言葉までの距離

2005/08/13



 きっと長く一緒にいすぎたんだ。
 リナリーの部屋に半ば強制的に入れられ、神田はサイドチェアに腰掛けた。少し散らかってるけれど、とは言われたが、枕元に積み上げられた本や様々な資料は、きっと彼女の中に知識としてきっちり整頓されているんだろう。もちろん、自分には到底貯蓄できない知識量だ。
 食物を摂取する気などもうなかったが、薬が飲めないでしょうと、無理やり食べさせられた。
 こんな風に世話を焼きたがる彼女は、どこかラビに似ていて、否応なしに昨日の事を思い出させられる。
 ガンガンと痛む頭は、きっと寝不足のせいだけではない。
 怖くなるくらい一緒にいすぎて、お互いしかいなくて、錯覚させた。
「ふぅん。男の子同士でもできるってのは知ってたけど、神田とラビがそうだとは気づかなかったわ」
 科学班をサポートして、他のエクソシストたちよりは、彼らを見ている方だと思ったけれど。自分もまだまだ未熟だと、リナリーは心で呟く。
「同じ男だからな。どこがどう気持ちいいか、なんて手に取るようにわかんだろ」
 そして、溺れた。
 快楽に酔い、囁かれるまやかしの睦言を、行為の付属物だと位置づける。
「欲しいと、思うの?」
 この女は驚くほど頭の回転が早い。揶揄うでもなく蔑むでもなく、静かに緩やかに、促してくれる。
「………ああ」
 自分でも恐ろしくなるほど、あの男を欲しがった。
 顔をみれば熱のこもった行為を思い出し、身体が疼く。
 口づけなんかされたら、我を忘れて貪りそうになってしまう。
「おかしいだろ。どう考えても」
 快楽に溺れ、同じ男を欲しがるなんて。
「そうかしら。その人が好きなら別におかしい事だとは思わないけれど」
 冷めかけた紅茶を含みながら、リナリーは僅かに目を伏せる。
「おいリナリー…さっきも言っただろう、オレとヤツの間にそんな甘ったるい感情、ねぇんだよ」
 頭から否定する神田に、リナリーはキッと睨んでみせた。
「言った事はないの? 言われた事はないの? ねえ、好きだって」
「そんなの、どんだけ意味があるんだよ? 最中にしか吐かれねぇ言葉に!」
 そんなものに、一体どれほど真実味があるのだろう。
 昨日だって言われた。自分が吐いた拒絶に、苦し紛れの徒言葉。
 背を向けて去っていった男の言葉など、耳に残しておきたくはなかった。
 だけど、残るあの声、ごめんの三文字。
 最後の、言葉。
「何よ、結局それが気に食わないんじゃない。抱き合ってる時しか、ラビが言ってくれないから!」
「なっ……なんでそうなる!」
 珍しく声を荒げたリナリーに、神田もカッとなる。
「神田がラビを好きだからよ」
 当然至極、とでも言うように、リナリーは視線でユウをつき殺す。
「ラビが好きなんでしょ!? ラビだから欲しいんでしょ!?」
「ふ…ざけんな!!」
 がたりと立ち上がるユウにも動じず、
「ふざけてないわよ、私は」
 ふざけているのは神田の方でしょう、と続けた。
「気づいて逃げてるの? 気づかないで逃げてるの?」
「気づくも何も、そんな感情自体持ってねえって言ってるだろ!」
 ラビに対して何か感情を持っているとしたら、それは後ろめたさ。
 身体を開いた事に、感情もないのに身体を繋げた事に、それなのに身体を求めている事に。
「身体だけが後ろめたいのなら、せめて自分の感情と向き合おうって努力くらいしなさいよ意気地なし!!」
「意気地なしだと!?」
 そんな風にまで言われて、黙っていられる人間は少ないはず。それに加えて、神田という人間は短気極まりない。
「間違っていないでしょう!? ラビに触れたくて、でも『最初から身体だけの関係だった』なんて理由で、自分気持ちから逃げてるだけじゃない!」
「黙れ!」
「そんなだから、ラビに愛想尽かされるのよ!」
「黙れと言っている!!」
 神田の六幻が抜刀される。
 感情に任せたそれは、高速スピードで曲線を描き、リナリーの黒髪を掠め喉元を攻撃した。
 肌の数ミリ手前で止まった六幻の切っ先は、窓から入り込む陽の光に当てられ、きらりと光る。
「それ以上言ったら…犯すぞ」
 リナリーはその間中、ぴくりとも動かずにいた。
「やれるもんならやってみなさいよ」
 彼女は真っ直ぐに射抜いてくる。こんな真っ直ぐな視線も、あの少年が彼女に惹かれる理由のひとつだろうか。
「あなたなんかにどうにかされる程、弱くないわよ、私」
「…っ」
 神田はその瞳の力に圧倒されて息を呑む。
 実際、そんな事をする甲斐性も、また気力もなかった。
 す、と六幻が動く。ちゃきりと鞘に収められた刀を、ぎゅうと握りしめた。
「…もう、いい」
 そのまま深く俯いて、ドアに向かって歩き出す。
「神田!」
「もういらねぇ…あんな男」
 大本のそこから逃げてしまうのか、とリナリーは立ち上がる。
「滅多な事を口にしないで!」
 失ってから取り戻すのは、何よりも難しい。
 自分からなくそうとしないで欲しいとリナリーは思う。
「…だったらケリつけて来てやるよ」
 背を向けて、神田は言葉を投げる。
「神田っ…!」
 扉の向こうに消えた神田を呼んでも、彼に届く事はない。
 逆効果だったかと、リナリーは後悔した。それでも、言わずにはおられなかったのだ。
 幸せになって欲しかった。
「なんで……助けてって言わないの…」
 あの人は。
 あの人たちは。








 ケリをつけてやる、と言ったものの。
 何をどうすればケリをつけたことになるのかと、勢いの良かった足取りが、次第に速度を緩めていった。
「……」
 逃げているのか、と言われれば、確かにそうかも知れない。
 任務に就かせてもらえなかった幼い頃は、決められた約束事のように一緒にいたし、それこそ毎日のように、共に修練を繰り返していた。
 初めて身体を繋げたのはいつのことだっただろうか。あまりに遠くて近くて、覚えていない。
 覚えているのは、暑い暑い日差し、汗で滑るお互いの身体、壊れるかと思うほどの衝撃。
 いつしかそこに快楽を見つけ出し、そして溺れた。
 だけど。
 だけどまだ間に合うだろう。きっと間に合うはずだ。
 ごめんの三文字を、自分も言わなければならない。
 気持ちがないのなら、否、気持ちがなければこそ、このまま続けているわけにはいかないのだ。
「……逃げて…ねェよ…」
 誰に対してのいいわけなのか、神田はぼそりと呟いた。
 ガンガンと痛む頭を押さえながら、廊下をひた歩く。彼の部屋へと。何度も身体を重ねた、あの部屋へと。







 だけど部屋のドアを開けても、そこに赤毛の男はいなかった。
 任務任務でなかなか身を留めない故の、そう広くはないエクソシストの部屋だ、会話大の声で一度でも呼べば、聞こえないはずはないだろうに、声は返ってこない。
 眠っているのだろうかとベッドに目を移してみても、そこに男の姿はなかった。
「…ラビ?」
 神田はデスクに置かれた時計を振り返り、そうかこの時間帯ならと踵を返す。向かう先は食堂だ。
 ガンガンと痛む頭。ズキズキと疼く心臓。
 決別は、もう、すぐ。