ラスト・キス

2006/12/31



 今年は無理かもな、と神田は息を吐いた。
 窓の鉄格子は視覚的にも冷たく、触れれば寒さを実感させる。外の景色は、闇に覆われたミストブルー。曇っているのか月も星も見えず、孤独感を倍増させた。
 あと少しで、今年が終わる。
 今年も、無事にとは言えないが生きて新年を迎えることはできそうだ。
 ……一人で。
 あまり大っぴらに口に出すのは憚られるが、恋人関係の男はいた。だからどう、というわけでもないのだが、恋人はことあるごとに、こういった日を特別なものにしてしまう。
 例えばお互いの誕生日。恋人であれば祝うのは自然だし、不思議には思わない。
 だけどハロウィンやクリスマス、年越しといった、お互いに直接的な関わりのない日まで【特別】として、共に過ごしたがる。
 仕方ないなと流されて、結局は二人で過ごすのだ。嬉しいと思う気持ちを、伝えないままで。
 確か今年のハロウィンは、教団主催のパーティーに盛装で引っ張りまわされた。いつもと違う恋人の姿に戸惑ってときめいて、部屋まで堪えきれずに薄暗がりの廊下で身体を繋げた。
 クリスマスは、神田の方が任務についてしまったせいで恋人は肩を落としていたが、一緒に過ごしたいと言ってくれた彼の願いを叶えたくて、無茶をしてでも25日の日付のうちに帰還し、パーティーに参加して、ベッドで身体を繋げた。
 彼が幸福そうに笑うから、自分も幸福なのだと心で思う。
 だけど今年の年越しは、どうも一緒に過ごせそうにない。
 恋人が────ラビが任務に就いてしまっているから。
「……任務地、遠いのか?」
 聞いておけばよかったと神田は窓にこめかみを当てた。もし遠いのなら、もしかしたら個人の無線では繋がらないかも知れない。
 年の最後に聞く声は、ラビの声だといいなんて思って、あまりに女々しい恋心に嘆息する。
 特別の陽にしたがるラビに付き合う形で、実は神田の方こそその日々を大切にしていた。ラビを抱きしめる、その日々を。
「ちくしょう、絶対言えねぇ、こんなこと」
 絶対自分の方が想いが大きいのに。それを口に出すことができない。
 ラビはなんとも思っていないのだろうか? 愛している、と口にしたことは何度かあるが、こんなに溺れているなんてこと、彼は絶対に知らないだろう。
 溺れないように何かに捕まろうとするのに、そこには温かいラビの腕しかない。溺れても救われても、どちらにしても結果は同じ。
 【今年】があと5分で終わってしまう。年内には帰ってくると言っていたラビだったが、どうやら間に合わないようだ。
 任務をおろそかにすることはできないし、約束を破った、と責めるつもりもさらさらない。戦地にいない自分には、せめて怪我を負うなと祈ってやるばかりだ。
 それでも声くらいきけないだろうか、と無線ゴーレムに腕を伸ばしたその時。


「ユウ!」


 突然部屋の扉が乱暴に開けられ、切羽詰った声が聞こえた。
 耳を疑って思わず振り返ると、息を切らした、赤毛の男が一人。
「ラ、ラビ……!?」
「ユウ今何時!? 間に合った!?」
 ドアを閉めて早々に、駆け寄るラビ。もう時間を確認することさえ惜しくて、腕の中に神田を収めた。
 ふうーと息を吐き、帰還したことをそこでようやく実感する。ここが自分の帰る場所。
「ユウごめん遅くなったさ。ちょっとアクマがいっぱいいて」
 神田の顎が乗った肩口に、濡れた感触。ラビは驚いて身体を離した。
 頬を流れる、ひとすじのライン。
「ユ、ユウ!? ごめんオレ間に合わなかったさ!?」
 涙に戸惑って、わたわたと時計を探すが、そういえば神田の部屋に置時計はなかったはず。時間を確認するには、懐中時計を取り出すしかないが、今はどちらの手も彼の身体から離したくなかった。
「ラビ、違う、大丈夫だ」
 まだ年明けてないから、と神田は頬の雫を拭う。自分でも驚いたのか、視線が泳いだ。
「良かった。オレどうしてもユウと一緒に年越したかったから、急いで帰ってきたさ」
 さらり、と神田の髪を梳く。手触りのよいその髪は、大好きなもののうちのひとつ。
「馬ー鹿」
 でも。
 でもそのおかげで、逢えた。触れられた。
 神田はラビの手が自分の髪を梳くのが心地よくて、その手に頭を委ねる。体温が、指先から伝わってくるどうしようもない恋情が、胸を詰まらせた。
 今ならきっと、言えるだろう。
「……感謝する、ラビ。逢いたかったんだ」
 一年の最後である、この日に。
 ラビが目を瞠ったのがわかる。やっぱりおどろくのか、と思って笑った。
「なに馬鹿面してんだよ。そんなに意外か?」
「え、や、だって普段、そういうの言わないじゃんユウ。すげぇ嬉しい」
 帰ってきて良かった、と笑うラビ。神田はその団服のファスナーをチリチリと下ろし、胸にしまわれた懐中時計を取り出した。
「もうすぐだな」
「あと1分もないさね」
 懐中時計の蓋をパカリと開けて、秒針がもうすぐ重なるのをふたりで確認する。今日という日が明日という日に追いつき、生きてきた年を、もうすぐ越える。
「ユウ、今年も色々あったけど、生きててくれてありがとう」
「俺の台詞だ、馬鹿やろう」
 戦いのさなか、死と背中合わせに生きてきた。
 きっと、今日が越えた明日からも。
「大好きさ」
「愛してる」
 ふたり、口唇を重ねる。今年、最後のキスだ。
 舐めて、啄ばんで、舌を差し入れる。隙間なく埋め尽くして、抱きしめあった。
 口唇を合わせたまま、今日を覆って年を越し、新しい日を迎え入れる。
 0時を挟んでたっぷり1分、年をまたいだ口づけを交わした。
「今年もよろしく」
「こちらこそ」
 愛しています、これからも。