Love is Here

2005/09/11



 気持ちの良い朝だった。ラビは隣で惰眠を貪る恋人を見下ろして、微笑む。幸せだなあと。だがこのまま眺めてばかりもいられない。
「ユーウー、起きるさー」
 シーツからはみ出した肩を揺さぶって、朝の訪れを告げる。それに気がついて、神田は寝ぐずるように眉を寄せた。
「何時だ?」
「七時」
 確かに朝ではあるが、どうしても起きなければならない時間ではない。眠い、と二度寝の態勢に入りかけた神田を、それでもラビはダメだと揺り起こす。
「昨夜寝たの遅かったの知ってんだろ、誰のせいだと思ってやがんだ!」
「オレだけのせいじゃないさ。ユウ気持ち良さそうだったじゃん」
 昨夜もまた、恋人同士の甘い夜というヤツを過ごしてしまった。久方ぶりに逢ったせいか、いつもよりも濃密で。神田はまぁまぁと思い起こされる行為に顔を赤らめてふざけるなと背を向ける。
「でもこのままだと遅れちゃうさー」
「任務ねぇだろ。寝かせろ、頼むから」
 身体への負担は少なくなく、できることなら回復するまで休んでいたいところだ。幸いにも任務はなく、ゆっくりできると思っていたのに。
「や、違う違う任務じゃないさ。昨日言ったでしょ」
「あ?」
 何かあっただろうか?と神田はラビを振り仰ぐ。少しも思い出せなくて、答えを待った。ラビはそれに苦笑して、流れた神田の髪を梳く。この様子では本当に忘れているんだなと口を開いた。
「結婚式」




 広間に出向くと大勢の人間が集まっていて、どうやら自分たちが最後らしいと辺りを見回す。ラビと神田に気づいたリナリーが、遅いと手を振ってきた。それには素直に謝罪を返し、
「ユウってばなかなか起きてくれないんだもん」
「てめぇが服にこだわり過ぎなんだろ!」
 確かに起き出さなかった自分にも原因はあるかも知れないが、何を着ていこうかと数十分悩み、着替えに十分以上を費やしたラビにも、少しばかり非はあるだろう。
 さすがに団服で出席することはできず、艶やかなまでの盛装で着飾って、髪型も少しだけ普段と変えてみた。いつもと違う雰囲気に、お互いがときめいたのはまあ恋心の成せる業。
「……夜は程々にした方がいいですよ?」
 リナリーの横から含み笑顔でアレンが言い放つ。それはあからさまにふたりの関係を揶揄うもので、神田は思わず六幻を引き抜いて斬りかかった。
「死ぬかここで」
「お断りします」
「ユウってばもうお式始まるさ! なんで六幻持って来てんのお前!!」
 顔を赤らめ引きつった笑いを浮かべる神田と、振り下ろされた六幻を白刃取りで止めたアレンと、慌てて神田を羽交い絞めにして止めるラビと。いち早くその場を離れたリナリーは、まったく仕方ないわねと呆れたため息をついた。
 離せ、と背中のラビを少しだけ振り向いて、神田は気づく。
「ラビ」
「ん?」
「タイが曲がっている」
 六幻を鞘に収め、ラビに向き直った。
「ったく、仕方ねぇなお前は」
「ん、あ、ごめんありがと」
 そうして、曲がったネクタイを直す。その様子は甲斐甲斐しく、まるで妻が夫のネクタイを直しているようにも見え、アレンとリナリーは呆然と立ち尽くした。




 神田はため息をつく。
「ったくいつまで泣いてやがる!」
「てっ」
 ポケットのハンカチをラビに向かって投げつけて、早く拭けと睨んでやった。
「だってだっていいお式だったさー」
 団員同士の結婚式が、敷地内の聖堂で執り行われて、立食式のパーティーに突入しているというのに、この男は挙式の途中から泣きっぱなしだ。
 ────……なんで俺コイツにホレてんのかわかんなくなってきた
 あまりに情けなかったのと居たたまれなかったので、ラビを引き連れて宴の輪からこの木陰に一時の退避。それでも止まず、今に至る。
「気楽でいいな、お前は」
「ユウ?」
 頬を濡らした雫を拭き取ったラビが、トーンの落ちた声を気にして顔を上げた。
 神田は木の陰から宴の輪の中心辺りに見える、夫婦になった二人を眺め眉を寄せる。
 あのふたりは、なぜこんな境遇で、結婚なんてしようと思ったのだろうと。
 やがて産まれるであろう新しい命は教団内で育てられ、【外】の世界を知らないまま生きて、この中で散っていく。それを知らないはずもないのに、いつ死ぬか分からない【日常】の中で、何に希望を見出したのだろう。
 夢に見た世界とは、きっと違っているのに。
「……きっと、楽しいさ?」
 眉を寄せた横顔からそれを察したのか、ラビが静かに口にする。心を読まれたのかと驚いて、神田は勢いよくラビを振り向いた。その無責任な言葉にも腹が立って。
「おいてめぇ! 無責任なこと言ってんじゃ」
 ガッと胸ぐらを掴むが、臆することもなくまっすぐに見つめ返されて、言葉を呑んだ。
「ユウ、あのふたりの覚悟は半端なもんじゃねぇさ。こんな世界でお互いを…新しい命を守っていくって、大変だろうって知ってんのに」
 ラビはゆっくりと神田の手に触れて、掴まれたネクタイを解放させる。神田の手を離れたネクタイは、ハラリと揺れてあるべき位置に戻った。
「それでも一緒になって、子供産んで、生きて、守って、幸せになろうとしてるんさ」
 汝、この者を愛しみたまえ。父なる天よ、大いなる慈悲にてこの者たちを救いたまえ。
「だからさ、ユウ」
 触れた手をぎゅ、と握って、ラビは微笑む。


「オレの家族になってください」


 言われた言葉の息を理解するのに数瞬だけかかって、ハッとして神田は手を振り払った。
「なっ、何を言ってるお前!」
 家族になる、ということが、どういった意味を持つのかくらい理解できる。ただそれは男女間の約束事で、同性である自分たちには関わりのないことだ。
「ん? 何って、えーと」
 理解しがたい、といった表情をしたままの神田をよそに、言った方のラビはあっけらかんと呟く。
「プロポーズ、かな」
 夢に見た世界とは、きっと違うのに。
「……馬鹿じゃねーのかお前」
「ああ、うん、言われると思ったさぁー」
 あまりにも現実味のない言葉をさも当然と胸を張るラビに呆れ、神田は頭を抱えてため息と共に返した。そう返ってくるだろうなと予想していたラビはそれでもがっくりと肩を落とす。
 ダメか、と息を吐いた瞬間。
「子供なんか産めねぇぞ、俺」
 神田の口から発せられた言葉に、今度はラビが驚く番で、その言葉を頭の中で反芻してガバッと顔を上げた。あまりの勢いにバツが悪くなって、神田が顔を逸らす。
「そっ、それは大丈夫さ! あ、あの、ペットとかほら、飼って」
「大人しくてめぇの帰りを待ってるような人間じゃねぇ」
 行為のポジションから言って、恐らく自分が妻の立場になるのだろう、と神田は考える。特にその位置に不満があるわけではないが、一般の家庭に見られる、夫の帰りを待つ妻という光景はどうしても浮かんでこない。
「うん、分かってる。一緒に闘っていくんさ」
 そうだ、お互いに闘いの中に身を置く立場で、大人しく帰りを待つような生活は考えられない。ラビはそれを当然だと言うように微笑んでくれて、安堵した。
 そのホッとした表情にときめいて、腕を伸ばしてその身体を抱きしめるラビ。
「ユウ」
「なんだ」
「一緒に、いようね」
「────」
 口唇が触れ合う寸前うんと頷いた神田を、思いきり抱きしめた。



□ □ □



 家族になろう、って言われた。
 実感は、はっきり言って、ない。
 そんなこと考えたこともなかったし、何も生み出さない自分たちには関係ないと思ってた。
 昨夜だってラビに変化はなかったし、……いや、そういえばいつもより若干激しかった気も、する、けど。
 アイツの言ったことが冗談か本気かなんてのは、訊かなくても分かったし、自分なりにちゃんと考えたつもりだ。
 なんとなく気恥ずかしくて、ベッドを抜け出して。気持ちよさそうに眠るアイツは、陳腐だが、本当に幸せそうだと思った。
 痛む身体をおして、部屋に備え付けられた簡易シャワーを浴びる。本当なら大浴場でゆっくり湯に浸かりたいところだが、あそこまで歩くのが面倒だし、まずこんな紅い痕だらけの情事後では、人目につくのはできるだけ避けたいんだ。



 シャワーから戻っても、ラビはすやすやと眠っていた。
 珍しい、と心から思う。いつもだったら少しの物音でも目を覚ますというのに。
 その寝顔はひどく子供っぽくて、思わず笑ってしまう。
 ガラにもなく穏やかな甘い感覚で新しいシャツを羽織ると、背中でユウとくぐもった声。
 起きたのか、と声を返しても、その後に続かない。
 不思議に思って振り向くと、惰眠を貪るオレンジの。
 寝言、かよ。
 気が抜けて息を吐く。
 いったい、どんな夢見てやがる?
 夢の中の俺は、いったいどんな風にお前を。
 夢の中のお前は、いったいどんな風に俺を。
 ボタンを留めて、ベッドに戻る。
 温かな体温にそ、と触れた。それはいつもと変わりなくて、きっと夢の中で幸せな思いをしていることだろう。
 夢の中の世界に嫉妬している、なんてことはすぐに分かったけれども。嫉妬で起こしてしまうよりは、このまま幸せそうな寝顔を眺めていたいと思ってしまうあたり俺も、相当溺れている、というハナシだ。
「……」 ?

 コイツは、そんなこと知らねェんだろうけど。
 気持ちはきっと、俺の方が大きいんだ。
「………」
 それが妙に悔しくて、喉が詰まる。
 噛み付いてでもやろうかと、破壊的な衝動が舞い上がる。
 ギシリとベッドに手をついて、降下して、降下して、喉元に到達する、凶暴な口唇。
 本当に、喉に噛み付いてやろうかと思ったんだ。
「ユウ…」
 届く、寝言。
 瞬間ハッとして身体を離した。
 ドキンドキンと心臓が鳴る。牽制されたのか、愛されたのか。
「ラビ…」
 呼ばずにはおられない、と口唇が動く。
 ドクンドクンと心が躍る。愛したいのか、噛み殺したいのか。
 ハァ…と吐く息がいつもより熱い。
 付き合って何年目だ。こんなに些細なことで、自分を抑えきれないなんて。
「…ラビ…」
 お前が昨日、あんなことを言うからだ。
 あんな……こと。
 愛しくて、胸がきゅうと締め付けられる。
 愛しくて、愛しくてしょうがない。
 噛み付こうとしていた口唇を再び降下させ、ユウと寝言を吐く口唇に、ちゅ、と口づけた。
 …あったけー…
 そのまま貪りそうになる衝動をどうにか抑え、ラビの傍から離れる。これ以上傍にいたら、心音で起こしちまいそうだ。
 腹も減ったし、朝飯でも食いにいこう。




 目を覚ましたら隣りにユウはいなかった。ご飯でも食べに行ったんかな。起こしてくれてもいいのに。  つーかオレが起きなかったことの方が珍しいんさ。いつもだったら少しの物音でも目が覚めて、思わずイノセンスに手を伸ばすのに。
 ユウの隣りだと、どうしても、さ。
 安心しちゃうんさ。
 オレがユウを守りたい、って思うのと同時に、ユウもオレを守りたいと思ってくれてる、てのは、まぁ、…願望だけどさ。
 それに昨夜は頑張っちゃったしなぁ…体力回復には睡眠がいちばんさ。
 昨日、ユウにプロポーズした。ちゃんと。
 ちっちゃい時から言ってたけどさ。【大きくなったらケッコンしよ】って。まぁそれはさ、ガキの他愛ない約束事のひとつで。ユウも本気にはしなかっただろうけど。
 でも、今度のはちゃんと本気。前から決めてたんさ。ユウと一緒に式出られたら、言おうって。ユウは気がついてるんかな。昨日のお式は、オレたちがふたりで出席できた、出逢って初めての式だったんさ。
 いつもは、オレが任務だったりユウが任務だったり。
 だから、最初から決めてたんだ。式の情熱に浮かされた、とかじゃなくて、ずっと前から決めてたんさ。
 だから、ユウがちゃんと答えてくれたときは、嬉しくて、幸せで死ぬかと思った。
 目ぇ閉じて、うんって言ってくれた。
 ほんのりと染まった頬にかかった、長い睫毛が物凄く綺麗で、ああ、ユウが今傍にいるって思って、幸せで。
 ユウを思い切り抱いて、腕に閉じ込めて、好きって言って愛してるって囁いて、いつの間にか落ちた夢の中でも、オレはユウを追っかけてたんさ。
 ユウはちゃんと振り向いてオレのこと呼んでくれて、ちゅって、キスしてくれた。
 ユウはあったかいな、って思って、抱きしめようとして、目が覚めた。
 未だ抱いた余韻が残る。
「プロポーズ……受けてくれたんさ…」
 あっちが夢だったらどうしよう。こんな時に限って、ユウが隣にいない。
 …ユウを探しに行こう。この時間帯だったら、多分食堂だろうけど。でも案外寄り道好きなんさ、ユウは。中庭に咲いた小さな花を見つけてみたり、オレ愛用の書庫で居眠りしてみたり。
 気まぐれな、オレのクロネコ。
「夢じゃ、ないさ」
 オレはベッドから抜け出して、深い緑のシャツに腕を通した。
 痛む身体は、きっとユウも同じ。
 見つけてそして、もう一度言おう。
 ユウはきっと頷いてくれる。
 うん、って言ってくれる。
「家族になろう、ユウ」
 世界でいちばん短いアイラブユーを。
 きっと、きっと。