もっと早く

2006/08/25



 耳元で、名を囁く声に幸福を感じる。
 交じり合う汗が、境界線を曖昧にしていく。
「っ……つ、あ」
「ユウ、明日任務?」
 上から見下ろすラビに、少しだけ目蓋を持ち上げてやる。応えるのも億劫なほど身体が重かったが、なんとかあぁと頷いて彼の髪を梳いた。
「そっか、残念。もう一度したかったけど、無茶させらんないさね」
 そう言ってラビは神田の頬にキスをする。その小さな動きにさえも反応して、喉を鳴らした。汗で濡れた身体に黒髪がまとわりついて、なんとも色っぽい。
「別に……構わねぇよ……気の済むまですりゃいいだろ」
「わぁ、ユウちゃんダイタン。そんなコト言われたら、さすがのオレだって、我慢利かなくなるさ」
 我慢などするな、と言ってやりたい。
「……ラビ」
 伝え切れなくて、ラビを引き寄せるだけになってしまう。
 もういつものことだったけれど、情けないと思う自分は、やはり感情を言葉で表してみたいと思っているのだろう。元々感情を出すのは苦手な方だと、神田は自覚していた。
 言葉にしたいと思う感情など、今まで負のものしかなかったものを。
「来いよ、……ホラ」
 挑発的な瞳で煽ってやった。
 どうしても甘ったるい関係にはなりきれず、かといって冷め切っているわけでもなく。ギシリと啼くベッドは、曖昧なマドリガル。
「ん……」
 女性のそれのように柔らかくはない口唇同士が重なり合う。吐息を閉じ込められて、くぐもった声が上がった。
「ユウ、ごめん酷くしちゃうかも」
 こんなに優しいキスをしておいて何を、と言いたかった音は、喉で止まってしまった。繋がったまま身体を反転させられ、引き攣れた痛みに眉を寄せる。
「っつ……ラビ、てめぇっ……なにを…!」
 答えが返る前に背中に体温を感じた。彼にしては性急すぎる。腰を打ち付けられて、快楽に混じる痛みに耐えた。ぎゅうと握り締めたシーツは、唯一縋れるもの。
「う、あっ……あ、あぁっ」
 この痛みに慣れるには、あとどれだけ身体を繋げたらいいだろうか。
 恋人同士、なんて甘いものではなかったが、ラビがこんな風に抱いてくることは一度もなかったのに。
「んっ……はぁ……っあ、ラ、ビ……っ」
 肩を引かれ身体を起こされる。抉られる部分が変わって、小さく悲鳴を上げた。ラビの膝の上で身体を揺さぶられ、痛みと共に快楽を探り出す。
「バ、ッカ、これ、イヤだって……言ってんじゃね……かっ」
 重みを感じることのできない体勢が、ひとり取り残されたような錯覚を起こさせる。
 それでもラビは、構うことなく神田の身体を揺さぶった。
「ユウ……」
「んっあ、あぁっ……あ、ラビ、ラ……ビ」
 なにかあったのだろうかと、訊きたくてもこんな状態では訊けやしない。
 快楽に流されることで、力にさえなれない自分を諦めた。






「本当は、誰かひとりに執着したらダメなんさ」
 身体をつなげて何度目か、体温を覚え始めた頃。隣に寝転ぶ男から放たれた言葉に、神田は思わず顔を上げた。
 気怠い身体を起こして見下ろしたら、視線がぶつかって固まった。僅かの戸惑いと、少しの諦めと、緑の瞳いっぱいの後ろめたさ。
「さっきジジィに釘刺されちゃった。ブックマンは中立の立場なんさ。誰の敵にも、味方にもなれない。だから、こんな風に誰かと夜を過ごしても、二度目があったらいけない」
 その相手が、誰であろうと。
 ブックマンという立場において、敵もなく味方もなく、感情を預けることなど、許されない。
「ユウとは……ねぇ、何度目だろう?」
「……ラビ…」
 小さく呼んだ声は、音になっただろうか。届いたのか届いてないのか、男は苦笑を返してくる。
 ラビが、ブックマンの継承者だということは知っていた。
 だけど、彼が今、黒の教団に属するエクソシストだということも、事実だった。
「ユウを好きだよ。言ったことなかったし、世界を敵に回したらきっと怖いけど、それでも」
 あなたを好きだと叫びたい。全身全霊で、きっとあなたを愛す。
「ユウはオレをどう思ってるんだろう? 嫌いなヤツに身体を許すようなひとじゃないって知ってるけど、全部を捨てても構わないなんて、きっと思えないさ?」
 頬を隠した黒髪をそっと払われて、心臓が締め付けられる。
 明るい髪色に不似合いな、諦めた瞳の色が見えた。
「オレも全てを捨てるなんてできないよ。どうしよう、お前を愛しているのに」
 泣き出したいのか、もう泣いているのか、ラビは目を手のひらで覆った。拒絶されている様で、身体が冷える。
「いつまで、いったいいつまで、お前に触れることができるんだろう」
 確証のある関係ではなかった。こんなに不安定なものだとは思ってなかった、それが敗因。
「ごめんユウ、こんなことに巻き込んで。本当にごめん」
 愛しているよ。
 そう呟いたラビの、覆い切れなかった瞳の端から雫が流れラインを作る。
 す、と神田の頬を、同じようにラインを作るものがあった。
「そういうことは────もっと早く言えよ」
 愛していると、告げる前に世界に奪われる。
 抱きしめることさえできずに、泣き笑う。



 流れた雫を溶かすこともできない夜のとばりが、ふたりを包んでく。
 幸福な気持ちでふたりが触れ合うことは、もう────なかった。