白のアジュガ

2006/08/12



 だが、いつもどおり以前のように、など、うまく行くはずもなかった。
 セックスをしたい。そんなことを言われて、意識するなという方が無理な話だ。
「…………」
 神田の熱はもう下がっていたし、食事だってまともにできるようになっていたけれど。幸か不幸か、お互いが別の任務に借り出され、一週間近く顔をあわせていなかった。
 神田が病み上がりだったせいか、割と近場で大した任務ではなかったが、ラビの方はまだ戻ってきていない。ゆっくり物事を考えるには最適かも知れないが。
 関係が終わったと誤解し、それでもラビを想って眠れない、ということはなくなったが、今度は逆に、ラビとのこれからを思って眠れない。神田は深く息を吐いた。
 ────男同士って、どうやってするんだ……
 ラビは【頭のスミででも考えておいて】と言っていたがとんでもない。頭の隅どころか、今ではもうほとんどがその行為に対しての思考で埋まってしまっている。
 ────やっぱ、痛ぇのか? ああ、くそっ、なんにもわかんねぇ……!
 ごろり、と横になる。見ていた天井は視界から外され、鉄枠の窓が横取った。今頃彼はどこにいるのだろうか。戻ってきたラビと普通に接することが、果たしてできるだろうか。
 任務で別れる前にしてもらった口づけは、やはり以前と比べて熱かったような気さえしてくる。神田は、そろりと口唇をなぞった。
 変な気分になってくる。
 自分がこんなことを考えるようになっているなんて知ったら、彼はどうするだろうか?
 ────あー、ちょ、もう、信じらんね。アイツがあんなこと言うからっ……。
 もっとキスをして欲しい、とは思う。もっと触れて欲しい、とも思う。だけどその先の行為を、まだ怖いと思ってしまう。男同士でどうするのかなどと、まさか誰かに訊くわけにもいかない。どうしても知りえない、未知の領域だ。
 それを考えると、やはり怖いと思ってしまう。
 何をされるのか、何をするのか。どんな感覚なのか。そのとき自分はどうなってしまうだろう。
 きっと冷静ではいられない。
 今でもこんなに心臓が速いのに、もしそんなことになったら、心臓が破裂してしまう。
 ────でも、アイツ……ずっと、我慢してんだよ、な。
 いつからなのだろうか。神田に対して、そういう劣情を抱いていたのは。
 ────俺そーいうのよくわかんねぇけど……結構ツライんじゃねーのか…?
 それでもラビは、無理やりにはしたくないと言ってくれた。誤解が解けた後も、以前と同じように微笑んで、キスをしてくれた。我慢しているらしいことは、少し強張った身体から伝わってきたけれど。
「ラビ……」
 応えてやりたい、と純粋に思う。こんな、柔らかさの欠片もない身体を、抱きたいというのなら。それで、ラビが喜んでくれるなら。
 後少しだけ、時間が要るかも知れないけれど。





 ラビが帰還した、との報せを聞いたのは、夕方をだいぶ過ぎた頃。さすがに胸が高鳴った。
 どんな顔をして逢えばいいんだろうか。いつものように笑ってくれるだろうか。キスをしてくれるだろうか。まだその先の行為を怖いと思っていても、怒らないだろうか。
 逢いたくもあり、逢いたくなくもあり。
 それでも神田は、ラビを出迎えるために部屋を出た。
「あ、ユウ」
 部屋を出た途端、恋人と出逢う。
「ラ、ラビっ?」
 正直、困った。こんなにイキナリでは、心の準備というものをしていない。上ずった声が飛び出した。
「ただいま」
「お、おか、おかえり」
 どうしても、意識してしまう。きっとそれはラビも気づいていて、呆れているに違いない、と神田は顔を背けた。遅かったな、と呟きながら。
「うん、ちょっと。敵さんいっぱいいてさー。ユウの方はすぐ終わったんだろ?」
 苦笑しながらラビは、さり気ない雰囲気を作り出そうと努力する。神田が変に意識しているのは嫌でも伝わってしまうし、ぎこちないのも解かってしまう。できるだけ自然にしなければ、せっかく縮んだ距離がまた離れていってしまうと思った。
「あ、ああ」
「怪我しなかったさ?」
 深い関係になりたいのはやまやまだけれども、急いで壊れてしまったら、元も子もないんだ。
「平気だ。お前は?」
「ん、ダイジョブさ」
 ほらこうやって、少しずつ普通に話せるようにすればいい。
 食事がまだだったため、二人で一緒に食べに行こう、と誘えば、あぁと頷いてくれる。やっぱりこの人が大好きだ、と思って笑った。




 食事を終えて自室に戻る時、神田を部屋まで送るのが、もうラビのクセになってしまっているようで、ふたり、共に歩く。何気ない会話を交わしながらも、神田の意識はラビへと集中してしまう。
 意識して見てみると、思っていたよりバランスのいい肉体なんだと。服の上からでもわかる、無駄なくついた腕の筋肉とか。身体の中心である腰、とか。そこから伸びた脚、だとか。
 手だってもう男らしくて、自分のものとは違う。
 この腕が自分を抱きしめるだけでも心臓が跳ねるのに、この手が自分の肌を滑ったら、いったいどうなってしまうのだろう。
 こうして離れて声を聞くだけでも心臓が踊るのに、もしあの声で耳元に囁かれたら、いったいどうなってしまうのだろう。
 何でもない振りして隣を歩くこの男は、どんな風に自分を抱くのだろうか。
 そんなことばかりが、頭を巡る。
「……ユウ、勘弁してよ」
 神田の部屋まであともう少し、というところで、ラビが会話を途切れさせた。え、と顔を上げる暇もなく、肩を押されて壁にぶつかる。
「んっ!?」
 口唇の温度を確かめる前に、入り込んできた舌に意識を奪われる。両手で押さえつけられた肩は壁に押し付けられて、少しだけ痛みを感じた。
「んっ……んん!」
 ラビのしたいことは解かっていても、まだそこまで気持ちが到達できていない。怖いと思う気持ちは前より薄れたが、心の準備ができていない。
「ん、ぁ……っは」
 触れる口唇の角度が何度も変わって、その度に呼吸をしようと思うけれどうまくいかない。ラビのシャツにしがみついて、そこに立っているだけで精一杯だった。
「っは、はぁ、はあっ……」
 ゆっくりと口唇が解放されても、ラビが今どんな表情をしているのか、確認することもできない。
 ラビは神田の両腕の横に手をついて、顔を背けた。
「ユウ、頼むからそんな顔してオレのこと見ないで欲しいさ。我慢できなくなりそ……」
 搾り出すような声が、本当に我慢しているのだということを伝えてくる。手をぎゅうと握り締めて、これ以上触れないように我慢していることも、神田は今になって気づく。
 ラビ、と呼んで抱き寄せてやりたいが、勇気が出ない。
「ごめんユウ、今日は……ここまでしか送れないさ」
 視線すらもくれないで、ラビは神田に背を向けた。緊張の糸が切れ、ズルズルと壁を伝い座り込んでしまった神田には、足早に去っていく背中を、最後まで見送ることができなかった。
 なんて。
 なんてキスを。
 以前のものより数段情熱的で、激しくて、それなのにどこか幼く感じられた。
 ────マジ、死ぬ。
 身体が熱い。顔が熱い。鼓動が速い。
 こんなに動揺して身体が内部から破裂してしまいそうなのに、その先の行為を考えてしまっただなんて、とてもじゃないが信じられない。
 つい先日まで考えたこともなかったのに、意識しだしたらこんなにも。
 もしかしたらラビよりも自分のほうが、考えてる時間が多いのではないだろうか。
「ってゆーかキスだけでこんなんなってんのにその先なんて……できるわけねぇ」
 だけど神田も、もう自覚し始めていた。できない、できるわけがないと口では言っていても、心のどこかでその行為をしたいと……思い始めていることに。
 あの腕は、どんな風に自分を。
 あの声は、どんな風に自分を。
 あの瞳は、どんな風に自分を。
「ラビ……」
 いつでも、そう思ってラビの姿を追ってしまうことに。




 あまりよく眠れなかったな、と部屋を出る。軽くあくびをすると、クスクスと笑うリナリーに出逢った。眉を寄せて、じろりと睨んだ。
「おはよう神田。珍しいね、もうお昼に近いよ。眠れなかったの?」
「……少し」
「さっきラビにも逢ったけど、おんなじようにあくびしてたわ。ラビもまた眠れなかったのね」
 ちゃんと寝なきゃダメよと頬を膨らませるリナリーに、また?と聞き返す。ラビの方も、何度も眠れなかった日があるのかと。
「冗談はよして神田。あんなに傍にいるあなたが、気づかないわけないじゃない。ラビの目、いつも赤いのに」
 顔なんかまともに見られなかった。気取られそうで、そんなところ見ていられなかったんだ。
 ────眠ってねぇのか、ラビ。
 昼も夜も神田への情欲を我慢し、眠れないほど耐えているのか。
 神田は俯いて口唇を噛みしめた。
「アイツ、今どこにいるかわかるか?」
「さぁ、どこだろ……部屋にいなきゃ書庫か修練場でしょ」
 ラビの行きそうなところなど、きっと神田が一番よく知っている。そうかと頷いて、書庫へと、足を向ける。ご飯は?と背中でリナリーの声を聞いて、後で食べる、と興味もなさげに返してやった。



 綺麗なひとだ、と思った。
 ドアの隙間から覗き見る、鮮やかな髪の色。一度見たら、目に焼きついて、きっと忘れられない。
「…………」
 本を読んでいるときの彼には、声をかけ辛い。彼は次期ブックマンとなるはずの人間だったし、そのために記録しなければいけないことは、神田が思っているよりきっとたくさんあるはずで。
 ここから見る様子に代わりはなかったが、それでも時々、カクリと頭が揺れる。睡魔と闘う状態で、読んでいる文章は頭に入っているのだろうか。ラビにとっては、大切な【任務】なのだろうに。
 それを邪魔する睡魔は、明らかに自分が原因だ。
 神田はドアをそっと閉め、背中を預けた。
 睡眠不足で元気のないラビなんて見たくはないし、【任務】の邪魔をするなんて、もっての他だ。
 ……今彼の睡眠を邪魔しているのが、自分との行為が原因なのだとしたら、いや十中八九それなのだが、望みが叶ったら少なくとも我慢して眠れないことはなくなるだろう。
 自分が、あと少しだけ勇気を出せば。
 そうすれば、全てが解決するじゃないか。
 ラビも寝不足にならずに済むし、自分だって妙なことを考えずにゆっくり眠れる。
 神田は、天井を見上げてふぅと息を吐いた。
 高鳴る心臓は、抑えることが難しい、と思って。