白のアジュガ

2006/08/12



 自分の気持ちを自覚してから、二ヶ月くらい経っただろうか。
 あの日から友達じゃない関係になって、親友だったアイツは、俺の大切なヤツになった。
 肩を抱かれるのも、とろけそうに優しい笑顔を向けられるのにも慣れてきた。
 あれから、何度もキスをしてきた。
 廊下ですれ違う度に。眠りにつく前扉の外で。任務に出る前帰って来た後、何度も何度もキスをした。
 慣れてきた、とは思う。アイツの口唇の感触はもう覚えてしまったし、キスの仕方だってちゃんと覚えた。
 こんな事、するようになるなんて、したいと思うようになるなんて、考えた事もなかったんだ。




 おかしい、と思ったんだ。ラビの様子が。
「じゃあユウ、おやすみ」
 修練が終わって、風呂から自室へは、俺の部屋を通らなければヤツの部屋に行けない。連れ立って、俺の部屋の前で別れるのは、別におかしくはなかったし、それが至極自然な流れだ。
「ラビ」
 おかしいのは、そこから。
 ヤツが少しも触れてこない。
 少し前までは、別れ際にキスをしていたのに。
「また明日ね」
 笑ってそう言うだけで、ラビは背を向けた。
 呼び止めることもできずに背中を見送る。
 何かあったのだろうかとベッドに沈み考えるのが、最近の日課のようになってしまっていた。
 離れてた間の分、たくさんのことを話したいのに。できなかった分、たくさんのことをしたいのに。気づかなかった想いの分、たくさんの言葉で伝えたいのに。
「……」
 深いキスだってもう抵抗を感じるどころか、して欲しいとさえ思う。あまり巧くはないが、自分からも舌を絡め返してみたりする。
 もしかしたらそれが気に入らないのか。
 もしかしたらもう、好きではなくなってしまったのだろうか。
「やべぇ泣きたくなってきた」
 アイツも、俺を好きだと言ってくれた。ずっと好きだったと言ってくれた。
 俺も気づかなかっただけで、ずっと、何年もアイツが好きだったんだと思う。
 再会したあの日、その場限りの感情じゃなかったんだ。
「なんでだよ、ちくしょう……」
 もう、しばらくキスをしていない。
 抱きしめてさえくれていない。
 作ったような笑い顔が、目蓋の裏をちらついた。


 触れたいと思うのは、俺が悪いわけじゃねぇ。







 今日も、昨日と変わらない。修練終えて風呂入って、連れ立って自室への道を歩む。
 別に俺といるのがイヤなわけじゃないみてぇだな。だったらなんでだ。
 今日こそ、原因を訊いてやる。
 なぜ触れてこないのか。そんな作ったような笑顔を向けるのか。
「んじゃ、ユウここでね」
 おやすみと言いかけたラビの服を引きつかんで、部屋の中に放り込む。よろけたラビを扉に押し付けて、その口唇を覆った。
「ユ……っ」
 しまった、順番間違えた。先に訊くはずだったのに。
 ああ、でも。
 久しぶりに感じるな、この感触。もうずっと長いこと、触れてなかったようにさえ思う。
「ん、ちょ、待ってユウ、ダメさ」
 グイと肩を掴み押し戻され、長く感じることはできなかったけれど。
 その離れた距離からラビを睨みつけて、心臓が鳴った。
「ごめん、ごめんユウ」
 なんて顔、してんだ。
 イヤなのか? やっぱりもう、俺を好きじゃなくなったのか?
「ラビ……なんでだ? 俺のこと好きだっつってただろ! なんでいきなり、ダメとか、そんなん……っ」
 今さらそんなことを言われても無理だ。
 もう情けねぇくらい、お前を好きなのに。
「俺、その、キスとか、下手……だと思うけど、なんで……っ」
 どうしてこんなに急に、触れてもらえなくなったんだ。男だからか? 女みてぇに可愛くもねぇし、胸もねぇし、触ったって筋肉ばっかで面白みもねぇんだろうけど。
「もう、き、嫌いになったのか? なにがいけねぇんだ。ラビ、直すから、俺」
 くそっ、泣きたくなってきた。
 信じられねぇ、俺がこんな、色恋ごときでこんなに動揺するなんて。ラビが好きだって気づく前は、馬鹿馬鹿しいって思ってた。教団は戦争のために俺たちを庇護しているわけで、戦いに身を置いていればそれで良かったのに。
「ユウ、違うんさ、ユウは何も悪くない」
「ほ、他に好きなヤツができたのか」
 考えたくない。だけどもう、それしか考え付かなかった。
 コイツしかいない、と思うほど、俺は溺れているのに。
「ユウ、違う!」
「もういい! 勝手にどこの女んとこにでも」
 突然だった。両腕を掴まれて、強い力で引き寄せられる。
「んっ……!?」
 気がつけば口唇を、キスで塞がれていて。
 待ち焦がれたものだ。ずっとして欲しかった。抱きしめて、口づけて欲しかった。
「ん、んっ……ぁ」
 熱い舌先が入り込んでくる。いささか急すぎる、と思ったそれを受け入れて、ラビのシャツにしがみついた。
 捕らわれて意識が霞む。抱き寄せられて吐息が潤む。
「んん、ラ、ビ…っ……?」
 いつもと違う、と思った。いつもはこんなに烈しくない。
「んっ、んん、……っん!」
 かき回すようにうねる舌。食らうように吸われて、喉が鳴る。強く抱きしめられて、痛みが混じった。
 息ができない。
 酸欠のせいか、ぼぉっとしてきやがった。
「ん、はっ……ふ、ん、っ……」
 なんだよ、こんなのしたことねぇ…っ……!
 ラビ、なんで。
 なんでこんな意地の悪いことばかりするんだ。
「んんっん……!」
 キス、してもらって嬉しいはずなのに、なんで怖いなんて思うんだ?
 怖い。怖い、こんなキス、知らねぇ。
 怖い……もう立ってらんねーよ…! どうにかなっちまう……っ!
「んぁ……や、も、っん……ん、ん…!」
 ガクガクと膝が揺れる。なんで。どうなっちまったんだ、俺。
 なんでラビは、こんなこと。
「らび、や……っいや、だ…っ」
「────!」
 呟いたそれは、声になったのかならなかったのか。
 突然に解放されて、俺はそこに崩れた。脚に、腕に力なんか入らなくて、口の端を伝う唾液を拭う余裕さえない。怖くて悔しくて、我慢していた涙が溢れる。情けなさで、更に煽られた。
「っ……んで、なんで、ラビ……っ」
 どうしてこんなことを。
「……ごめんユウ。でも、分かっただろ? オレはユウを傷つけたくないんさ」
 何を分かれと言うんだ。もう充分に傷ついてる。
 もう、終わりだということか。気づかなければ良かった、こんな気持ち。
「今は、傍にいるのもちょっと辛い」
 こんなに早く終わるなら、知りたくなかった。好きだと思う心なんて、知らなくて良かった。
 結局戦うしか、生きる道がなかったのに。
「もう……いい。出てけ」
 これ以上惨めになりたくない。
「ユウ、あの、ごめんオレ……っ」
「出てけと言っている!!」
 こんなに痛む心臓お前にやるから、頼むからもう、出て行ってくれ。こんな情けない俺を、お前に見られたくはない。
 お笑い種だ。こんな風になってもまだ、お前が好きだなんて。
「ユウ、聞いて。オレほんとにお前が」
「何も聞きたくない! 出てけよ、早く!!」
「ユウ!」
 力の入らない腕でラビを追い出して、バタンと扉を閉めた。扉の向こうにしばらく戸惑った気配はあったけど、やがてそれも消えた。
 もう触れてくれない。抱きしめてもくれない。きっと笑いかけてもくれないんだろう。
 泣くのは今日だけでいい。明日になったらいつもどおりで、そうだ、アイツを鼻で笑ってやるくらい、できるはずだ。
「うっ……ぅ、く……」
 好きだなんてもう、絶対言わない。