言葉までの距離

2005/08/13



 司令室を出たところで、逢いたくない視線にぶつかった。かれこれ、二ヶ月ぶりに。
 息を呑み、絡んだ視線から逃げ出したのは、神田の方。
「ユウ!」
 それを追ったのはオレンジの。
 カツカツと石畳が鳴る。お互い本気を出せばすぐにこの教団内など五分で軽く一周できた。それをしないのは、どこかこのチェイスを楽しんでいるところがあるらしい。
「追ってくんなよ、馬鹿!」
「無理言うな! なんで逃げんのさ、ユウ!」
「っつ……」
 手首を掴んだラビがその背中を壁に押し付けたせいで、神田の黒髪が不用意に揺れる。
 正面から向き合っても尚視線を合わせないように顔を逸らす神田に、ラビの周りの空気が二、三度下がった。
「なんで、逃げんの」
「……逢いたくねェからに決まってんだろ」
 腹の底から搾り出す声。喉が潰れそうで、舌を打った。
「────」
 一瞬瞠られた目が、次第に細められていく。
 それに気づいて、神田はしまったと思う。一度本気で機嫌が悪くなると、浮上させるのに時間がかかるコトを、知っていたはずなのに。
「…っ、ラビ…!」
 グイと腕を引かれる。そのままツカツカと歩き出すラビの背中を眺め、口唇を噛んだ。
「離せ…ラビ…っ」
「ダメ。オレ怒ってるんさ」
 痛いと言うより先に、後をつき歩くしかなかった。掴まれたその手のひらの熱さに、吸い込まれそうな眩暈を起こす。
早鐘のように鳴り続ける心臓の音を、自分のものじゃないと願いながらコクリと唾を飲み込んだ。







 ガッと開かれた扉。放るように腕を薙ぎ、乱暴に閉めた扉に、息をつく間もないほどの勢いで押し付けられる。
「ラビッ!」
「ユウ、黙って」
 背中から自分の身体で圧しつけて、前に回した手で団服のボタンをピッと弾いた。
 息を呑む。これから自分の身になにが起こるのか、分からないほど馬鹿でもなかった。必死に身をよじるが、力の差というものはどうしても出てしまって。
「ユウに触んの、二ヶ月ぶりさ。寂しかったんじゃないの?」
「馬鹿言うなっ……あっ!?」
 引き開かれていく団服。露にされていく胸元。隙間から滑り込んだ手のひらが、焼けるように熱い。
 すでに硬さを誇る胸の飾りを指で押しつぶし、首筋をぺろりと舐める。息を呑むようなあえやかな悲鳴が耳に届いた。
「バカッ、何も……こんなトコで!」
「ユウが悪いんさ。逢いたくなかったなんて、嘘つくから」
 それでも部屋まで我慢したんだから褒めて、と熱い身体を押し付ける。
「身体はこんなにも正直なのに」
「…っそじゃね………! てめェなんかに逢いたくねぇよ…!」
「……んで、…なんでそんなこと言うんさ! キスだってエッチだって、もうたくさんしてんのに!」
「っひ…!!!」
 ぎゅう、と握りこむ。突然の刺激に神田がのけぞった。
「う、…っ……んぁ、ああッ」
「ユウ、声押さえてな。外通るヤツらに聞かれるさ…っ」
「やっ……ラビ……ん、ぐぅ…!」
 好き放題に下半身をまさぐる手を押しのけたくて、でもラビの与えてくる快楽を、覚えてしまった身体がそれをさせてくれなくて。
「ち…くしょ……ダイキライだ…てめェなんか…っ」
「愛してるって、言って」
「嫌いだって言ってん……ひぁうっ…」
 前を開けただけのズボンの中に手が入り込む。無遠慮に滑る指に我を忘れた。



 嫌いだ。大嫌いだ。オマエなんか。
 こんなバカみたいな行為の途中に吐かれる言葉に、何の意味があるというんだ。



 ふるふると首を振る。パサパサと髪が揺れて、ラビの頬に当たった。それを引き掴み、口づけるラビ。
「無駄。髪の一本まで、オレのもんさ」
「んんっ…ん、ぅ…くふ…」
「ユウ…すげぇな……もう指、入りそうさ」
 耳元での荒い息。ペースが崩される。


 大嫌いだ。こんな自分。


「いやっ…だ…ラビ……」
「マジ、余裕ねェさオレ。二ヶ月ぶり、しかもユウからは拒絶の言葉しか出てこねーし。こんなドロドロ先走ってんのにさ〜」
 ぐちゅりと嬲るラビの指。
 カァ、と頬が紅潮する。自分の痴態をあからさまに知らしめられ、いっそこの男を切り殺してしまおうかと思った。
「……っオマエといるとおかしくなるんだよ!! 浅ましすぎて吐き気がする!」
 ぎり、と扉にツメを立てた。焼け付くような喉が、泣きたがっていることを神田に告げる。
「…ユウ?」
 くすぶっていた感情が、堰を切る。
 逢いたくなかった。
 逢いたくなんてなかった。



「オマエの顔見るたび、オマエに触りたくなる! キスとか…それ以上の…想像してんだぜ!? おかしいだろ、普通!」



 関係は些細なことから始まった。半分くらいの性欲と、残り半分興味本位と。
 手を伸ばしたその先に、お互いがいただけだ。
 きっと、そうに決まってる。
 我慢しきれなくなった瞳から、最初の水分。
 一度流れ出したそれが止まることはなく、頬を伝い顎から、地に落ちていく。快楽に流された涙なのか、それとも、もっと別の。
「オマエになんて……逢いたくねぇ…っ…なんで…こんなっ…」
「………ユウ、ちょっとこっち向いて」
「触んな…っ…」
 ぽたりぽたりと涙の伝い落ちる顎を取り振り向かせ、ラビは。
「んんっ…」
 あやすような、ディープ・キス。
 ねっとりと湿った音が耳にこだまする。その音だけでも、もう。
「んぁ…ふ」
「ユウが…落ち込むコトないんさ。そういう風に仕込んじゃったの、オレだもん」
「…らび…?」
 離れていく口唇。濡れた吐息が、名残惜しい。


「ただ、気持ちまでオレに向かせること、できんかったみたいだけど」


 え?と振り向く。だけど今度はラビの方が、視線を合わせてくれなかった。
「やっぱさ……身体のカンケイから入るべきじゃねぇさ…」
「なにを……言っ…て」
「オレは、ユウが好き」
 ごめん、と絡みそうな視線をわざと逃す。熱のこもった身体が離れていくのを、嘘みたいに眺めた。
 動かないでいる神田に苦笑して、すでに萎えた神田の体液を拭き取って、膝の裏に腕を差し入れ抱き上げる。
「任務帰りで疲れてるさ? ゆっくり休むといい」
 そう言ってベッドに横たわらせ、流れた涙を拭い取る。
「ユウ、オレ欲張りみたいさ。身体だけじゃ、怖い。ユウを繋ぎとめることはできても、離れていかれるの、怖いんさ」
 ごめん、の三文字が、右から左へすり抜ける。見慣れたはずの天井が、やけに黒く見えた。
「身体だけくれるユウの傍にこのままいられるほど、オレはデカいオトコじゃない」
 三度目の、ごめん。
 背を向けて歩き出すラビを、引き止めるコトができなかった。
 ぱたんと静かに閉ざされる扉。
 指も腕も動かなくて、口唇だけが無情に動く。



「……っ…、っ…」



 喉が焼ける。心臓が焼ける。
 こんなとき、縋らせてくれた腕はもう、傍にない。