モーニングムーン

2005/02/20



 はあ…と大きく息を吐く。ぎゅうと抱きしめてくる腕が、何よりも好きだった。
「ワリ…ちょっと無茶しすぎた…?」
 そう言って頬に、目蓋に口づける。神田はいつものように眉を寄せ、全くだ、と罵った。
 昨夜からの行為を思えば、それくらい言ってやらねば気が済まない。
「ゴメンて、ユウ。ちょっと久々だったしさぁ〜」
 そう言った彼も少し疲れた表情をしていた。1ヶ月ぶりに逢えた、のであれば行為が激しくなるのも分かる気はするが、それだって限度というものがあろう。
「今何時ー?」
「…すぐに夜が明ける」
 神田の柔らかな髪を弄びながら、ラビはもそりと起き上がる。カーテンのかかっていない窓から月の光が差し込み、その肢体を露にした。
「もうそんな時間か〜」


 こうして改めて見てみると、さすがに整った体躯だと一人ごちる。
 無駄なく筋肉のついた腕とか、割れた腹筋とか、男っぽい背中とか。
 だけど傷跡がない部位はすでになく、この男と自分の生き方を思い知らされる。


「…オマエ、朝イチから任務だろう。眠っておいた方がいいんじゃないか?」
「えーせっかくユウといんのにもったいないじゃん」
 汗で固まったオレンジの髪がパサリと揺れた。外れることのない眼帯の下には、自分の知らない闇がある。その事実が酷く頼りなく情けなくて、不意に目を逸らした。


「一緒にシャワーでも、する?」


 それを知ってか知らずか、ラビはクスリと笑う。
「冗談言うな。オマエと一緒にしてシャワーだけで済むか、このエロウサギ」
「……ヒドイさー…」
 何もしねェから、とラビはベッドを降りる。この男の辞書には羞恥という単語がないのか、四肢を隠しもせず。いつだったかそれを言ったら【女のコじゃないンだから〜】と笑い声が返ってきたのを覚えてる。
「どうせなら湯、張ろうか」
 まだ入るとはヒトコトも言っていない。呼び止める前に、ラビは備え付けのバスルームに姿を消してしまった。
「なんで……こんなにも…」
 こんなにも生き方の違う自分たちが、繋がりあっているのだろう。
 考え方も、国籍も、好物もキスの仕方も。
 合致しているのは性別と年齢、そしてエクソシストだという石の十字架。
「流されてんじゃねェよ、くそっ……」
 バスルームからユウ、と呼ぶ声が聞こえ、神田は起き上がる。見れば温かそうな湯気に包まれたラビ。
オイデオイデと動く指。神田は浅く息を吐いてベッドを降りた。
 流されているのは果たしてどちらであろうか。






「次、どこだ?」
「ん? 任務? フェズだってさ。ちょっと遠いな」
 狭いバスタブで、熱い湯がパシャンと歓喜に歌う。二人分のしなやかな裸体を受けて、打ち震えるように。
「……そうか…」
「サミシイ?」
「殺すぞ」
 ラビはクスクスと笑って神田の身体を抱きしめる。つい先ほどまで、これでもかというほど触れていたのにまるで飽きることがなく、願って叶うならいっそこのまま時でも止まってしまえと思うほど。
「オレはサミシイさ〜。ユウと一緒の任務ならイイのになー」
 率直過ぎるラビに、神田は慣れることなく面喰らう。
「む、無理だろ。コムイがオレ達のこと知ってるからな。余程の人手不足でもねェ限り、組むこともねェぜ」
 公私混同しないでね、とクギを指されたのはいつの事だったか。それ以上突っ込んで訊いてこないのは、興味がないのか忙しいだけなのか、はたまた自分にも見に覚えがあるからなのか。
「あー…それなんよな〜…」
「だいたい、てめェがあんなトコでやるから…!!」


 不意に振り向いた神田の口唇に、ラビの口唇が意図的にぶつかる。瞠目した神田の抵抗むなしく、滑り込んできた舌に絡めとられ、神田は甘い声を上げた。


「ぉ……い馬鹿ラビっ、何もしねェっつっただろてめェ!」
「キスくらいいいじゃ〜ん。ユウの口唇、スゴク好きさ〜」
「黙れ。嬉しくない」
 気恥ずかしくてぷいと顔を背ける。俯いて気づく。自分の身体に絡むラビの腕に、見慣れない傷跡。
「……ラビ、また傷増えたか?」
 その傷跡をそっとなぞり、まだ新しい傷だということを確信した。
「ん、ちょっと。大したことないんさ〜」


 今、自分の身体には傷跡などひとつもない。それは一種呪いのような狂気で護られているために。


「どうして……こんなにも違うんだろうな…」
 傷跡が有りすぎる身体と傷跡がひとつもない身体、どちらの方がより人間らしいでしょうか。嗚呼かみさま。
 神田は軽く口唇を噛みながらラビの腕を上に辿る。やはり傷跡は多く、斬り消してしまいたいと思うほどに。
「ユウ…」
「…ラビ、これ…肩にも…傷あ………と」
 両の肩にも微かに真新しい傷があることに気づき、それをなぞって、理解する。肩の真新しい傷、それは即ち。


「────」


 必然的に浮かび上がる答えに、頬を赤らめる。ラビが我慢できない、というように吹き出した。
「くく、ユウ超カワイー」
「だ、黙れッ」
「この肩の傷、ユウがつけたヤツさ〜? そんなにヨかった?」
「黙れと言っている!」
 嬉しそうに笑うラビの腹に肘を入れ、ザバリと立ち上がり。
「ユウ…ひど……」
「さっさと上がれ、そろそろ時間だろう」
 振り向かないままタオル片手にバスルームを後にする。
 これ以上流されるのはゴメンだと、身体の水分を拭き取った。バスルームの方でゴポリと水の流れる音。行き場を失ったそれは、一体どこで果てるのだろう。
 窓から覗くモーニング・ムーン。薄蒼の空に抱擁され、喜んでいるのか悲しんでいるのか、その色は儚くけぶるようなシルバリー・グレイ。
「おーい風邪引くさユウ〜」
 肩にふぁさりとシャツがかけられる。そのまま背後から抱きしめられて、心臓がトクンと鳴った。
「何、見てンの」
「月。夜明け前の月は色が無くて寂しいな」
 ラビの視線も月に移動する。少しだけ欠けたそれが、薄情そうに見下ろしていた。


「月にはウサギがいるって言うけどホントかなあ?」


「どっから聞いてきたんだそんなもの……」
「でも、月にオレがいると思うと寂しくなくね? ユウ」
 抱く腕が強くなって、神田は目を瞠る。まるで身体をココに繋ぎとめておくように。強く、強く。
「オレがあそこに行っちゃったらユウ、迎えに来てくれる?」
 自分たちは死と隣り合わせに生きていた。
 いつかなくなってしまうこの命。そんなことはとうの昔に知っている。
「────行かねェ」
 神田は強く拳を握り締めた。
 指の間をすり抜けてゆく砂時計の無情。
 さらり さらさら さらさら さらり
「絶対、行かねェ。だ…から……ここにいろよ」
 せめてそれを願うくらい。
 絡む腕に手を添え月を見上げる。肩に、ラビの額がトサリとのしかかった。
「────ん。そうする。ありがと、ユウ」
 感謝しましょうあの月にでも。 
 こんなにも生き方の違う自分たちが、出逢った奇跡を。



 夜明け前に見る夢は、薄情なほどの静寂なモーニング・ムーン────