Life

2006/05/03



 キィ、とドアを開けた。立て付けが悪いのか、心なしか鈍い軌道を辿ったドアを後ろ手に押し戻して、神田は辺りをきょろりと見回した。
「ユウ、こっちこっち」
 聞こえた声を頼りに目標捕捉。高い脚立のてっぺんで、分厚い本を広げながら、見下ろしてくる笑顔。天井高く敷き詰められた圧迫感の消えない書庫で、よくもそう笑っていられるものだと神田は思う。
「よっ…と」
 脚立のアシを頼って滑り降り、手にした本の埃をぽんぽんと払った。
 大した照明もない書庫で、少年の髪は渋く色を変える。
「どうだった? 定期検査」
「いつもと変わんねー」
 神田の返答が素っ気無いのはいつものハナシ。まだ流暢に話せない英語にてこずっていることを、抜いても。
「そっちは」
 もう決まってしまったかのようなこんな会話を、出逢ってから幾度繰り返しただろう。
「オレも、変わんないさ。脳波測られて血ィ抜かれて、色んなもん飲まされて、ワケわかんねー数値ばっか出されてハイ終わり」
「……アレで何がわかるんだろうな」
「さぁ? どの本にも、書いてないね」
 自分たちは教団にとってなくてはならない存在らしくて、何を置いても最優先される。体調の管理が、その一環だ。月に二度は検査を強要され、半日を潰された。
「ユウ、そろそろこの書庫だと暗いさ。オレの部屋行こ」
 そうして検査が終わった後にはふたり、書庫に来るのがクセになってしまっていた。
 入団したての頃、教団のことを知ろうにも、オトナたちは適当なお為ごかしばかりだったし、頭にきてふたり書庫に駆け込んだのが、最初。
 元々知識を詰め込むのが好きらしかったジュニアに付き合って、神田も本を読み始めた。
 もっとも、子供の少ないこの教団に、童話などの絵本が親切に置いてあるでもなく、聖書や歴史の書物がそのほとんどだった。
 当然面白いわけはなく、神田の興味はすぐに削がれる。
「今日もかよ…」
「当然さ。ユウまだ英語覚えきってないデショ」
 それを察して、ジュニアが神田の腕を引いたのは、一体いつだったか。
「うるせぇな、最近は辞書使わなくなったぞ!」
「最近は、じゃん。ユウ、まだRの発音オカシイ」
「オマエっ、人が下手に出てれば……!!!」
 その言葉のどこが下手辺りなのだろう、と周りで人が聞いていれば誰もが思ったことだろう。
「ユーウ、日本語」
 ジュニアの気味悪いまでの笑顔にハ、と息を止めても、口に出してしまった母国語は口の中には戻ってこない。
 約束だった。
 ジュニアは神田に英語を教え、神田はジュニアに日本語を教える。もともとほとんどの日本単語を習得していたジュニアが、神田がたどたどしく教える日本語などたやすく飲み込んでしまい、今ではジュニアが神田に教えるのみとなってしまった。
 きちんと覚えるまでニホンゴ禁止、と笑ったジュニアに、売られたケンカは買うぜ、とばかりに頷いてしまったのは、神田の短慮。
「今月四回目さぁ〜。あと一回で罰ゲームだねユウ」
「うるさい!」
 うるさい、
 黙れ、
 放っておけ、
 エトセトラ、えとせとら。
 神田のそんな乱暴な言葉は聞き慣れて、笑う顔で軽くあしらうのももう飽きて。
「なんでてめぇはそう、記録したがるんだよ!」
「や、それがオレの仕事さぁ〜」
 軽く憤った神田にへらりと笑う。
 だけど【オレの仕事】とはまだ言い切れなかった。何しろまだ正式な後継者ではないのだ。
「あと何年かな…」
 自嘲気味に呟いた声が神田に届いてしまったらしく、彼からもポツリと声が漏れる。
「ずっと聞こうと思っていたんだが」
「ん?」
 なかなか機会を合わせられず、喉の奥に固まってしまってた。ジュニアは振り向いて首を傾げる。
 自分たちが、お互いのことを話し合うことは滅多になくて、しかも神田の方から話しを振ってくるなんて、本当に珍しいことだった。
「ブックマンって、……どういうものなんだ?」
 ハタ、と立ち止まる。そういえば話したことはなかったろうかと。
 今話して、彼はどれだけの理解をしてくれるだろうかと。
「うーんと、ブックマンてのは……歴史を記録するものなんさ」
 記録?と歩きながらオウムのように神田は返す。ジュニアはうん、と声だけで頷き、得意げに笑って見せた。
「世界中で起こったことを書き記して、…あるいは口で伝えるだけで。次の世代に史を残していく、重要な役割さ」
 ふぅんと、わかったようなわかってないような口ぶりで、神田はジュニアの隣りを歩く。
「オマエは、【何かを知る】ことが、…好きなんだな」
 言われた言葉に一瞬だけきょとんと視線を止めて、少しだけ高い目線から神田を見下ろした。
「うん、好きさ…」
 まさか、そんな風に返されるとは思ってなくて。
 嬉しい、と思ってしまう。
 この道を選んだ根本を、彼は何の気なしに口にしてくれる。日々知識を詰め込まされる中、忘れかけてた、好きという気持ち。
「だからオレ、頑張るんさ。まだ候補だけど、もっと知りたい。表も裏も」
 オマエならなれるだろ、と返しかけたところに、不可解なコトバ。表も、裏も?
「ウラ、って?」
「あ、えーと。史上には……本にはならない出来事とかも、全部記録しなきゃいけないんさ、ブックマンは」
「全部!?」
 思ってもみなかったことに、珍しく神田が声のトーンを上げる。
「うん、全部さ。特に戦争ごとはね。【誰が勝利したか】は表の史実。【誰が暗躍したか】は裏の事実」
 誇らしげに語るジュニアを見つめ、何故だか急に独りぼっちになってしまった気がして、置いていかれた気がして、少しだけ口唇を噛んだ。
「……他にもいるんだろ? オマエの仲間っていうか、そういうの。だったら……」
 自分にはそれがどれほど大変なものか、正直よく分からない。だがその人間たちになら、ジュニアのしている事がよく分るのだろうと酷く悔しくなる。
 仲間がいるのなら任せてしまえばいい、と思って気づいた。
 これは紛れもない疎外感だ。自分に分からないことを、将来を、嬉々として語られて、急に遠くへ行かれた様な気持ちから抜け出せない。子供じみた嫉妬も入り混じって、感情を持て余す。
「ん? ブックマンは世界にひとりさ?」
 自分ではどうしても成し得ない業を、分かち合う人間に嫉妬して、心に溜まったモヤモヤをぶつけて、だけど返ってきたコトバはそれを裏切るもので。
「世界に……ひとり?」
 この広い世界の中で、どれだけの戦争が起きているかは分からない。けれど、ひとりで記録することが簡単でないことくらい、易く知れる。
「そうさ? 裏の歴史は口承だから、語る者は少なくなきゃいけない。これは伝言ゲームじゃないんだしさ」
 だから今、世界でブックマンを名乗れる人間はジジィしかいないんさ?と笑いながら、辿り着いた自室のノブを回した。
「……ジュニア」
 ふたり、いつもならここで何も構わず部屋に入り込むのが常となっている。だけど神田はドアの前で踏み止まり、部屋に入ろうとはしなかった。
「ユウ? どした…」
 訝しんでジュニアが神田を迎える。手を握り引いても、動こうとはせず押し黙ったまま、神田は視線を俯けていく。
「こんなとこで…こんなんしてる場合じゃねェんじゃねーの、オマエ」
 神田のこんな風な静けさは珍しく、ジュニアの方こそ不安になってしまう。
「こんなとこでオレの相手なんかしてねーで、詰め込むべき知識を手に入れたらどうだ」
「ユウ、どうしたんさ? だってユウ、まだ英語覚えられてないし、オレ」
 そうだ、確かに覚えきってはいなかったし、教団の共通語である英語を覚える必要はあると思っていた。
 だけど、犠牲を払わせるつもりなんかなかったんだ。
「離せ、ジュニア」
 そんなに大変なことだとは思っていなかった。コムイに紹介された時も、自分とは違う種類のエクソシストだとは思っていたけれど、まさかそんなに。
「ユウ」
「オレなんかに構うなよ……っ!!」
「ユウ!」
 とっさに振り払った腕は再び捕らわれて、引き寄せられた。開いた視界に映る、細い赤毛。何度瞬いてもそれは変わらず、身体に巻きつく腕は強くなる。
「ジュ……ニア?」
 他人の体温をこんな風に感じるのは初めてだった。物心がつく前に両親は離れて行ったし、自分のおかしな力を制御してくれていたあの人も、自分を抱きしめてなどくれなかった。
 人間の体温がこんなにも温かいなんて思わずに、神田はその感覚に戸惑ってしまう。
「ジュニア、どうし」
「ユウ、聴いて」
 何事だろうか、と身を捩っても、ジュニアの腕は弱まらず、それどころかよりいっそう強く身体を締め付けられ、心臓が変に踊った。
「ユウにちゃんと言ったこと、なかったさ」
 ごめんと耳元に囁かれて、言いようのない不安に駆られる。自分に構うなと言ったのは確かに自分だが、ジュニア自身からそれを告げられるのは、できれば聴きたくない。
「ジ、ジュニアいい、オレ」



「オレ、ユウがいてくれて良かったと思ってるんさ」



 ちゃんと解かってる、と目をきつく閉じたところへ、ふわり呟かれる言葉。思わず目を見開くと、そこには変わらず赤橙が広がっていた。
「師匠がいるとは言え、こんな右も左もわかんない閉鎖空間でさ、ユウがいてくれて良かった。ふたりとも男だし、年齢も一緒だし、なんかそれだけで安心しちゃったもん、オレ」
 エヘヘ、と笑い声。ぎゅう、と抱きしめてくる強い腕。その体温に真実が視える。
「だから、ユウとはちゃんと友達になりたかったし、今だってもっと仲良くなりたいって思ってるさ」
「ジュニア……」
 何をどう返せばいいだろうか。自分も同じことを思っている、と言ってやればいいだろうか。それとも背中に腕を回してやればいいだろうか。
 どちらもできなくて、彼のシャツの裾を握って肩に顔を埋めるだけだったけれど、も。
「へへ」
 嬉しそうな、本当に嬉しそうな声が耳の奥に入り込む。気恥ずかしくて、ジュニアの身体を押しやった神田の頬は、やっぱり赤かった。
「ユウ、ねぇずっと友達でいてね」
 あの時の、太陽みたいな笑い顔。ここ最近太陽なんてまともに見ていなかったけれど、この顔より温かいものだったろうかと考える。
「……あぁ」
 それでも自分はそんな笑い方を知らなくて、神田は今できる精一杯で応えてみせる。
「マジで! やったさ!!」
 すんなり承諾してくれると思っていなかったジュニアの、両腕の指がまっすぐ天井を指した。その勢いに驚いた、神田の肩がびくりと揺れる。
 バンザイ、きみと逢えて良かった。
「そ、んな喜ぶことかよ」
「だって、嬉しいさ? ユウ、ユウ。オレたちふたりの、ルール決めよう、ルール」
「……ルール?」
 身体を解放されて、神田はようやっと正面からジュニアの顔を覗き込む。
「あー…えーっと、決まりごと……約束?」
 約束、という不慣れな言葉が耳に入った。単語としてはもちろん知っている。何か物事を誓い合う行いのはずだ。
 本の散らばったベッドにボフンと身体を沈め、ジュニアは天井を仰ぐ。
 神田はベッドにもたれ座り込み、少し無理してジュニアを振り仰ぐ。
「例えば?」
「んー……嘘はつかない、とか?」
 ありきたりだけど、と返されて考えてみる。
「けど、嘘が必要な時ってあるだろ」
 例えば怪我をしてしまった時。
 例えば驚かせたくて何かを隠す時。
「あー、そっかぁ……じゃあねぇ……あ、ご飯。ご飯一緒に食べよ」
 ガバッと起き上がって、神田に笑む。今ではもう、食事を共にするのが当たり前になっていたが、改めて言葉にされると、それが特別なことのようにさえ思えた。
「……ああ、分かった」
「後さ、後ね、任務で逢えない時とか、電話してもいい? ユウからも欲しいさ〜」
 任務に出されるのはまだずっと先だろうケド、と続けるジュニアに、
「オマエ、それ。約束っていうより願望じゃねーか、バカ」
 そう、呆れながら返した。
「ダメさ? ユウ、ねぇ」
 細い眉尻が下がる。そんな風に下手に出られてしまっては、承諾せざるを得ない。
「……する余裕があったらな」
 どれだけか後には自分たちも任務に借り出されるだろう。こんな風に毎日を共に過ごすこともなくなるはず。
「良かった──〜っ、ユウが忘れないように、紙に書いとくさっ」
 せめて、生きてることを教えてください。
「ジュニア、はしゃぎ過ぎ……」
 何がそんなに嬉しいのか、飛び跳ねてペンを取るジュニアに、くすぐったさを感じながらも神田は素直になりきれず、諌める側に回ってしまう。
「いいじゃん。嬉しいときは思いっきりはしゃぐさ〜。ユウ、もっとない? 約束」
 ジュニアはそわそわしながらペンを握る。
 どんな小さなことでも構わなかった。些細なことでもこの人と繋がっていられるなら、例えどんなものでも。
「……別にねぇ」
「えー!? オレが言ってんのばっかじゃん! 何か出して何か」
 友として、ここに存在する、存在した証しにできる。共有できる何かがあるということは、それはそれは幸せなことなのだから。だから、神田にも同じように思って欲しい。そう思ってしまうのは、子供のワガママだろうか。
「ユーウー…」
「う……」
 捨てられる直前の小動物のような瞳で見下ろされて、神田は言葉に詰まる。自分がものすごく酷いことをしている様で、バツが悪い。
「……………」
 何かないだろうかと天井を見上げてやる。こんな風に自分との繋がりを思われて、悪い気はしない。むしろ嬉しく思う。
 こんな閉鎖的な建物の中で、お互いの存在は自分で思っている以上に大きくて、支えになってはいるらしい。
「……じゃあ…任務……」
「うん」
 ゆっくりと呟く神田。聞き逃すまいと、ジュニアは身体を乗り出した。
「任務……怪我しても構わねェから…ちゃんとここに戻ってくる、とか、か?」
 任務が危険を伴うものだということくらい、もうとっくに知っていた。イノセンスの確認や回収に出向いてアクマに出くわすことだって少なくないだろうし、元よりアクマ討伐の任務である場合だってあるのだ。
 命の危険は、当然────ある。
「…うん……うん、ユウ。約束しよ」
 ジュニアは純粋に、他には何も考えずに嬉しかった。半ば強引に提案した【約束】に、笑わず真剣に返してくれた。
 距離は確実に縮まっていると見て取れる。
「ついでに、どっか出かけるときはちゃんと言ってけ」
 小さくため息とともに吐かれる言葉は、神田にしてみれば大した理由はなかっただろう。
「そうさね、心配しちゃうもんね、ユウちゃん」
「ユウちゃんて言うな! 女じゃねーんだ!」
 ブックマンに手を引かれるまで独りだったジュニアに取って、あまり体験したことない行動だった。
「ま、とりあえずそれも書こ。全部。あと何かあるかなぁ」
 神田もうーんと唸って考える。一度提案を出して開き直ってきたのか、神田の口も緩む。
「朝、修練出るときとか、起こせ。抜け駆け禁止」
「中庭に花が咲いてたら、教えて」
「食堂に美味いモンあったら教えろよな」
「好きなコできたら教えて? 応援するさ」
「女に興味なんかねーよ」
「じゃあ任務から戻る時も、お互い連絡しよ」
 えとせとら、えとせとら。
 紙に書き出してみると、それは結構な量になり、子供じみた他愛のないものだったり、思いのほか重要で、大切なことだったり。
「多いな」
「多いさ」
 ふたりでそれを見下ろして、改めて考え直す。たくさんの事を約束できれば、それは良いことに違いはないのだろうけれど、すべてを覚えそれを実行できるほど、自分たちは大人ではない。
「じゃあ、これと」
「これも」
 じゃあ本当に大事なものを選んでいこう、と指を指す。
 相手が示したものは自分も納得できるもので、何も文句はない。
 同じことを思っているんだと、嬉しかった。
「できたさ〜!」
「ま、こんなとこだろ」
 そうして頭を悩ませて、選び抜いたものは五つ。


 食事は共に。
 逢えない時は通信を。
 出かける時・戻る時は告げること。
 怪我をしても生きて戻れ。
 生涯を、友として。


 満足そうにふたり、息を吐く。何かひとつ大仕事をやり遂げたとでも言うように。
「ユウ、ちょっとつきあって!」
「は!?」
 ぐいと腕を引かれて神田は慌て顔を上げる。
 否応なしに立ち上がらされ、何をするんだとジュニアを睨みつけたが、そうされた、当のジュニアは涼しい顔だ。
 左手に書き出した紙を。
 右手に細い親友の。
「これ、ちゃんと誓お?」
 そう言って笑う。
 ぽかんと口を開けた神田の腕を引き、足早に部屋を出る。
「おい、ジュニア、待て、なんなんだ、いったい」
 強い力で引かれ、後をつき歩くしかない神田と、さらに足を速めるジュニアと。
 走る、と言ってもいいだろう。バタバタと二人分の足音が廊下に響き、何事かと顔を覗かせる団員もいた。
「おっとぉ」
 危うく衝突してしまいそうだったのは、科学班のリーバーだ。
「ごめんさリーバー!」
 相変わらず大量の資料を両手に、不精のヒゲを生やした青年は、
「大丈夫だ。反射神経いいからオレ」
 そう言って皮肉った。
 ジュニアもそれに軽く笑う。そうしながらも、掴んだ神田の腕は放そうとしなかった。
「ずいぶん仲がよくなったんだな、どこへ行くんだ?」
「大聖堂! じゃあねえリーバー、お仕事頑張って〜!」
 するりと駆け抜けて行くふたり。そんな光景はここじゃやっぱり珍しい。
 微笑ましいなと思いながら、気の遠くなるような枚数の資料を見下ろした。頑張ってと言われてしまっては、頑張ってみるしかないだろう。リーバーは、ひとり指令室へと足を向けた。




 大聖堂へ何しに行くんだ、と問いかけようとして、続かない呼吸に失敗した。
「ジュニ…、待、何」
 人ひとり引っ張る形にしては、駆ける速度が速すぎる。ついていくのに精一杯で、どこをどう走って来たのかさえ思い出せなかった。
 階段を何段か降りて、角を左に右に、何度も曲がって。辿り着いたそこは教団の大聖堂。
 いささか大仰なファザードを抜け、ふたりで聖堂に入った。
 ここに来たことがないわけではない。案内程度ね、と言われて入団当初、コムイに連れて来られたのを覚えている。
「よし」
「なにがよし、だ。ワケがわかんねぇ。いい加減離せ」
 満足げに短く息を吐いたジュニアの横で、それでも振り払うことはしない。気づいたジュニアが、ごめんと腕を解放する。
「で、なんなんだ」
 改めて、この行動の真意を訊ねてみる。何せジュニアの部屋からこんな所まで引っ張り出されたのだ、理由が納得できなかったら、いったいどうしてやろうかと考えた。
「神様の前で、約束しよ。ユウ」
「────は!?」
「しぃっ、聖堂で騒いじゃダメさ〜」
 ジュニアは一本だけ人差し指を立て、口唇の前に持っていく。神田も思わず口をつぐんでしまった。
 そうだ、ここは祈る場所である。ジュニアも、もちろん神田だって、正直クリスチャンではなかったし、信じなければ救ってくれない、そんな不確かなものに縋れるほど不幸でも、また幸福というわけでもなかった。
「男と男の、大事な約束さ。こんな時くらい、いるかいないかわかんない、カミサマを信じてみても良くない?」
 す、と手を差し出される。一緒に祭壇の前まで行こう、と。
 男と男の、と言われてしまったら、引き下がるわけにはいかない。いっそ本能に近い、プライドだ。
「……ああ」
 差し出して握った手。
 お互いが思っていたよりもずっと温かくて、ふたりでゆっくりと歩き出す。
 暗い飴色の椅子と、白い祭壇。傍の小机には十字を掲げた布が下がり、正面に鮮やかなステンドグラス。そういえば書庫で読んだ聖書に、似たようなモチーフがあったことを頭の隅で思い出す。
「どう…するんだ?」
「どうしよっか」
 ふたり祭壇の前に立ち、十字に囲まれる空間で、お互いの声だけを頼りにした。
「考えてないのかよ」
「具体的には」
 ジュニアはどうしてみようかと考える。
 誓うのはお互いと自分自身。
 証人はカミサマ。
「じゃあ、祈ろう」
「祈る?」
 首を傾げる神田に、紙に書いたこと覚えてる?とジュニアは訊ねた。神田がこくりと頷いたのを確認すると、手を繋げたまま正面、十字架に愛された男の像を見つめた。
「心ン中で思うだけでいいさ。守れますようにって」
 ふたり、息を吸って、無意味に息を潜める。同時に閉じた目蓋と、握り直した手のひらの体温が、祈り想うために心を落ち着かせていく。
 示し合わせたわけでなくふたり、心で五つの約束をなぞった。


 食事は共に。
 逢えない時は通信を。
 出かける時・戻る時は告げること。
 怪我をしても生きて戻れ。
 生涯を、友として。


 そっと、目を開けるのさえ、同時だった。手のひらから伝わるリズムが、きっとそうさせたのだろう。
「約束さ、ユウ」
 笑って、ジュニアは神田を振り向く。
「約束だ、ジュニア」
 神田も、僅かに笑んでジュニアを振り向いた。
 滅多に見られない神田の笑い顔に目を丸くし、そして思い切り頬を綻ばせる。
「ここまで来た甲斐があったさ。ユウが笑ってんの見るのは久しぶり」
 戻ろう、と手を引く。
「腹減った……」
「あはは、ちょっと走っただけじゃん」
 朝もちゃんと食べたのに、と笑うジュニアに、育ち盛りなんだよなどと言ってみる。
 じゃあ少し早いけどお昼ご飯を食べにでも行こうかと誘うジュニアに、神田は一も二もなく頷いた。
 ジュニアは握っていた紙切れをポケットに突っ込み、ふたりそろって、聖堂を後にする。
 ふたりが立ち祈った場所に、普段はあまり差すことのない光が小さな窓から降り、照らしていたことなどは、知る由もない。