸い、舌で追い詰める。まさに、奪うように。
「ん、っふ……んぁ…う」
 まさかと頭を振った。
 自分はそんなつもりで【抱いていろ】と言ったのではない。
 だけど口唇が求めてしまう。熱を追ってしまう。
「んぁ…ラ、ビ…」
「ユウ…」
 唾液の流れた口の端を、顎を、首筋を、ラビの舌が通り過ぎる。
 いったいどれだけ、この人に溺れているのだろう。
「…したい…」
 飾り立てる様子のないラビの告白も、だいぶ慣れてきた。
 飾らない言葉に溺れるユウの弱さも、大方知れてきた。
 ここまでしておいて、今さら止められるくらいの衝動ならば、初めからしなければいい。
 求めずにいられるほど子供でもなかったし、この衝動を止められるほど大人でもなかった。
 ユウ、とねだる声が肌を撫で、選択肢が三つしかないことに苦笑する。


   このまま大人しく抱かれるか、
   抵抗しながら抱かれるか、
   いっそ積極的に抱かれるか。


「…ラビ」
 バルコニーの冷たい手すりにもたれ手をつき、少し距離を置いてみる。
 そうしてみても心だけは見事に繋がったままで、その距離が物寂しい。
「こっから落としやがったら、殺すぞ」
 挑発するようなユウの笑い顔が、ラビの堰を切り、
「離したり、しねぇさ」
 一気に奪われる、濡れた魂。
 吸いつく、欲情した口唇。開け放たれた鎖骨に、淫らな痕を残し雨に滑る。
 雫に濡れたシャツが、身体に張り付いて鬱陶しい。
 それを知ってか知らずか、ラビはわざわざ服の上から撫で回し、曖昧な快楽を与えた。
「…っふ・・・」
 冷たい雨と手のひらの体温が、ちぐはぐ過ぎてよけいに感覚を研ぎすまさせる。
「あっ…」
 口唇は首筋を這い、腰を抱いた手はシャツの中に滑り込む。ようやっと与えられた直接的な愛撫に、ユウは息を飲んだ。
 それを合図に、ラビの口唇がどんどん降りていく。
 鎖骨に、胸に、きつく口づけながら、ユウと何度も名を呼んだ。色づきだした突起をシャツでこすり、胸に流れる雨を舌で舐め上げる。
「ん、あ、あ」
 相当気持ちいいのか、ユウからは途切れ途切れの喘ぎ声。
「すげぇさ、ユウ。いつもよりエッチな顔してる」
「てめ…に、言われたく、ねっ…」
「なに? いつもよりスゴい?」
 言いながら胸の突起を含むと、ユウが息を呑んだのが手に取るように分かる。
 舌で包み、押しつぶし、いじり回す。ユウにはその感覚が恐ろしくて、右手で口を覆った。
「ん、ん、んう…っあ」
 それでも漏れてしまう声を、きっとラビは嬉しがっているんだろう、と男
の肩に爪を立て、せめて抵抗してみせたが。


「情熱的だな、ユウ」


 ああ無駄でした。
 わかっていたはずなのに。
 この男は自分の行動すべてを情熱へのベクトルに変えてしまう。
 にこりと笑って、ちゅうと腹に口づけるラビが、タチの悪い獣に見えた。
 腰を抱かれ、濡れた身体を舐めあげられ、思わず背がのけぞった。
 無防備になった下半身は、いわば必然的。ラビは雨に濡れたバルコニーにひざまづき、慣れた手つきで目の前にあるバックルを外す。気づいたユウがいやだと首を振ったが、そんな小さな抵抗じゃ離してやれない。
 ジィとジッパーを引き下ろし、探り出したそれを、前触れもなく口に咥えた。
「あぅ…っ」
 いきなり与えられた衝撃に、喉さえもが驚いて、声をひきつらせ。
「ば、か、…やろっ、てめ…!」
 温かな口内がユウを惑わせる。根本まで口唇と手指ででしごかれ、言いようのない快感が頭をもたぐ。
「あぅっ、あ…、っ、んんぅ」
 這い上がってくる快楽を、必死に散らそうとラビの髪を掴み引き剥がそうとするも、それは全くの逆効果で、もういっそ縋るようにしがみつけ、とラビは先端を舌で刺激した。
「っひ……!」
 あっけなく達し、ラビの口の中に放たれる欲望。いつものごとく飲み干されるそれに、カァと頬が上気する。羞恥はいつも隣り合わせでユウを襲う。それを知っていてなのか、ラビはユウの下肢を隠すそれをを一気に引き下ろした。
「ラ、ラビ…っ」
「今更、待ったはナシさ?」
 にこりと笑って向きを転換させる。ユウは突然の変化についていけず、思わず手摺りに縋った。
「おいっ、何…」
「だってちゃんと慣らさないと、キツいでしょ?」
 形のいい尻を包み、体液と雨で濡れた指で、その周りを撫で回す。じれったい快感が、ユウの背を電流となって駆け巡り。
「や…っいや…だ、ラ、ビ…っ」
「ん、ああ、ごめんさユウ。…ちゃんとしてあげるから」
 カァッと身体が熱くなった。まるで自分だけが求めているとでも言われたようで、瞳の端から水分が流れる。
「ホントならすぐにでもユウん中入りたいンだけどさ……ユウに痛い思いさせんの、やだもんね」
 それを、払拭してくれる愛しい人よ。きっとそれは無意識下で放たれる愛情で、ユウを何よりも安堵させる。
「ひぅっ…ア!」
 だけど次の瞬間、目を見開いて声を上げた。
 円を描くように濡らし、入り口をつついて、ぴちゃり、と入り込んできたのは温かな────舌。
「ラ、ラビ…何してん…っぁ」
 いつもとは違う感覚にユウが慄く。だって、そうだ、いつもは。濡らした指で目一杯かき回して、指じゃもう足りない、と思ったところをメチャクチャに突き上げてくるはずだ。
「ん、な、とこっ……や、あぁっ」
「気持ちよくない? ユウ」
 そんな行為をしながらでは喋りにくいだろうに、ラビは楽しそうに言葉を奏でる。これ以上ない、というほどに身体が熱を上げた。
「よく、ね…っ」
「ユウちゃんのウソ、今日二回目さ」
「んんっ!」
 たっぷりと流し込んだ唾液のすべりを借りて、二本の指でこじ開ける。ビクリと背をしならせたユウが愛しくて、ラビは指と舌とで、目一杯そこを責めてやった。
「ん、く、…っあ、ああっ」
 迫り来る快楽と、激しさを増した雨が背を打ち、ユウはいやだと首を振る。ラビの片手はユウの濡れた内腿を滑り、愛撫しながらゆっくりと降りていく。
 ブーツの金具を外しジッパーを引き下げ、絡まる黒衣ごと片足を引き抜く。ああ、さすがに手馴れたものだと思ってしまえる。
 こんな行為を客観的に見られれば、の話だが。
「ン…っふぁ……っ」
 ちゅぷりちゅぷりと侵食されていく内部に、ユウの脚がガクガクと揺れる。
 ラビの与えてくる快感は、いつでもユウの誓いを崩させる。


 もうニ度と、心を奪われまいと、あの日誓ったはずだった。
 好きだと告げて、翌日にブックマンと修行の旅に出た、薄情な男なんかに。
 答える時間さえくれなかった、自分を置いていった男なんかに。


 そういえば別れたあの日も雨が降っていた。
 数年ぶりに再会したあの日も、確かこんな雨だった。


「ん、んんぅ、ひ、…イっ…」
 この男は覚えていないだろう。そんな些細なこと。
 悔しくて、やっぱり自分だけが愛しているみたいで、手摺りに爪を立てた。
「ダメさ、ユウ。爪割れるよ」
 気づいたラビがのしりと背中にのしかかって、ユウの腕を取る。
「ねぇ縋りつくんならオレにして」
 そんな情けない顔さえも、愛しいと思う。愛情が、快楽を通り越す。
 あの時身体を許したのは、この男を繋ぎとめるための愚かしい快楽だった。それ以上に悔しくて苦しくて不安で、こんな男に心を奪われるものかと決めたはずだった。


 なんてことだ。


「だったら、こんなカッコさせんじゃねぇよ」


 こんなにもこの男の愛情を欲しがっているなんて。


「ユウ? いいの? このカッコの方がきっと負担多い」
 自分から身体の向きを変えて、その美しい灰緑の瞳を覗きこむ。そこに自分が映っているという些細な事実が、どうしようもなく嬉しかった。
「構わねぇ。早く来い」
 ラビは、ん、と嬉しそうに笑って、ユウに口づけをした。
 愛しそうに、大事そうに仕掛けてくる口づけは、情熱的で官能的。
「ん、ふぁ」
 脚を押し広げて抱え上げ、猛る自分を押し当てた。これから与えられるであろう快楽に、ユウは手摺りを掴み背をしならせる。
「ん…!!」
「ユウ…も少し脚、開いて…」
 入り込んでくるラビを本能で閉め出して、ユウは首を振った。
「や…」
「今さら。早くって言ったの、ユウの方さ…」
 耳元で聞かされた荒い息遣いに、浅ましくも興奮する。
 入り口を無理にこじ開けて、ラビが突き進む。未だに慣れない圧迫感が、ユウをのけぞらせた。
「バカッ、でけ…ぇっ」
「仕方…ねぇさ、ユウが…色っぽい……ンだも…」
 背中に当たる石の手摺りが、ユウの眉根を寄せる。だけどそれよりも、ラビの与えてくるじれったさの方が重要だった。
「オレの…せいにす…んな…っ」
「ね…もっと奥……いい?」
 こんな状況で訊くことではない。恨めしそうにラビを睨み、雨で濡れる髪をひき掴み口唇に口づけた。
「勝手に…しやがれ…っ」


 もっと奥に欲しい。
 もっと奥に入りたい。


 ふたつの欲望は交差して、繋がりを深くする。
「っひ…い、ぁ…! つ…ぅ」
 冷たい手摺りに背中と両腕を預け、入り込んでくるラビを受け入れ、降る雨を飲む。
「ごめん、痛ェ?」
 今にも激しく動き出しそうな腰を引きとめ、ユウの腰を支える。やはりこの体勢はユウへの負担が大きそうだ。
「い、い…平気だ…っ…奥…ま、で…こ…ぃ」
 苦しそうに首を振るユウが、どうしようもないほど愛おしい。
 ごめんと三文字呟いて、一気に貫いた。このままゆっくり持続するよりは、無理にでも押し進めてしまった方が、痛みに慣れるのも早いだろう。
「んん! ン…っ…んぁ…!」
「ユ…全部挿入ったさ…」
「い…ちいち言う…んじゃね…っ」
 この痛みに耐えられるのは、相手が相手だからこそ。
 温もりを欲した片腕がラビの肩に回される。ギリと爪を立て、しかめられるラビの顔を楽しんだ。
「あっ…ああ…!」
 そんな心の内を読み取ってなのか、ずぐりと入り込む、ラビの角度がキツくなる。内壁を抉られ、僅かばかり残っていたユウの理性が弾け飛びそうになる。
「いやっ…や…だ、ラビ…っ」
 必死で手繰り寄せた理性を引き連れて首を振るユウを、ラビは愛しそうに眺めた。
 雨が伝う頬に、鼻先に、口唇を寄せてやると、くぐもった声と一緒にキスをねだる愛しい人。
「ユウ…キスするの……好きさ」
 ちゅうと吸い上げて、宥めるようにキスを繰り返す。
 ねとり、と舌を絡めて吐息を分けた。
「んんっ、ふ、ぅ…!」
 ぐいと腰を押し進めて、のけぞるユウの喉に流れる雨を舐め取る。
 止まない雨はふたりの身体を遠慮なく濡らし、体温を奪っていく。
 まるで体温を取り戻すためのような行為が、愛情と快楽の境界線にフィルタをかけた。
 この人が欲しいと思う。
 誰よりもこの人が欲しいと思う。
 思うだけでは、きっと誰にも見守られずに死んでいくんだろう。
「イ……ぁ」
「ユウ…もっと乱れて……」
 灰色の雲が、上向いた瞳に滑り込む。
 こんな高い場所に建っていても、やはり雲の上というわけにはいかないようだ。
「ん…っあぅ」


 罪人は雲の上になど、いてはいけませんか。


「ユウ…」
 突き上げられ仰け反った喉元に、緩く噛みつかれて喘ぐ。
 柔軟な肌はそれだけで痕を残し、見えないそれがユウの羞恥を煽った。
「あっ…や、ラ…ビ、あ」
 耐えがたい快楽に目を細めても、灰色の空から降りてくる雨はその隙間を逃さない。
 もう雨なのか快楽に耐えた涙なのかさえ、わからなくなった。
 ラビの腕に、指に、口唇に、囁かれる睦言に、情けないくらい翻弄される。
「あぁ…ラビ」
「ユウ、愛してるさ…」
 熱っぽい声が、灰色に溶けて、散った。




「無茶させた。ごめんさ、ユウ」
 手摺りを背に座り込んだラビがユウを背後から抱きしめて、耳の裏にキスを贈る。
 ピクリと反応してしまう身体は、何度も何度も貫かれて、力を失くしていたはずなのに。
「ユウを繋ぎ止めたいって思ったら…これしか方法、思いつかんかったんさ」
 ねぇ他に何をしよう?
「ユウに好きって言って、愛してるって言っても、きっとユウはオレを擦り抜けていく。いちばん大事なあの人を探し出すために」
「バカだろ……」
 髪の毛の先から、ポタリポタリと落ちる雨の雫は、もう拭い取ることさえ面倒で、ふたりの体温を下げていく。
 風邪を引くだろうと言ってみても、お互いがここを動こうとしなかった。
「そうかな。間違ってはないと思うけど」
「大間違いだ、バカヤロウ…」
 薄情な男だ、とユウは思う。
 自分が囁く言葉など、何ひとつ届いていないのか、この男には。
「ねぇオレ、ホントにユウが好きなんさ…」
「……だから、なんだ…」
 世界がなくなっても、あなただけは。
 この地球が泣いても、あなただけを。
「ねぇユウ…オレやっぱり雨は嫌い」
 降り注ぐこの雨は、いつか命さえ流してく。必死で生きてきた、このちっぽけな命を。
 流れないようにこうやって抱きしめていても、指の隙間からするりと奪われる。
「泣きそうだったあの日のユウの顔、思い出す」
 ユウは一瞬息を止めて、勢いよく振り返った。
 まさか。
「てめ…覚え、て…」
「…? え? 忘れてると思ったさ? つか、忘れられないさ」
 ざぁざぁと、降る、雨。どれだけか前にも、こんな風な雨を見た。ふたりで見てた。
「ユウの答え聴くのが怖くて、逃げるみたいに修行出て。泣きそうだったユウには気づいてたけど、それ以上に自分の気持ちが怖かったさ」
 破壊衝動にも近い、恋心。それを全部知ったら、きっと親友でさえいられなくなるんだろう、と。
「戻ってきた時も、雨が降ってたさ。ユウは相変わらず泣きそうな顔してて、別れた時のまんま時間が止まってたのかと思った」
 覚えていないのだろうと思った。そう決め付けていただけに、急に気恥ずかしくなる。すぐに返せなかった言葉を後悔し、ありったけの任務をやらせてもらって、忙しさで紛らわそうとしてた。
「でもユウは、綺麗になって背が伸びて、髪も伸びて、別れた時より男らしくなってたさ」
 聞かなかった答えを後悔し、何度も無線で通信しようと手を伸ばして、止めた。
 幼かった自分たちを思い出す。
「雨は、嫌い」
 片目の灰緑が、雨を吸い込んだ。
「ラビ」
 そのまま流されていきそうで、ユウは思わず名を呼んだ。心臓に突き刺さりそうな声に、ラビは俯いて眩暈を覚える。
 既視感。
 泣きそうな、あの顔。
「…ユウ」
 流れた雨の雫が、そこにある涙を隠した。
「泣いてる?」
「…いて、ねぇ」
 そう言ってラビの肩に顔を埋めるユウ。ラビは傾けられたユウの身体をそっと抱きしめた。
「ラビ。…好きか? オレを」
 ぽそりと呟かれる、確認事項。
 ラビは、大切そうに呟いた。
「うん…ダイスキさ」
「愛しているか?」
 珍しいな、とラビは思う。ユウがこんな風に言葉を出してくるなんて、滅多にないのに。
「愛してる。胸張って言えるさ」
 なにも持たない自分が誇れる、この気持ち。
 あなたを愛しています。
「だったら……置いていくな」
 それはそれは小さな声だったけれども、雨音に掻き消えることなくラビの耳に届く。
「もう一度言う。…ここでオレを抱いていろ」
 あなたを愛しています。
 ひとりで見る雨は嫌い。
「離したり、しねぇさ…」
「忘れんな、その言葉」
 こんな冷たい雨でも、
「この灰色の空と、突き刺す雨に、誓おうか?」
「ハ、安っぽい誓いだな」
「そんなこと、ないさ」
「もういい、黙れ…」


 あなたがそこにいてくれればいい。


 雨で冷たくなった指を絡め、ふたり、長い長いキスをした。