言葉までの距離

2005/08/13



 神田は珍しく、移動用のゴーレムを教団内で使っていた。いや、使っていたというのは正確ではない。使おうとして、使えないでいるだけだ。
 ち、と舌を打った。
 世界屈指の技術を持つ教団製なだけあって、高性能なゴーレムではあったが、改善すべき点は多々あるようだ。例えばあらかじめ登録したゴーレム同士でないと居場所を辿れないとか。半径五十キロ圏内でないと探索できないとか。通信に至っては、ギリギリ四十キロ圏内が限度といったところだろう。
「よほど遠いのかよ…」
 電話を使って機能を増幅させてはみたものの、そんなもの役に立たなかった。
 どうしても無線を繋がなければいけない人がいる。どうしても、だ。
「…くそ…」
 最後の手段だ、と神田は踵を返す。翻る団服がバサリと音をつれて、彼の身体を包み込んだ。





 カツカツと足早に歩いて辿りついたのは、通信班三課。ココもいくつかの課に分かれ、一課受信班・二課発信班・三課技術班とされている。受信班は外からの通信を管理し、発信班は教団から外への連絡事項を管理する。そして三課技術班は、その通信回線を確保し、整理することが主な仕事だった。
「おや? 珍しいですねぇこんなところまで、あなたが?」
 中に一人、見知った顔を見つける。いつだったか一度、ゴーレムの修理で世話になったヤツだった。修理までこなせるやつは存外に少ないらしく、記憶にはまだ新しい。彼の肩まで無造作に伸ばされた栗茶の髪が、ゆらゆらと揺れる。
「無駄話はいい。今空いてる回線、ねぇか」
 単刀直入に訊ねる。空いている回線、即ち自由に使える回線、だ。
 流れるような、幾本ものケーブルをちらりと横目で見やり、三課の彼は呟いた。
「空いてないことも、ない、ですけどねぇ…」
 通信技術を任されているとは言ってもコレは教団の持ち物だ。個人の判断でどうこうしていいものではない。つまりはそういうことだ。
「…いちばん弱いヤツでもいい」
 多少ノイズが入っても構わない。向こうに届くのであれば。
 この声が、向こうに届けば。
「ねぇ神田さん、オレね? この間街でいいブーツ見つけたんだ」
 腕を組んで、うぅんとわざとらしく唸る。
「でもオレの薄給じゃ買えないんですよねぇ」
 神田は眉を寄せチッと舌打った。彼の言いたいことは分かる。世の中何事もギブアンドテイクだ。かと言って今は手持ちの金がない。神田は自分の衣服を見直した。
「…銀一個、あれば足りるか?」
 確か部屋に予備があったはずだ。特注のこのボタンを売ったら、かなりの額が手に入るだろう。
「オーケイ、それで手を打ちましょう」
 彼が組んでいた腕を外して笑ってみせる。商談は成立だ。神田は肩の飾りボタンをぷちりと引きちぎり、ひゅっと投げる。
「そんなに大事な用なんですか?」
 パタリとはためくゴーレムが、神田の髪を揺らす。訊ねられたそれに、神田はそうだなと返した。
「きっとこれが…繋げられる最後の機会だろう…な」
 だからどうしても繋がなければいけないのだと、浅く目を伏せる。その感情はとても静かなもので、いつもの彼らしくないと、思った。神田ユウという人間は、排他的でやや短慮。孤独で短気、と見て取れる。その彼が、こんな、…こんな表情をするなんて。
「表の回線、バレるとヤバイんで…こっちの…裏の使いましょうか」
 裏の、とは、今はもう使われない古いケーブルだ。無論、通信回線としての機能は備えているが、保証はない。もしかして途中で切れてしまうかもしれない。ノイズだってひどいかもしれない。だがだからこそ、音声を盗まれる可能性は限りなくゼロに近いのだ。
「さて、誰を呼び出すんですか?」
 神田がここまでして無線を繋ぐ相手など、一人しか知らなかった。もともとが人付き合いの下手な人間だし、気位の高い彼は、下級班の自分たちになど目も向けないのだろう。
 だがあえて訊いてみたのは、確信が欲しかったからだ。
 ややあって神田が口を開く。



「……────ジュニアを」



 息を呑んだ。神田が【彼】をこの名前で呼ぶなど、どれだけぶりなのだろうか。神田と彼が仲が良いのは知っていたし、名前で呼び合っていることも知っていた。
「わ、…わかりました…ちょっと待っててくださいね」
 動揺しながら、システムのキィをパチパチと叩く。その背中を、神田は静かに眺めていた。
 あの男をジュニア、と呼んだのはかれこれ何年振りだろう。小さい頃からブックマンの後を突いて回っていた少年はブックマンJr.と呼ばれるようになって、後を継ぐことを正式に決めラビという名前を与えられるまで、さして時間はかからなかった。
 だから、自分があの男をジュニアと呼んでいた期間は、物凄く短かったはずなんだ。
 ラビ、と呼ぶようになって、距離が少しだけ近くなって、間違って身体を繋げて。
 神田はポケットに手を忍ばせ、あの手紙に触れる。
 初めて貰った手紙が別れになった。ラビからの…いや、【ジュニア】からの、手紙。
 破り捨ててしまおうかと思った。なかったことにしてしまおうかと思った。
 …できなかった。
 何か形あるものをもらったことなんて、これが初めてだったんだ。
 取って置きたいと思った。破り捨てるなんてできなかった。例えそれが、別れを示すものでも。
「…繋がりましたよ。神田さん」
 ハ、と顔を上げる。
 肩に止まっていたゴーレムが、彼の呼びかけにパタパタと飛んでいく。後方のコネクタにケーブルを繋ぐと、彼は自分の位置を譲りどうぞと椅子を差し出してくる。
「オレは席を外しますから。ごゆっくり。終わったらこのスイッチで切断してくださいね」
 そう、手元のボタンを教え、去っていく。神田は差し出されていた手持ち無沙汰な椅子に、ギシリと座った。
 ザザザとノイズが流れる。神田はゆっくりと口を開いた。
「……ジュニア」
 答えは返ってこない。
「…ジュニア」
 声のボリュームを上げて、もう一度呼んでみる。
「ジュニア」
 ザリザリとこすれるノイズ。
 届いていないかもしれない。聞こえていないかもしれない。自分と会話をしたくないのかも知れないと、最悪なことも考えてみたりした。
「…ジュニア!」


 四度目。
 やっと。




『ユウ?』




 やっと、向こう側から声が返ってくる。リズムよく吐かれた自分の息は、思ったよりも大きかった。
「ジュニア、オマエ今どこに」
 訊きたいことが山ほどあった。
 どこに。
 いつまで。
 誰と。
 どんな任務を。
 あの手紙は。
 差し出した名前は。
『久々に、聞いた』
 ジュニアって呼ぶ、ユウの声。と。
 神田は眉を寄せた。そう呼ばせているのはオマエの方だと。わざわざ手紙の差出人をジュニアにしておいて、今さら何を言っているのか。
「…長いのか」
 話したいことがある、と神田は口を動かす。
『長いね』
 わざと長い任務を選ばせてもらったのだ、短いはずがない。
『…ちょっと厄介なんさ…イノセンスらしいもの、もしくはAKUMAの関わりがあるようだ、って情報だけでさ、今いるトコ』
 情報が曖昧すぎて探索部隊じゃ調査できないし、と続けられた言葉に、どこか安堵した息が混じっていたのを、神田は聞き漏らさなかった。
 久しぶりに声が聞けて嬉しい、じゃない。


 しばらく逢うこともないから安心、だ。


「…ジュニア」
 やっぱりもうそこまで来てしまっているのかと、神田の眉が寄せられる。
 逢いたくないと、声を聞きたくはないと、もう自分たちは終わったのだと、遠まわしに言われたようで喉が痛かった。
『ユウ。今はあんま時間ない。帰ったら、聴くさ?』
 ユウの、さよならを。
 きっとラビは、笑っているのだろうと神田は思う。余計なことを考えて、諦めて、周りに悟らせないようにと無意味な笑顔をふりまいているのだろうと。
「ユウ、ごめん」
 その三文字はいったい何度目だろうか。
「ジュニア…っ」
 プツンと会話が断線される。きっともう、呼んでも絶対返ってこない。
「…ラビ…」
 神田はノイズだけになった回線を、教えられたスイッチで切断し、そのまま天井を見上げた。
「……っ」
 こみ上げてくるのは、未だに慣れない後悔の雫。
 もう取り戻せないのか、あの男を。あの男を汚し続けていた、愚かな過去の自分から。
「ラビ…」
 好きだと、好きだと思っていていいだろうか。こんなにも胸が痛い。
 神田は立ち上がり通信室を後にする。
 また明日にでも、せめて通信を試みてみよう、と踵を返して。












 ぴとりと、ゴーレムが指の先に止まる。
「ユウ…」
 たった今まで聞こえていた声の余韻に酔いながら、幸せになってほしいとせめて願う。
「終わったのか?」
 後ろから聞こえた声に、ラビはああと答えた。
「待たせてごめんさ」
 このゴーレムは移動用なのだから、本当は歩きながらだって会話はできた。だけど声を聞きたくないと思う反対側で、ゆっくりと会話したいと願ってしまった。
 ジュニアと呼ぶあの人の声は泣きそうに詰まって、目の前にいたらきっと抱きしめてしまってた。
 目の前に、いなくてよかった。
「さ、行くさ」




 今回の任務は、イノセンスの回収でもなければ、アクマの討伐でもなかった。ただ確認してこいと、指令が下されただけで。
 その街から、緑がなくなってしまったというのだ。情報は旅人から旅人に伝い、教団の耳に入った。
 その街は緑豊かなところだったらしい。木々はもちろんのこと、道ばたでけなげに咲き耐える花も多かったと、緑が消える前の街をしる旅人は言った。
 それが今は。
 緑など見る影もない。枯れ果てて、いたのだ。
 気象のせいなのだろうか。いやそれにしたって妙な現象だろう。溢れていた緑が、たった一日で枯れてしまうなんて。
 イノセンスのせいなのだろうか。それともアクマのせいなのだろうか。
 原因を突き止めなければいけない。本来ならこれは探索部隊の仕事であるのだが、長期になりそうな任務を、指令であるコムイ・リー室長に頼んだのは自分だ。
 もしこれがAKUMAの仕業であったなら、探索部隊の結界装置だけでは力不足だ。ここまで情報がないのであれば、万が一に備えて自分たちエクソシストが動いた方が得策というものだ。幸い近くの街には駐屯している部隊もいる。この現象の原因を突きとめて、問題がないようなら、彼らに見守ってもらえばいい。
「それはそうと小僧。治療はいいのか?」
 聞きあぐねていたように、ブックマンが口を開く。
「ダイジョブさ。一昨日してもらったばっかじゃん」
 とラビは笑う。どこか怪我をしている風ではなかったが、ラビには治療しなければいけない理由があった。
「どれくらいだ、今は」
「……一、二ヶ月に一回ってトコかな」
「…周期が短くなっておるぞ」
 何の、とは、言わなくても、訊かなくても分かった。そんなことは当人がいちばんよく知っている。
「だーからアンタと一緒の任務にしてもらってんでしょーが。師匠だからって、簡単な理由でさ」
 突然の事にも、素早く対処できるように。
「心配しなくても大丈夫だって。いったい何年付き合ってると思ってるんさ、コレと」
 長い、とも、短い、とも取れる年月だった。ラビにとっては長い方だし、何倍もの時間を生きているブックマンにしてみれば、そんなものはひとひねりほどにしか感じられない。
「油断するでないぞ」
 呆れたように吐かれる息に、ラビは分かってるさと僅かに眉を寄せた。
「それにしたって、この街は気味が悪いさ」
 そうして呟く。
 緑がない。それ以外は至って普通の街だった。人間だってちゃんと生活していたし、建物だってそう新しくはないがきっちりと建っている。店先は賑わい、馬車が走り、生活感溢れる街だった。
 ただひとつの色が無い。────緑。
 おかしな現象だった。確かに。砂漠にだって緑はあるのに。これだけの人間がいながら、その異常さに気づかない。
「なんでこの街の人間は、普通に笑えてんだ」
 いや、街の人間が気づかないわけは無いのに。心の癒しではないのだろうか、緑というその木々の色は。
 緑は好きな色のひとつだった。自分のその色を帯びていることを除いても、それは。
「そうじゃな…ワシにも少し背筋に寒気が感じられる。すべてが枯れておるとは妙なものじゃ……気象のせいでもなさそうだが」
「気味、…悪いさ」
 呟いた。
 次の瞬間、世界は色を変えた。
 目の前が、真っ黒になった。
 目の前が、真っ赤になった。