言葉までの距離

2005/08/13



 吹き飛ばされた身体がギシギシと痛んだ。
 響いていた轟音は消え、辺りはすっかり闇に包まれ、崩れた瓦礫が煙のように流れる。
 AKUMAが目の前から消えていた。また止められなかったとアレンは拳を叩きつける。
「もっと別の形があったんじゃないのかイノセンスッ…!!」
 道連れて滅びる道を選んだ。イノセンスは神に仕えるより、愛した女と滅びることを願った。
「イノセンスは滅びておらん」
 頭上から聞こえたブックマンの声に、アレンはえ?と顔を上げた。
「見よ、アレン・ウォーカー」
 夜の闇にぽわり、浮かぶ白の光。
 思わず身体を起こして走っていた。
 確かに聞こえたんだ。【彼女】の声が。消えていく寸前の、【彼女】の懇願が。
「イノセンス…っ」
 手を伸ばした。それを手に取った。途端あふれ出す雫。肉体を持たないイノセンスの感情にシンクロしてしまった、アレンの両眼から、流れ出す大粒の。
「とっさに己の身体から引き離したんだろうの。イノセンスなら破壊の衝撃にも耐えられるだろうと」
 オマエまで滅びるな、と彼女は言った。
 彼女の死を受け入れきれずにAKUMAにしたのは自分だったのに。
 想いが募って彼女を独りにさせていたのは自分だったのに。
 滅びよう、と核を破壊したのは自分だったのに。
「何だかんだ言っても、最期まで時を共にしたのだ……情が湧いてもおかしくなかろう」
 アレンはイノセンスを握り締め、言った。
「彼女は…どうなったんでしょう…」
 アレン自身の感情なのか、はたまたシンクロしたイノセンスの感情なのか、アレン自身にもわからなかったけれど。
「わからんな。ただ、ヤツを【破壊】したのはイノセンスだ。通常 通り浄化はできておるだろう」
 ブックマンの言葉に、推測ではあってもアレンはホ、と息を吐く。
 通常AKUMAが自爆をすれば魂は浄化されない。当然次の生も望めないだろう。
 彼女がイノセンスを切り離したタイミングがどの時点だったか知れないが、どうか幸福な次の生をと心から願う。
「帰ろうイノセンス。オマエを大切にしてくれる適合者が、この世界のどこかで待っているよ」
 だから今はせめてゆっくり眠れと団服の中に、そっと仕舞い込んだ。








 粉々になった瓦礫の欠片が、パラパラと腕から肩から落ちていく。 鼻につく塵くさい空気が鬱陶しかった。
 ふたり、息を吐く。
「ラビ、…目、見えるか」
 ラビの両側に手をついて項垂れる神田から、声が漏れる。背にした壁がやけに冷たくて、答えるラビの声が、少し震えた。
「平気。悪いユウ、ミスった」
 あの閃光に意識を奪われ、そのまま視力が戻らなかった。何か危険そうな雰囲気だけがビシビシと伝わってきたけれど、何が起こっていて、どう対処したらいいのかわからなかった。
「どうなった?」
「あー…AKUMAさん消えたみてぇ。……アレンがイノセンス回収したっぽいさ」
 背を向けているせいで現状が窺えなかったことと、ラビの目がちゃんと見えているのか確認するために、神田はあえて体勢を変えずに呟いた。
「そうか…」
 一息ついて、石柱に突いた腕をぐいと伸ばし、その反動で身体を反転させる。どさりと地面に腰をつけ、ラビの右隣にもたれる。
「やり切れない…任務…だったな」
 肩が触れるか触れないかの位置で、腹の辺りに手を組んで、目の前の暗がりを眺めた。
「…そうさね…。伯爵に恋したAKUMAと、愛した女をAKUMAにしたイノセンス…か」
 苦笑するラビの声が耳に心地良い。
 逢いたい・力になりたいと言ったAKUMAの気持ちは、今なら自分にもわかる。
 自分勝手でも何でも、ただ傍にいたいと想う相手がそこにいる。
「ラビ…」
 ゆっくりと目を閉じた神田に、視線も動かさずにラビはうん?と促す。
「────……悪い…」
 静かに、羽音のように耳に届いた声に、何に対する謝罪かわからない、とラビは振り向く。
 もう好きだと言わない、なのか。今までごめん、なのか。全部なかったことにしよう、なのか。
 自分ではもう満足に抱きしめてさえやれない。
 彼が出した答えには甘んじよう、と思っていたが。
「ユウ?」
 振り向いた目の前で、揺らぎ傾いでいく身体。
 どさり。
 音がするまで、彼が倒れるということを認識できずにいた。


「ユ…、ウ?」


 ドクリと心臓が鳴った。
「ユウ!?」
 暗がりでも、神田が動かなくなったことがわかる。爆発の衝撃で 痛む身体を無理やりに動かして、細い身体を抱き起こした。
 ぬるり。
「────…」
 なんだ、これ。
 最初に出てきた言葉がそれだった。
 抱き起こした手が、赤い血液に濡れている。半端な量じゃない。恐る恐る彼の身体を見直して、こちらの方こそ血の気が引いた。
 丈夫であるはずの団服はズタズタに裂かれ、血に濡れている。視線を下にずらすと、棒状の瓦礫が腹に突き刺さって、いた。
「ユ…ユウ、ちょ、何コレ」
 ぐいと自分の方に引き寄せても、カクンとのけぞる神田の白い喉。 血に濡れた手とその喉の白さが対照的で、ラビの視線が揺れ動く。
「ユウッ…ユウ、ね、なんで…ちょっと、待ってなんで…っ、こんな…ユウ!」
 ゆさりゆさり揺さぶっても、だらんと腕が落ちるだけ。
 ひゅ、と飲んだ息が止まった。カタカタと歯が震えた。
「ユウ、ユウッ! な、ちょ、マジ頼む目…、目ぇ開けて」
 彼は目の見えなかった自分を庇って爆撃を受けた。
 あれだけ吹き飛ばされた状況下で、怪我をしない理由なんかどこにもなかったのに。
「目…開け……て…っ…!! 頼む…頼むさユウ! 目ぇ開けろ!!」
 こんなのはイヤだ。
 こんな別れ方はイヤだ。
 さよならと言った。だけどあなたがまだ生きていたから。だから平気だと思った。生きていてくれるなら、遠くで微笑んでいられるよ、と思った。
「ラビ!」
 異変に気がついたアレンとブックマンが走り寄ってくる。血に濡れたラビの手を見て、正直ゾッとした。
「ユウッ…ユウ…!」
「落ち着け小僧! 容態も診れんわ!」
 神田の名を呼び続けるラビを無理やりに引き離し、ブックマンは状態を把握する。アレンはラビの肩を押さえ、大丈夫だと言い聞かせた。
 大丈夫だと、思いたかった。
「さっきまで話してたんさ! やり切れない任務だったって言って……オレの…名前…呼んでくれたさ」
 崩れた身体を抱きとめることもできなかった。どくりどくりと流れ続ける血液に、目を塞いでしまいたかった。
「ラビ、落ち着いて」
「イヤさアレン……ユウは…? ユウ、ダイジョブだよな…?」
「ラビ」
「ここで死んでくようなヤツじゃないさ!?」
 頼むから落ち着いてくれと、ラビの身体を押さえるアレンの横で、シュッと何かが風を切った。
「落ち着かんかこのたわけが」
 全身全霊を込めた、ブックマンの拳がラビの赤毛を揺らす。ゴッと響いた音はいっそ爽快で、アレンが目を瞠った。
「危険な状態ではあるが心臓は動いておるわ」
「ぁ……っ…」
 すぐに処置をしなければ手遅れにはなるがなというブックマンに、 アレンはひとまず大丈夫なのかと息を吐く。油断はできない、ということで、すぐにでも先ほど身を寄せた建物に待機させている医療班を呼び寄せなければと腕を伸ばした。
「ラビ、ゴーレム借りますね」
 ふぅーっと長く息を吐くラビの肩をポンと押して、呼びかけに応じて飛び出てきた臨時ゴーレムを指に止まらせた。
「………」
 生きている、とわかった時点で急に力が抜けた。
 急速に冷えていく神田の身体を抱いて、消えそうな命に触れたから。
「なぁ、ジジィ」
「なんだ」
 開いた両膝を立て、星の浮かんだ空を見上げた。
 あんな別れ方はもうイヤだ。
 つい数秒前まで隣で話していた恋しい人と、あんなふうに別れることだけは、絶対にイヤだと思った。
「この眼、いつまで保つかなァ」
 自分ではないこの人に、これを訊くのは幾度目だろう。
 ブックマンは歴史を記録する者。未来が見えるわけでもないのに。
「……さぁな」
 案の定、明確な答えは返ってこない。
「だがせめて、この男が死ぬまでは維持してやれ」
 バカ弟子が、と付け加えたブックマンに苦笑して、そんなのいつになるかわかンないじゃんと俯いた。
 師匠なりの、喝のつもりだろうとラビは喉を詰まらせる。ではせめて神田が生きてるうちくらい、世界のすべてを見せてくれ。
 そう願ったとき、空の星が、流れ落ちた────。