キスの温度

2006/05/04



 今日は風が強いな、と思わず団服の襟を立てる。
 ときどき気まぐれな天候を恨みながら、神田は教団本部に帰還した。
「それでは神田殿、私は隊への報告を済ませます。お疲れ様でございました」
 深く腰を折った同行の探索部隊員にああと味も素っ気もない返答を流し、自分も、義務である指令への報告に向かおうと、して。
「よ、ユウ。久しぶり〜」
 門番・アレスティーナの横で、気怠そうに腕組みをした戦友。この位置からでも、あのオレンジの髪は瞳に鮮やか。
「…んだ、まだ生きてたのかよ」
「うわ、ヒド。昨日の無線でユウが今日帰還するって言ってたから、オレも頑張ってAKUMA破壊してきたのにぃ〜」
 大げさに肩を落としてみる。お決まりのようなコミュニケイション。
「知るか、馬鹿」
「ん、もう。ユウちゃんたら相変わらず。スナオにオカエリくらい言ったって、罰は当たんないさー?」
 なぁ?と見上げた門番に意味もなく同意を求めながら開門させる。さすがにこの時間では帰還ラッシュもないらしい。眠そうなアレスティーナの声とともに、見るからに頑丈そうな鉄門が持ち上がった。
「コムイ、起きてっかな」
「さぁな。寝てても叩き起こせば済むだろ。帰還の連絡は入れたから多分……起きてると思うが」
 何せ今は深夜だ。寝ていても不思議じゃない。だが義務付けられた報告は後回しにはできない。この1分1秒後、何が起こるか分からないのだ。時間も遅いし眠いからまた明日、なんてこと、できるはずもない。
「…相変わらずユウのコムイへの信頼は、絶大さ」
 そう言って口を尖らせるラビに、また妙なことを言い出した、と嘆息。
「なんでオマエはそう、ヘンな考え方しかできないんだよ。昔から言ってるだろ!」
「あー悪い悪い。分かってるけどさーちょっと、悔しい? 初めて逢ったあの頃よりはずっとずっと、ユウに近くなったけど、それでもまだ」
 オレは欲張りさ。とラビは自嘲気味に笑った。
「久々に逢えたっていうのにユウはつれないしさぁ〜」
 身体が覚えてしまった司令室までの道のりは、それでも滅多にない友との歩行。自然足取りが和らぎ頬がほころぶ。
「馬鹿言うな。たかが2週間で」
 言われ、最後に逢ってから今日までの日数を数えてみて、大した数ではないと神田は足を速めたけれど。
「…超、長いさ」
 それでもゆっくり歩くふくれっツラの恋人に、苦笑した。
 だって確かに毎日逢える恋人たちを思えばそれは確かに長い期間かもしれないけれど。
1ヶ月逢えないコトだってあるじゃないか。
1ヶ月だったらまだマシな方で。2ヶ月とか、3ヶ月とか。
気が狂ってしまいそうな期間を、ひとりで過ごすことだって。
「ラビ」
 後ろを振り向いて、少し遠くなった彼をチョイチョイと手招く。
「オレはいつだって、ユウの傍にいたいのに」
「知ってる」
 …ちゅ。
 手触りを記憶してしまった彼の団服を引き寄せ、口唇に、つつくようなキスをした。
 予想以上に冷めた口唇が、より感覚を研ぎ澄まさせる。
「ラビ、口唇冷たい」
「今日、風が強かったさ。早く報告済ませて、一緒に眠ろう? ユウ風の音、怖くない?」
「馬鹿言うな」
 嬉しそうにクスクス笑うラビを軽く突き飛ばし、指令室へと踵を返す。確かに風の強い夜はガラスが鳴って眠りが浅くなってしまうけれど、物音に敏感になってしまうのはエクソシストをして仕方のないことで。
 そして大抵そんな時は【眠ってても大丈夫】と優しく髪を撫でるラビの仕種に安堵し、そのまま眠りについてしまう。絶対そんなこと、言わない。
 だって気づいているに違いないんだ。この男。
「じゃあさオレさ、怖がってプルプルうさぎみてーに震えてるから。ベッド入れてね、ユウ」
「……みてぇっつーか。まんまだろ、てめェの場合」
 想像して思わず。
 可愛い、なんて。
「えーそーかなぁ〜」
 自覚がない分さらに愉快。
 そう思いながら司令室の扉を開けた。
 相変わらず散乱した資料。足の踏み場やり場に困る。
「コムイ、帰還した」
 机に向かい、ペンを握ったままのコムイが神田の声に顔を上げた。
「ああ、オカエリ神田くん。お疲れ様」
 その後ろにもう一人エクソシストを見つけ、コムイの眉間は珍しくも寄せられる。
「ラビ、遅い」
「ただいま〜コムイ〜」
 ひらりひらりと手を振るラビを軽く睨みつけて、
「ただいまじゃないでしょう、本部に着いて3時間も経ってるじゃない」
 あ、バレてた。とラビはへろりと頬を掻く。
 ん?と思った。
 今コムイは何と言っただろうか?
「バレるも何もね。アレスティーナからの映像は逐一ココに送られてくるんだから。知っているだろう?」
 ラビが門前に着いてから軽く三時間は経っているよ、と静かに腹を立てているらしいコムイの声。
 ざわり、と。神田の背筋が凍る。
「まぁまぁコムイ。オレの任務はAKUMAの破壊だったわけだし。イノセンスの回収だったら、ソッコー来るさ〜」
「それだってね、………神田くん? どうしたの?」
 口を覆い、俯いたままの神田を心配そうにひょいと覗き込む。
 神田はギリッと口唇を噛んだ。
「コムイ!」
 ややあって、その美しい青の瞳は睨むという形でコムイに向けられる。
「は、ハイっ?」
「受けた任務、ゴルドバの奇怪現象はイノセンスによるものではなかったようだ。そこらにいたAKUMA、十二体撃破してきた。以上、報告終わり」
 つらつらと言葉を並べ、これ以上することはないとラビの襟を引っ張る。「ちょ、神田くん」
「これ以上何か必要なら、書類で提出する! 行くぞラビ!」
 いや、そりゃ、別に、構わないけど、さあ…と、怒っているらしい神田と、引きずられるようにして歩き始めるラビの背中にコムイは小さく呟いた。






 ダンッ!
 襟元を引っ掴み、通路の硬い壁に押し付ける。
「どういうつもりだよてめェ!」
「どうって」
 怒り顔の神田とは対照的に、ラビはにへらっと笑った。
 それは彼の処世術で、それは確かに知っていたけれど。その顔にこんなに腹が立ったのは初めてだと神田は強くラビの背中を壁に押し付ける。
「なんで3時間もこんな…寒い日に!」
「ユウ」
「……ってたのかよ…」
 胸ぐらを両手で掴んだまま、神田は次第に俯いていった。
「待ってたのかよ……ずっと」
 風をしのぐ術もない門の外で、ずっと自分を。
 だからあんなに、口唇が冷たかったのか?
「待ってる時間、嫌いじゃないさ?」
 ふわりと。包み込む笑い顔。
「ユウは待つ時間、嫌いっしょ?」
 顔を上げて最初に目に飛び込んだ、それ。
「だからオレが待つんさ。オレだってできるならね、ココ還ってきていちばん最初に逢う人、ユウがいいもんね」
 ざわり、と心が騒ぐ。なんて全開のコイゴコロ。
「ユウにいちばん最初に逢いたかったから、オレ頑張って」
 すべてを聞く前に、冷たい彼の口唇を覆う。渇いた口唇を押し付けて、啄ばんだ。
「救いようが…ねェな。馬鹿」
「────ヒドイさ、ユウちゃん」
 そうして一気に奪われる、激しいディープ・キス。
「んぅっ…」
 口唇を開いて、差し入れた舌で支配する。
 熔かされる、脳までも。
「くち……冷た…」
 途切れ途切れ、キスの合間に呟く神田の口唇を啄ばんで、ラビは笑った。
「あっためてよ、ユウ」
「う…っふ…ぁ」
 腰に、首に、腕を回す。与えるために、奪うために。
 冷たかった口唇が、次第に熱を取り戻していく。その熱を与えているのが自分だと思うと、気恥ずかしくて、嬉しくて、愛おしくて。
 身を寄せて、息を寄せて、魂を貪る。
「ラビ……」
 目蓋の奥で重なった視線がこの上なく熱っぽくて、お互い幸せな眩暈を起こした。
「部屋、行くさ? ユウ」
「…ああ」
 耳元での甘い誘い。軽いキスを交わして、ふたりは歩き出した。