言葉までの距離

2005/08/13



 数が多すぎる、と槌を握る手に意識を集中させる。意識の向かう方向を間違えれば、それだけで命取り。
「…第二解放…」
 いったい何体いるだろうか。今自分を取り囲むAKUMAは。十七、十八…二十体。まとめて片付けるには、第二段階に解放したイノセンスが最適だが、困ったことに技の解放までに若干の時間を食ってしまう。
「火判…、っ」
 案の定、一瞬の隙をついて飛び掛ってくるAKUMAを、破壊することに意識が向かってしまう。あえなく失敗、だ。こんな時は援護…そうだ飛び道具が欲しい。形上、すぐ発動できる第一解放は接近戦にしか向いていない。
 だが、ここには、自分ひとりだ。
 ひとり、…だ。
 一斉に襲い掛かってくるAKUMAの群れに、目の前が真っ暗になった。真っ暗になるくらいの数のAKUMAがいた。
 ひとつの判断ミスは命取り。
「────!!」
 思わず、息を止めた。



「六幻 災厄招来」





 どこかで聞いた声だと思った。





「界蟲一幻!!」



 ガガガガガッ



 
 目の前にいたAKUMAが、喰われ壊れる。────何が起こったのかと思った。
「何やってる貴様! 死ぬぞ!!」
 聞き慣れた声。翻った団服は目に慣れた黒。瞬間ハッとして背中を合わせる。
 神田ユウ────その人と。
「悪ィ、助かった」
 背中に当たる温もり。AKUMAに囲まれた緊張感。
 汗が伝う。心臓がドクンドクンと必要以上に波打った。
「途中ブックマンを保護した。今モヤシが医療班のところに連れて行ってる」
「そっか。良かった」
 変わらぬ体温・血の気が混ざった匂い・ぎこちない声音。
 逢いたかった人────逢いたくなかった人。
「……」
「……」
 緊張で息が詰まる。
 壊さなければいけないAKUMAに集中しきれずにいる。
 恐らく、両人ともが。
「…どうしよっか」
「数が、多いな」
 そんなことはお互い、発した声でわかっていた。
「…オレが援護してやる。てめェはさっさと解放式終わらせろ!」
 伝った汗が落ちて音を立てた。瞬間、神田の背が離れてく。ふ、と途切れる糸。軽くなってしまった背中の緊張。
 破壊されてくAKUMAの悲鳴に一秒戸惑って、ラビはそれでも解放式に意識を集中させる。
 神田の六幻が空を踊った。AKUMAを破壊する瞬間がいちばん美しく輝くことを、持ち主と、…ラビ以外に誰か知っているだろうか。
「…ユウッ、避けろッ!!」
 ラビがイノセンスに両手をかけ、全身で振り下ろす。ビュオッと切られる風の音。その音を背後で感じながら、神田は目の前のAKUMAの攻撃を避け地面を蹴る。高く飛び上がった身体はそのままAKUMAの上に降り立ち、刃の光る六幻は脳天を突き刺し、神田は破壊した爆風を借りて、その場を離れた。
「────火判!!」
 ドオォ…ッ
 大きな火柱が上がる。情熱と浄化の炎に、悲鳴を上げる間もなくAKUMAは消えていく。機械の焼ける臭いが鼻についた。
「…っゲホ…」
 AKUMAが視界から消える。張り詰めていた糸が切れる。槌を支えに、力が抜けていった。
「ジュニア」
 耳に慣れた声がするりと入ってくる。ラビはハッと顔を上げた。
 こちらもわずかに息を上げた、神田ユウ。
「…ユウ」
 何日ぶりの再会だろう。一週間…十日、二週間。長い間顔なんか見ていなかった。
 乱れた髪を直す間もなく、ふたりの距離が近づく。
 触れるまではあと、三歩分。
「ホントに街一個AKUMAかよ。すげェな」
「そうさね。次から次へと…ったく」
 そんな距離にいてさえ、視線は合わさないまま声だけ投げた。
「ユウ…」
 息が上がっていても整っていても、声が静かなのは変わらなかった。
 この距離でピンと張った糸と逸らした視線がかち合わなくて、喉が詰まる。
「ユウ、何しに来たんさ?」
 必死で絞り出す声は、相手に届いているだろいうか。
「……任務に決まってんだろ、…ジュニア」
 一瞬違う名前で呼びそうになって、神田は舌を打った。
「もう、死んでるかと思ったけどな」
 途切れた声。走るノイズ。荒れた息。伝う緊張感。競りあがる不安。
 あの時のぞっとするような不安は、思い出したくもない。
「ユウが…来るとは思わんかったさ」
「…室長から下される指令だ。オレたちに、任務の拒否権はない」
 神田の顔が次第に俯いていく。
 任務だということに、違いはなかった。正式に下された命令だったし、嘘はついていない。
 嘘はついていない。任務だ。間違ってない。
「……っ…」
 任、務、のはず、だった。
「────」



 我慢なんかできるか。



 神田は感情のままに身体を返していた。
「…っユ…!」
 振り向いたそのままに、両手でラビの顔を引き寄せる。
 ぶつかった口唇を捕らえ、奪う。
「ん、…う」
 突然のことに対処しきれず開いたラビの口唇の中に入り込んだ。
「っは……ぅ」
「ラビ……」
 口唇が唾液に濡れていく。啄ばんで、食んで、舐めて、絡める。
「ん…」
 ────…あ…。
 神田はふ、と目蓋を薄く開ける。
 一方的に絡めていただけの舌が、濃厚に蕩けた。
 ラビが、舌を絡め返してくれ、た。
「ん……、ん」
 ────嬉、…しい。
「ん、ん、ん…っ」
「ユ……ウ」
 キスの合間に名を呼び、吐息を奪う。
「ラビ…」
 片手の指を絡め合う。片腕を互いの背に回して抱き合った。
「んっ…う、ふぁ…」
 情熱的で、官能的で、キスだけ見れば、まるで恋人同士。
 何度も何度も角度を変えて、幾度も幾度も舌を絡め直して、口づけを繰り返した。
「…ふ…」
「…っ…は…ぁ」
 口唇を離しても、名残を惜しんだ口唇が吐息を求めて再び引き合う。触れる、寸前。
「あ、のぉ────」
 突然聞こえてきた第三者の声に、ハッと我に返る。
「情熱的な再会を邪魔して申し訳ないんですが」
 呆れたように仁王立つアレンに気づき、慌てバッと身体を離した。    口を覆い顔を逸らすラビに、神田は口唇を噛むほかなかった。
「どうしますか、この街。まだいるでしょ、AKUMA」
「…あぁ、この街全部がAKUMAだったとしたら、人口と比べてまだ 少ないんさ。破壊したAKUMA」
 そんな神田に気づきながらも、何をどうするでもないラビに、アレンも僅かに嘆息する。
「アレン、その左眼で見れる?」
 ジャリ、と方向を転換した、ラビとの間隔が広くなる。神田は眉を寄せ、舌を打った。
「今はナリを潜めてますね。どっかにいるんだろうけど…上手いこ とフィルターがかけられてて…。僕の左眼もまだ完全に探知できるわけじゃないですし」
 だからひとまず怪我の治療に向かいましょうと、ふたりを振り向くアレン。
「怪我? アレン、どっかでドンパチやったんさ?」
「ちーがーう、怪我してんのはラビの方でしょうが。ったく、やせ我慢してっ」
 だいたいなんで大量のAKUMA相手に、怪我してないなんて思えますか、と熱り立つ。
「さ、行きましょ。ブックマンも、近くの空いた宿屋で治療をしてもらってますから」
 空いた、というよりは、空けた、と言う方がいいだろうか。途中破壊したAKUMAが、立ち寄った宿の店主だったというだけなのだから。
「ん、じゃあオレらも行くさ、…ユウ」
 呼ばれ、寄った眉間の皺が深くなる。
 そんな、そんな声で呼ぶなと。
 あぁ、と頷いて足を動かしたのは、それでも。




「ユウ、……」
 アレンの後ろ、横を歩くラビから声が漏れる。
 今まで気づかなかった、血の匂い。AKUMAの返り血ではないはずだ。AKUMAの血は匂いなど皆無だ。これは明らかに人間のそれ。
 並ぶ距離が近かったとは思えない。それでも、この鼻をつく。
 どれだけの量の血を流しているのだ、この男。
「…ユウ、さっきの、なかったことにして」
「────」
 神田は息を止めて、ややあって静かに目を伏せ、血の気を失った白い横顔から顔を逸らした。
「分っている。悪い、気の迷いだ」
「うん」
 そのまま神田はラビを追い越していく。これ以上隣など歩いていられるか、と。
 そうなるように仕向けたラビはその背中を追いかけ、途中目を逸らす。
 ふたりの距離がまた、────離れた。