言葉までの距離

2005/08/13



 ぱたりと背で閉められるドアは、神田の部屋の物ではなかった。無数の本が乱雑に積まれた、この部屋の主は、裏歴史を語り継ぐものの後継者として位置づく男。そう────ラビの。
 ドサリとベッドに身を沈め、天井を見上げてみた。小うるさい幾科学の天井が、どうしてか心の中を整理してくれる。ここ数日というもの、神田はこの部屋で過ごしていた。任務も下されなければ、共に修練をする相手もいない。たった一人ではやはり身の入り方が違い、六幻もシンクロ率を上げてくれなかった。
「……ラビ…」
 その男の存在が残るこの部屋。
 あまり居つけないくせに生活感溢れた部屋は、自分の寒々としたそれとはまるで違う。自分と、あの男とは、全く別の生き物であるのだと、実感させられる。
「欲しい……」
 別の生き物。
 別の体温。
 別の存在。
「…欲しい……」
 ラビが欲しい。
 ラビが欲しい。
 ラビが、欲しい。
「全部…欲しい」
 ラビだから欲しい。
 他の女を抱く気にはなれないし、他の男を欲しいとも思わない。
 あの人が欲しい。
「……っ」
 疼く身体に気づく。熱が集中する。吐息が温度を上げる。
 カチャリとバックルを外し、引き下げたジッパーの向こう側に手を忍ばせた。
 反応しかけた雄は、些細な接触にさえ震え始め。
「ん、…」
 男の匂いが残る部屋で、神田は求める。掴み出し、握りこんで、揺する。
 ラビのやり方しか知らない記憶が、神田の両手を動かした。
「う、あっ……ふ」
 爪で引っかき、指でしごき上げ、先走る体液を絡ませる。
 部屋に響き始める濡れた音は、一人の部屋には不似合いだ。いつもだったら、そこにはもう一人いるはずだ。ベッドの上か、机の上か、はたまた床かガラス窓。ラビの手はいつだって神田を包み、視線で嬲り、声で犯してきたのに。
「ぁっ……はぁ…っ」
 広げた脚の間に身体を割り込ませ、熱い身体で貪ってくるのに。
 身体を撫で回し肌を吸い上げ、指を絡ませ、髪をひき掴み、口づける。
 のけぞった胸に、何かに縋りつく腕に、抱え上げられた脚に。
「あぁ…っ…ラビ…!」
 汗で滑る互いの肌をどうにか繋ぎとめて、ひとつにする。
 絶対に成し得ない魂の結合を、そんな繋がりで誤魔化した。
「ふっ…ぅ、んぁっ…」
 着衣が乱れる。吐息が乱れる。心が乱れる。
 ────ユウ…
「ラ…ビ」
 ふわりと空気を揺する、あの男の存在。耳元で、囁かれる自分の名前。
 感じる幻にさえ意識を奪われる。それでも心臓の音はやけに大きく響いて、今自分はここで独りなのだと知らしめる。
 ────ユウはここ、好きさ?
「っんぅ…!」
 記憶してしまったラビのやり方を真似、自分の身体を犯し追い詰めていく。
「ん、んぅっ…ぁあ」
 耐え切れず流れる涙が、シーツにシミを作る。知らず力のこもる下腹部が、ビクビクとうごめいた。
 つぷりと、入り込んでゆく指は、ラビのそれより若干細く頼りなく感じられ、戸惑いながらも二本に増やす。
「っひ……ぁ!」
 体液にすべりを借りて、侵入は次第に深さを増していく。
 ふるふると首を振った。
 快楽にゆれると同時に、空虚な喪失感が渦巻く。
 いつも自分の傍にある体温がない。吐息がない。言葉がない。
「ラビ……ラビ…っ」
 目に心地の良いオレンジ。
 うっすらと目を開けても、そこには誰もいない。何もない。ただ風が、舞ってるだけだった。望んだ幻さえ、目には映らなかった。
「んぁっ……あふ……も…」
 振り払うように突き動かす指は、やはりラビと似た仕種。
 欲しくて、欲しくて、たまらなくて、限界まで求めてみせる。脚を広げて声を上げて腰を振って、およそ自分のできる全てで、求めてみせた。
「もうっ………」
 濡れた瞳が空を彷徨う。こんな自分を見たら、彼はいったいどうするだろうか?
 浅ましいと嘲笑うだろうか。
 愛しそうに抱きしめてくれるだろうか。
 野獣のように求めてくれるだろうか。
 否、どれも彼のいないこの空間では思いつかない。ひとりでは、こんな行為意味がない。
「イカせ……て、くれ…っ」
 いない。
 欲しい。
 どこにもいない。
 もっと欲しい。
 さよなら。
 もっと、ぜんぶ。
「ラビ…っ……!!」
 ぱたたと体液が飛ぶ。
 ビクビクと身体がわななく。
 激しい動悸に呼吸がついていかず、不規則なリズムを刻んだ。
「っはぁ、は……ぁっ…はぁ…ふ…っう」
 唐突に、急激に迫り来る現実感。サァッと血の気が引いた。
「……っ」
 自分は、いったい何を。
 自分は、いったいどこまであの男を汚せば気がすむのか。
「く…くくく…」
 好き、だって?
 自分が、あの男を。
「っく…くくくくく…っ…ははははは……!」
 涙が零れた。正真正銘の、涙、が。
 笑わせる。
「……き……好きだ……ラビ…」
 笑わせてくれる。
 もう幻さえ、手に入らないのに────。