声さえもかき消して

2005/08/01



 愛さなくていいさ?



 隣りの男が呟いた。
「……どうした、唐突に。オマエらしくもない」
 神田は嗄れかけた喉を動かし音にする。自分の隣りで、長い黒髪を指先で弄ぶ、オレンジの髪が目に入った。
「妙なモノでも食ったのか?」
「違う違う、本音さ」
 くすりと笑うラビ。言葉と表情がかみ合わない男だと、前々から思ってはいたが。どうしたことだろう、今日は、いったい。
 そういえばいつもより激しく求められた気もするが、気に留めるほどのことでもない。
 マテールの街で言い渡された任務は、なんのことはない、アクマの討伐だった。ただその任務、コンビを
 組んだ相手が恋人だったというだけで。
 久しぶりに逢ったと言えば、確かにそうなのだろう。お互い任務が続いていたし、無線だけでは頼りない。
 合流して初めにお互い口唇を探して重ね合わせた。任務の相談よりキスが先とは、エクソシストをして失格だ。
 だけどエクソシストである前に自分たちは『人間』で、一人前に恋だってするし相手を愛しいと思うことだってある。そんな感情を抱いて濃密な夜を、たまには朝や昼を過ごすことだって。
 …任務が終わった後は、どうしても達成感で理性を見失い、お互いに。
「何が、言いたい?」
「だってさ、ユウは」
 手持ち無沙汰に遊ばれる黒髪とラビの指先を通り越して、その向こうの灰緑の瞳をじぃと見つめてみた。
 ああそうだ。自分は滅多に愛していると言わない。そんな言葉に頼れないほど気持ちが大きくて、この男に愛していると囁かれるたびに心臓をわしづかみにされる。
 気持ちはきっと、この男より大きいのに。
 言わない自分を暗に責めているのだと、神田は思ったが。
「ユウは、オレが思ってるよりずっと強くて、ユウが自分で思ってるより、ずっと弱いさ?」
 アテが外れた。
 もとよりこの男の口走ることは脈絡がなくて、訊きなおすことが常だ。
「なに、ラビ」
 それを知っているはずで、ラビはくすりと笑いを漏らす。


「オレが死んじゃったら、どうする?」


 その言葉に、この空間にいるのはまるで自分ではないかのように沈黙した。
 ややあって、口を開く。
「死ぬのか」
 疑問符が付けられない、声。
「どうする、ユウ」
 自分たちに、『もしも』は付けられない。常に、それと背中合わせだった。
「…墓に花くらい、添えてやる」
「わぉ、カッコイイなユウ」
 ラビはハハハと笑う。オレはダメかも、と。
「オレは多分、ダメさ。喚いて、泣き叫んで、世界を恨んで、ユウを憎んで、きっと伯爵の手を取る」
 自嘲するような声を、遮るようにラビ、と神田は起き上がる。
 それを口にするのは、エクソシストには許されない。黒の教団に属している限り、伯爵とは敵対するものなのだ。
 自分を見下ろしてくる綺麗な蒼をウソみたいに眺め、頬のラインを指で確かめる。
「ラビ」
「ユウを繋ぎ止めたくてこんなことしてるけどさ。それでも伯爵のシナリオは止まってくれんさ」
 人にはそれぞれ命の時間というものがある。誰が取り決めたものか知らないが、必ず、なくなる時が来る。そしてその期限を人は決して知りえない。
 限られた時間の中で、人を恋し、人を愛し、生きる。
「ユウの魂を呼び戻して、オレはユウに喰われて。…ユウはそん時、泣いてるんかな…」
「気味悪ィこと想像すんな」
 神田の脳裏に反対のビジョンが浮かび上がる。
 ラビの魂を呼び戻して、ラビに喰われて。ダイキライだと叫ぶ、生きてて欲しかった人。
 愛していた。愛している。ゆえに送る道を間違える。
「オレもユウも、AKUMAにならないと言い切るには、弱いさ」
だから愛さなくていい、と。
「愛さないでいいよ……」
「だったら…オマエももう…オレを愛してるなんて言うな…」
 ふたりの瞳が曇る。
 愛さなくていいと吐く言葉の裏で、愛していると炎が揺らぐ。
 細めた瞳の奥に、お互いの姿、ゆらり。
「次の、任務は?」
 トサリと力なくラビの肩に額を預け、神田は呟く。さっきゴーレムで指令が入ってきたのは知っている。
 ほぼ同時刻に、自分にも。
「元帥の護衛。ユウが言ってたモヤシくんとリナリー拾って、ジジィと合流して、そのまま」
「…オレもだ。デイシャやマリと…一緒の任務になる」
 時間を止めてと願っても、伯爵の時計は止まらない。
 自分たちは黒の教団に属する『人間』で、伯爵の理想世界を止めなければいけなくて。
「…長く…逢えないねユウ」
「……ああ」
 髪を撫で、指を絡ませ、引き寄せる。神田もその行動を見越していたようで、さほど力は必要ない。


ちゅ…


 口唇を啄ばんで、舐めて、吐息を奪う。
「っふ……」
 漏れる吐息が熱くなり、抱く腕が強くなる。
 何度も、何度も、絡めて、吸い上げて、確かめる。


今この人が生きている。
今この人も生きている。
今この人と生きている。


「ラビ…」
 離れた口唇が、荒れた吐息をつれて呟いた。
「もう一度…してぇ…」
 離れる前に、あなたをください。
「んっ…」
 答えは、口づけられた鎖骨へと。
 濃密な、濃密な夜が更けていく。この夜を越えたら、また任務へ就かなくてはいけない。
「ユウ…」
 あなたをください。
 視線。吐息。声。汗。こころ、ぜんぶ。
「ラ…ビ…」
 愛してる。
 愛してる。
 一度も囁かないままに、泣きながら身体をひとつにした。







「一度集ろう」
 ゴーレムに向かう声は、僅かに息が上がっていた。
 いったい何体破壊しただろう。それでもAKUMAの気配は消えずに、神田を襲う。
『オーケイ、じゃあ俺とカンダでマリのおっさんとこ集合ってことで』
 何体も。
 何体も。
 何体も、何体も。
『時間は?』
 神田は六幻を抜刀する。
 破壊しなければ。破壊しなければ。
「────夜明けまでだ」




「マジ…すげぇ数なんだけど…」
 数を記録することさえ、途方もないことのように思えた。
 だけど破壊しなければ。
 これを破壊しなければ。
ラビは無線ゴーレムを不意に見やった。
「…ダイジョブ、生きてる」
 何体も。
 何十体も。
 何百体も。
 作られたAKUMA。犠牲になった幾つもの愛。
「…生きてる」



 AKUMAの咆哮はこの声を消していく。
『またな』
『うん、また逢おうさ』
 別れ際、交わされた約束。
 愛さなくていい、愛しい人よ。
 生きてください、愛しい人よ。
 また逢いましょう、愛しい人よ。




 愛さなくていい、愛してる。


 AKUMAは、無粋に。
 この声さえもかき消して────。