言葉までの距離

2005/08/13



 あの方が待っている。
 あの方を待っている。
 私はじきに死ぬだろう。
 だから私はあなたをつくる。






  
 アレンは地図を広げた。現在はどこに立っているのだろうと。
 元が方向音痴なアレンだ、地図を手にして活用できるか、といえばそうでもないのだが、どうやら今回は無事に地図どおり、目的の場所に辿り着けたらしい。
「本当に…普通の街なのにな」
 辺りを見回し、アレンは息を吐く。
 レンガ造りの住居や小さな噴水、風に揺れる店の看板。
「アレン!」
 声に振り返る。曇り空にさえ鮮やかな、ラビの赤毛。
 本当に自分が出てすぐに追ってきたのだろうか、それともよほどの速度で追ってきたのだろうか。
「ラビ、怪我は?」
「ん? ダイジョブさ。縫ってもらったしー」
 施術の際に行ったなけなしの麻酔は、とうに切れてしまっているけれど。
「ジジィもたぶん、もうすぐ来るさ。針術で止血とか荒業かましてたケド」
「無茶しないでくださいね」
 連れ立って歩き出す。アレンは手袋を外したまま、ラビは槌を握ったまま。
「ラビ、…神田は?」
 やはり遠慮がちに訊いてしまうアレンに、ラビの肩がピクリと揺れた。気づいたけれども、アレンは気づかないフリをする。
「すれ違わなかったですか? 神田も、すぐに追うって、六幻取りに行っちゃったんですけど」
「あぁ…、すぐに来るだろ、ユウは足速いし」
 何でもないことのように笑うラビ。解決しても、吹っ切れてもいないような様子の彼にアレンは苦笑して、
「さて、どうしましょうか…問題の場所、あそこっぽいんですが」
「お?」
 顎で指したアレンに気づき、その軌道を辿る。その先に。
 途切れた街道。荒れた土地。壊れかけた廃屋。
「あれっぽいな」
「最初の奇怪からずいぶん経っているようですね」
 それでも、この廃屋にすら緑はなかった。
 以前ここに人が住んでいたのかさえわからない、という報告が、すんなりと納得できた。
「アレン、周辺にAKUMAは?」
 ココにもAKUMAが関わっているのなら、調べるにも危険であるとラビは言う。アレンはキュインと左眼を起動させた。
 調子がいいときは、かなり広範囲まで見透かせる。自分を軸として、半径二〜三百メートル程度なら、探知できる。
「────」
 アレンの左眼が発動している間も、ラビはきょろりと辺りを警戒した。万が一を考えなければいけない。できるだけ集中させてやりたかったのだ。
「────アレン!?」
 振り向きなおした先に、アレンの涙。一も二もなく驚いて、戸惑った。
「だ、ダイジョブさ? なんかあったんか?」
 慌てて覗き込み、確認して。アレンに自覚がなかったことに気がついた。
「え…?」
 彼が何でもないことのように振り向いてきたから。
 左眼のその能力は何か負担がかかるんだろうか。自分にはわかり得ない能力が、少しだけもどかしい。
「…泣いてるさ」
 言われ、アレンは頬に触れてみる。雫に濡れる、指。
 泣いている自覚はなかった。自分はAKUMAがいないか探知しただけだったし、浮かんできた映像に驚いたとも思わない。どれだけか想像できた映像だったのだから。
「ごめ、大丈夫…、ラビ、あそこ、AKUMAが」
 ぐい、と雫を拭って気づく。
「────ラビ! 来ます!!」
 グォアッと盛り上がってくる地面。
 勢いで飛び上がった、ふたりの身体が宙を舞った。
「おいおい、イキナリかぁ!?」
「ラビ、あそこ! AKUMAがいる!」
 ぽっかりと開いたような穴からAKUMAが噴き出してくる。
 アレンの左手が、ラビの槌が、噴き出したAKUMAを叩く。飛び散った破片は身体を擦り、灰みたいに消えてった。
「あそこってどこさ!?」
「あの、家!!」
 オレには視えねーんだからと眉を寄せるラビにアレンは叫ぶ。ラビは廃屋を振り向いた。途端、廃屋を守るかのように姿を現すAKUMAの大群。
 何かわかるかも知れない、と調べようとした廃屋で、まさか根本の原因に突き当たるとは、運がいいのか悪いのか。
「家ぇ!? じゃあ」
 あの廃屋にはAKUMAが住んでいたということか。ラビは槌を振り回しながら、大群に守られた廃屋に向かおうと破壊を繰り返す。
「く…っ」
 破壊しても、何度破壊してもヤツらは生き返ってきた。自分を生み出しす主を守るように、廃屋を囲んで。
「複製を生み出すAKUMAか…、めちゃくちゃ厄介さ…っ!!」
「それだけじゃないんですよ」
 迎撃するイノセンスがフォンと唸りを上げる。懲りもせず攻撃を仕掛けてくるAKUMAに、それを避けようと身体がしなる。繰り返される破壊と再生は、アレンの眉間に皺を増やさせた。
「どういうことさアレン?」
 第二解放解放での遠隔攻撃と、第一解放での直接攻撃とを効率的に使い分け、少しでも元凶に打撃をとラビは槌を振り回す。
 自分の意思でなく蘇ってくるAKUMAを止めるには、親であるAKUMAを止めなければ意味がない。
「あのAKUMA、イノセンスを体内に容れてるみたいで」
「……────は!?」
 ラビは耳を疑う。
 確かにこの指令を受けたとき、奇怪の原因がイノセンスである可能性も。なかったわけではない。だが、緑が消えた原因はAKUMAの増加であったはずで、AKUMAの増加は複製を生み出す能力を持ったAKUMAのせいと思われた。
「いえ僕にもよくわからないんですけど…っさっき探知したとき、 あの中にいるAKUMAが光って視えたんですよ」
 アレンの放つ弾丸が、AKUMAの身体を貫いていく。歓喜とも慟哭とも取れる鳴き声を上げながら、そのAKUMAは灰のように消えていったはずなのに。
 時を置かずしてヒュオンと空間移動でもしたかのように現れる。本当にキリがない。
「光って視えた?」
 ラビはオウム返しにアレンを振り向いた。暗黒の物質であるAKUMAが白の光を放つとはどういうことだ?
「魂は確かに束縛されてました。けどその体内…ボワァンて白い光が」
「その光…が、イノセン、ス?」
「わかりません。でも、多分何かの形で別の力が関わっていることは確かですね」
 どちらにしろ確かめないと、とアレンもラビも持てる限りの力を振った。
「わからんことばっかりさ…!!」
 ラビは珍しく舌を打つ。
 このままでは二人とも疲労だけが溜まってく。
「……」
 あの廃屋に辿り着くのはひとりでいい。
「────アレン!」
 どこまでも蘇ってくるAKUMAを破壊するだけでは埒が明かない。 どちらかが根源を破壊すれば済むことだ。辿り着くのはひとりでいい。
「オレが援護するさ。突っ込めるか?」
「わかった。もうすぐ神田やブックマンも来るだろうし、じゃあ外は任せます」
「オッケー」
 アレンはキャノンを撃ち放ち、ラビがイノセンスを第二解放させる。選んだ判は散撃型の【天】だった。数撃ちゃ当たるとは、よく言ったものだ。
 ゴ、と風が鳴る。ラビがアレンと叫ぶのと、アレンが走り出すのが同時だった。
 ガゴッ!!
 地面を叩いたラビの発動領域から、雷撃が放たれる。アレンの足が地面を蹴る。雨のように降ってくるAKUMAの欠片が、視界を遮った。
 振り下ろされる鉄棒を、のけぞって避ける。そのまま背から宙を返り、右手をついてその軸を頼りに体勢を直す。
 放たれた弾丸を、、槌を楯に弾き飛ばす。遠心力のついた槌で後ろに迫ったAKUMAを叩き潰した。
 アレンの背中がAKUMAの大群の向こう側に消えていく。こちらはなんとかしなければ、と痛む腹を押さえ、与えられてしまった力を振りかざす。
「ラビ!!」
 ラビの背中で、機械を破壊する音が聞こえた。どうやら追いついてきたらしい神田の一幻が見える。ブックマンの黒い針も遠く見える。さすがにホ、と息を吐いた。
 AKUMAを破壊しながら一ケ所に集結し始める、三人のエクソシスト。軸はラビ。話し合ったわけでも、指し示したわけでもない。戦闘に慣れてしまったが故の、暗黙の行動だった。
「現在の状況は」
 三人の背中が合わさる。それを囲むように現れるAKUMAはいっそ壮観で、ごくりと唾を飲んだ。
「廃屋にAKUMA。こいつらを生み出してる親玉がいるさ。今アレンが向かってる」
 通達は迅速かつ簡潔に。敵意が剥き出しになったAKUMAを前に、ゆっくり作戦会議をしている暇などない。
「ではワシも向かおう」
「あともう一コ。なンか、そいつがイノセンスを体内に容れてるかも知れん、てさ」
「負が正を取り込めるのか?」
 神田が一幻を操りながら口にする。たかだかダークマターに、正の力が強いであろうイノセンスを取り込めるとは思わなかった。破壊するだけならまだしもだ。
「ともかくも、そのAKUMAを破壊すれば確認できることだ。行く」
 こちらは任せたぞ、と膝に思い切り力を溜めて飛び上がったブックマンの背中をふたりの目が追った。
「ラビ、目は?」
「平気さ。この目とは何年も付き合ってるし、気配だけでも何とかなる」
 ぴたりと合わせた背中で言葉を交わし、確かめた。
 まだ、生きている。
「────手は貸さねェぞ」
「わかってるさ」
 これからも生きていくはずの。
 鼓動が重なって、離れた。








 バン!!
 アレンが廃屋の入り口であろうドアを蹴破る。自分で撃った硝煙の匂いが、やけに鼻についた。
「埃だらけだな」
 こんなところに人が、AKUMAが住んでいたとは思えない。近づかなくなった建物にはヒビが入り壊れかけ、埃にまみれて早や数年?
「貴様が噂のエクソシストか」
 暗がりの奥から声が聞こえて、とっさにガタリと身構えた。ぽ、と灯る光。鬼火のようで背筋が震えた。
「ようこそ。待ちくたびれたぞ」
 明度に目が慣れその姿が目の前に現れる。
 美しい女だった。
 床まで伸びた銀の髪は手入れされているのか、さらりと揺れる。小さな淡い口唇は小鳥がさえずるような音を吐き出し、感嘆さえ漏れた。
「待っていた? 僕たちを、ですか?」
 だがアレンの左眼に映るのは束縛された魂。
 それさえなければ年頃の女として、それらしい扱い方をできただろうに。
「そうだ。まさか一度に四人も伯爵様に献上できるとは思わなかった」
 彼女が伯爵様と口にする。爵位だけで特定できるのは、やはり彼女の肩に魂が見えるから。
「貴様らの首でも置いておけば、今度こそあの方は来てくださる」
 顔に似合わない残虐性。むしろ彼女の恍惚とした表情が、不気味ささえ誘った。
「あの方はいつになっても私の元へ来てくださらない。だから私はAKUMAを造り続けるのだ」
 ドクンと心臓が鳴った。
 こんな風に自我を持ったAKUMAは珍しくない。レベル2まで進化してしまえば、自我を持つことが可能らしいことは、教団の調査ではっきりしている。
「やっぱりあなたがAKUMAを…複製を生み出しているんですね」
 彼女はそうだと誇らしげに笑った。
「私は人形師だからな。複製を造ることなど易いこと」
 暗がりを見渡して、アレンは初めて気づく。そこここに人形の部品と思えるパーツが転がっていることに。
 彼女はここで人形を作っていたのか。
「……!? ちょ、ちょっと待ってください! あなたのそのボディ、それはあなたのなんですか!?」
 気づくのが遅れてしまう。彼女があまりにも当たり前のように音を乗せたから。
 通常のAKUMAは、呼び戻された方が呼び戻した方を喰らい、その姿を借りる。そうであるならば、今の【彼女】は呼び戻した方であるはずなのに。
「私は私だ。ただ私を呼び戻したモノに、喰える肉体がなかったというだけのこと」
 肉体がなかった? 人ではなかった? 人ではないものが、【彼女】を呼び戻した? 肉体がなかったせいで、魂は元の持ち主の肉体に巻き戻るしかなかった?
「そんな」
 そんなことは聞いたことがない。
 いったいなにが彼女を呼び戻したというのか。
 この家でひとり、人形を作りながら生きていた彼女を。いったい、何が。
「伯爵様は喜んでくださったのだ。私の復活を喜んでくださったのだ」
 彼女のオーラが視える。これが、自我を持ったAKUMAか。ダークマターに侵食されることなく自分の意思を、ここまで表に出せるのか。
「私の家には誰も近寄らなかった。私はいつも独りだった! あの方は…伯爵様だけが私の生誕を祝ってくださったのだ!!」
 彼女のオーラに銀の髪が舞い上がる。転がった人形の部品がカタカタと揺れる。それは確かな意志を持ち、ふわりと浮き上がった。
「ここをAKUMAの街にすることができたらまた訪れるとあの方は言った! なぜ伯爵様は来て下さらない!」
 彼女の慟哭が力となって、周りの物を攻撃し始める。パリンパリンと窓が割れた。使い物にならなくなった、脚の折れた椅子がバキバキと崩れた。
「AKUMAの街だけでは足りんのだ! 貴様らを伯爵様へ献上させてもらう!」
「待っ…!!」
 浮き上がった人形の手が、足が、彼女の意思を受け明確な殺意を持って飛んでくる。破壊しなければ、と襲い掛かってくる無数の手足にキャノンを向けた。