言葉までの距離

2005/08/13



 壊してください。届かぬ想いなら。
 どうか届いてください。壊れそうなこの想いよ。






 最後に視界に映ったAKUMAを六幻で切り裂いて、神田は膝を折った。
 いったい何体のAKUMAをこうして破壊しただろう。次々に襲い掛かってくるそれを同じように切り裂いて、再び蘇ってくるAKUMAを、 哀れに思いながら灰にした。
 不毛に思えて仕方がなかった。
 生に執着しているわけでなく、主人の言うなりに蘇ってくる、呼び戻された魂を、何度も何度も叩き壊すなど。
 それでもこれが自分の生へと繋がる道で、自分が大切に思っている人間の生に繋がる道でもあった。
「ユウ、…なンかおかしいさ」
 いつの間にか傍まで戻ってきていたラビに腕を引かれ、神田は身体を起こす。
「あ?」
「AKUMAが一体もいなくなった」
 後ろを振り向きながら言い放ったラビに、顎を伝う汗を拭いながら神田も辺りを見回した。
 本当だ。何十体もいたAKUMAが、一体もいなくなっている。
 先ほど破壊したAKUMAも、今目の前で灰になって消えた。
 確かにおかしいと感じられた。今までは破壊しても、時を置かず蘇ってきていたのに。
「蘇らなく、なった?」
「蘇れなく、なったのか」
 ふたり、顔を見合わせる。
 AKUMAに加わっていた力が、発動しなくなったのだ。
 何事かあったに違いない。
 言葉も交わさず、ふたり同時に走り出した。
 AKUMAの住む、廃屋へと。





「な……」
 アレンは目を見開いた。自分に向かってきていたはずの殺意の篭った手が、足が、宙に浮いたままピタリと止まっていた。
 何の作戦だ、とも思った。油断させるつもりなのか、とも思わずにはいられなかった。
「……て…ください…」
 【彼女】の口から、細い声が聞こえる。殺気はもう、かけらも残っていなかった。彼女を包んでいたオーラも視えなくなった。
 何が起こったのだろう。
 アレンはキャノンを彼女に向けたままこくりと唾を飲んだ。
「壊してくださいエクソシスト様……」
 はっきりと力を持って耳に入る、【彼女】の声。それでも耳を疑った。
「私が………彼女をAKUMAにしてしまった」
 ハッと気づく。
 これは【彼女】ではない。呼び戻された魂が見えなくなっている。
「私を壊してください」
 誰、だ、これは。
 この、目の前で泣き崩れていく人間は。
「私は償いきれない罪を犯しました……どうか、どうかエクソシスト様…!!」
 自分たちの存在は、一般人にまで知られてはいないはず。AKUMAである【彼女】と意識を共有していたのだろうか。自分はAKUMAを破壊する者であることを知って、願っているのだろうか。
「私はもう…っ…神に仕える資格など持っておりませぬ…!!」
「────」
 気づいて、愕然とした。
 思わず発動を解いてしまったあたり、自分が相当動揺していることがわかる。
「イノセンス…?」
 そうだ。【彼女】の内にはイノセンスがあったはず。
「私が彼女を独りにした」
 なんてことだ。
「病で倒れた彼女を埋葬することもできない私が、何故彼女を呼び戻せたのでしょう」
 イノセンスとは、AKUMAに敵対できる物質ではなかったのか? こんな風に感情を持つイノセンスが存在するものなのか?
「どうか愚かと、哀れと嘲笑ってくださいエクソシスト様」
 アレンの左手がカタカタと震える。悲鳴のような泣き声が、耳に届く。
「彼女が────とても好きだったんです」
 イノセンスは彼女を愛した。
 ひとり人形を作り続ける彼女をこの家で愛でた。
 街の住人はイノセンスのオーラに邪魔されて近づけなくなった。
 アレンの左眼から流れた雫が、タ、と床にシミを作った。
 途端、ゴアッと空気が変わる。
「黙れ貴様! 小賢しいぞ!!」
 アレンはハッと飛びのいた。【彼女】が戻ってきたんだと。
 周りの温度が二、三度上がる。
「くっ……!」
 ヴォンと左手を発動させる。再び宙に浮いた人形の手足が、アレンの身体を擦った。
「おのれ地に堕ちたイノセンスごときが…!」
 憤る彼女を前に、どうするべきかと思案する。彼女の内にイノセンスが入っているのなら、無闇に攻撃することはできない。イノセンスは回収しなければならない物質だ。
「壊されてなるものか! 私はここであの方をお待ちするのだ!!」
 ゴッと【彼女】が向かってくる。唐突過ぎて避け切れなかった。壁に叩きつけられたまま、両手で喉を締め上げられた。この細腕のどこにこんな力があるのかと思った。
「っかは…!」
 嘆きが視える。体内に取り込まれた、イノセンスの。
 探知したときに流れてしまった涙は、この交錯する感情まで読み取ってしまったからなのか。
「ガッ……!!」
 急に視界が鮮明に変わる。締め上げられていた喉から酸素が入り込む。急激な補給に、アレンは咳き込んだ。
「っげほ、げほ…!」
 しゃがみこんで呼吸を整える。何が起こったのかと顔を上げたそこに、黒の針に磔にされた彼女が映った。
「大事ないか、アレン・ウォーカー」
「…ブックマン!」
 荒い息を繰り返しながらその名を呼んだ。
 黒い針に身体の自由を奪われ、【彼女】の形相が変わっていく。エクソシストへの殺意が、どこからか憎しみに摩り替わる。
「く…! 離せ…っ私はこんなところで」
 こんなところで破壊されるわけにはいかないのだと彼女は叫ぶ。
「伯爵様は貴様らを邪魔に思っているに決まっている! だから私が貴様らを…貴様らの首を差し出せばいいのだ!」
 そうすればきっと今度こそ様子を見に来てくれるはずだとAKUMAが叫ぶ。彼女の意思を受けて浮き上がりかけた人形の足を、ブックマンは無情にも踏み潰した。
「いい加減に目を覚ますが良い」
 憤った彼女の声とブックマンの静かな声がやけにミスマッチで、そのせいか余計に脳に強く残った。
「ヤツはオマエに目をかけているわけではない」
 彼女の身体が転換されていく。ヒトではない形を取っていく。その姿はとてもじゃないが、ヒトであった頃の美しい顔立ちなど見る影もなく、一目でAKUMAとわかるもの。
「ヤツにとって貴様は良い実験材料だったというだけだ」
「黙れぇ!!」
 磔にされた手足を、肉体を転換しながら引きちぎる。ギシギシという骨の軋む音が耳についた。それほどまでにして、自分たちの命を伯爵に捧げたいのか。
「…まれ…黙れ、黙れ! 黙れ!! 貴様らに何がわかる!!」
 解放を得て急に加速する肉体の転換。殺気の増幅に伴う、受け止め切れなかった攻撃が、アレンとブックマンの身体を吹き飛ばす。崩れ瓦礫になってしまう部分もあった。彼女の攻撃を跳ね返すには、 この廃屋は脆すぎる。
「アレン! ジジィ!」
 追いついたラビと神田が、廃屋の外に吹き飛ばされた二人を見つける。二人とも確かに小さな身体ではあるが、屋外まで吹き飛ばされるほど凄まじい攻撃だったのだろうか。
「中にいるのか?」
「すげぇ殺気を感じるさ。鳥肌立つわコレ」
 神田の鼻筋を汗が伝った。ラビの笑顔も引きつった。さっさと片付けねェと長期戦になるな、と六幻を最大限にまで発動させる神田を、アレンが止める。
「待ってください神田、彼女の内にはやっぱりイノセンスがあるんです!」
 無闇やたらに攻撃したら内のイノセンスまで破壊してしまう、と呟いたアレンの腕を、振り返った神田が払った。
「じゃあどうすんだよ! このままヤツの犠牲になってやれとでも」
 叫ぶ神田の後ろで、轟音とともに廃屋が崩れていった。
 ガゴォッ!! ガラガラ ガラッ…
 彼女のオーラに耐え切れずに、イノセンスと彼女が暮らした家は形を失くした。
「増えたか、獲物が」
 脳に直接響くようなAKUMAの声に、四人は不快そうに顔を歪める。
 オーラで浮き上がる瓦礫。その中心に、肉体の転換が完了したAKUMAの姿が見える。ヒトの形はすでに無く、アレンの目には確かな殺意と二つの恋情と、助けを求める魂が、映った。
「彼女を生み出したのはイノセンスです」
 崩れた瓦礫さえもが石を持って飛び掛ってくる。それを巧く避けながら、
「何言ってやがるこのモヤシ! イノセンスがどうやって」
「だって本当にそうなんです!!」
 僕だってできれば否定したい、と泣きそうな眼で神田を睨みつけた。ラビもクルクルと槌を回しながら、言葉が見つからず息を呑んだ。
「イノセンスは彼女を愛してたんだ」
 壊してくれとイノセンスは願った。愛した女をAKUMAにした自分に耐え切れず、嘆き叫んだその闇に、悲劇を嘲笑う伯爵につけこまれた。
「どうにかしてイノセンスを彼女から取り出さないと」
「どうにかったって…どうするつもりさアレン?」
 イノセンスの回収を第一に考え、それを守りながらAKUMAを破壊しなければいけない。
 彼女は存在してはならないモノだ。彼女の想いがどうであろうと、 イノセンスが彼女をどう思っていようと、今の自分たちには関係な いと言い切らなければこの任務は成し遂げられない。
「接近戦で彼女を攻撃します。僕の左手でイノセンスを掴み出せればいいんですが…」
 ヘンな情の湧かない内に片付けなければとアレンはこぶしを握りなおす。
「特攻かよ……けど、あの鋼鉄を貫けるんさ?」
 問題はそこだった。
 転換を完了したらしい彼女のボディは、ヒト型であった時の銀の髪を思わせる鋼鉄に輝き、こちらの攻撃を躊躇わせる。
「そうは言ってもオレの一幻では鉄に潰されるし、ブックマンの針は物質の捕獲には向いていない。オマエの槌も、接近戦じゃ破壊タイプだろう」
「あぁ…そっか破壊しちゃいけないんさね」
 そうだ、イノセンスは破壊せずに回収しなければいけないんだ。それにはやはりアレンの手形がいちばん適していると言える。
「僕がいきます」
「ではワシらは援護を」
 援護をしようとブックマンが言い放つと同時に四人のイノセンスが最大限に発動される。
 破壊するという意識が、どうしても彼女と、彼女の内のイノセンスを刺激してしまう。
「どうしても私の邪魔をするかエクソシストども!!」
 ただ逢いたい人がいるだけだと彼女が叫ぶ。
 心臓がドクリと音を立てた。
 その感情には覚えがある。一も二もなく、ただ恋しい人に逢いたいのだと、心が騒ぐ。
 神田は少し口唇を噛んだ。
「私はただ! あの方のお力になりたいと思っているだけではないか!!」
 それの何が悪い、と裂けたような口唇で歌う。彼女に向かって走りながら、まだ尚襲い掛かってくる捨て駒のようなAKUMAたちを薙ぎ倒す。
「では、なぜ」
 彼女には聞こえているだろうか。
 いや、もともと聞こえていてもいなくても、独り言のように呟いたのは神田だ。届いていようが届いていまいが、関係の無いことだった。


「なぜ逢いにも行かず、こんなところでAKUMAを作り続けてんだ」


 聞こえた声にラビが振り返る。見えたのは神田の背中。
「自分で取り込んだイノセンスに呪縛でも受けているのか」
 逢いに行くのに必要な、足は持っていた。
 恋していると告げる口唇も持っていた。
 なぜそれをしようとしないのか。
「なに…を、貴様」
 彼女に聞こえてしまっていたのか、唸りながら振り返る、禍々しいAKUMA。まだ遠く、鋼鉄が光る。
「哀れだな、オマエ」
 伯爵に祝われた生誕に縋り、いつ訪れるかも知れない、いや訪れるかどうかも知れない伯爵を、AKUMAを複製しながら待って、待って、待って、待ち続けて、美しかった女は姿を変えた。
「逢いに、行けばよかったんだ」
 破壊したAKUMAの返り血すら拭わずに神田は六幻を握りなおす。攻撃の速度が弱まってきている辺り、【彼女】の動揺が感じ取られた。
 彼女を正面に一三〇度、四人が迫る。右端から、ブックマンの針が宙を飛び交う。アレンの左手が、彼女に向かいかけて途中AKUMAに邪魔される。神田の一幻は奇声を上げ、ラビの槌が容赦なく振り下ろされる。
「ギャアアアアアァァァアアア!!!!」
 脳天から突き抜けていきそうな悲鳴が耳を劈いた。
 ブックマンの針は彼女の眼となる部分を貫いて、神田の一幻は腕らしき部分を噛み引き上げ、ラビの放った天判が鉄檻のように突き刺さり、彼女の動きを封じた。
「アレン! 今さ!」
 動きを封じた、今ならもしかして。
 彼女の鋼鉄から、イノセンスを。
 グォアッとアレンの腕が風を切った。





 滅びましょう
 恋焦がれ あなたを縛した罪よ
 この光に灰となれ





 繋ぎ合わさった部品の隙間から、天に向かって白い光が突き抜ける。激しい光…閃光というには長い時間に思えて、息を呑んだ。
「なんだ!?」
 何が起こったのだろうか。
 周りがざわめいているのは気配でわかった。
「内のイノセンスが何かしたんだ!」
 【彼女】に何かあったのは、正面から吹いてくる風の流れで感じ取れた。


「────貴様! よせ…何を!!」


「アイツまさか」
「恐らくはな、だが止めるには間に合わん! 戻るんじゃアレン!!」
「でもっ…彼女を…!」
「いいから戻れモヤシ!」

 近くで、イノセンスの声が聞こえた。
 衝動的な愛情と、情熱的な抱擁と、嘆き叫ぶふたつの声が、脳の奥に響く。
 悲鳴のような機械音が聞こえ、目の前が真っ白に────なった。




 滅びましょう
 これ以上間違った生をあなたには与えられない
 ともに滅びましょう愛するひとよ
 逃げて
 逃げ堕ちて
 次こそは 互い 結ばれる運命のもとへ
 ありがとう ごめんなさい すべてのひとよ
 あなたがとても 好きでした








 神田の目に、立ち尽くしたその人が見える。
 青ざめた。身体が凍った。舌先が凍てついた。

 叫んだのが先か、動いたのが先か。



 ぼやりと視界が戻る。
 轟音が聞こえ、吹いてくる風の温度が急激に上がる。

 目に見えたのは、夜みたいな黒と、見慣れてしまった銀の十字架。





 突き抜けていく轟音の中で、【オマエまで滅びるな】と、悲鳴のような、【彼女】の魂の叫びを聞いた────。