Life

2006/05/03



 大して強いアクマじゃなくて良かったね、と戻った途端に厭味を吐かれた。メガネをかけ直すコムイは、少なからず怒っている様で、返す言葉はない。
「で、報告書はどっちが提出してくれるのかな」
 いつものようにデスクで大量の資料に埋もれながら、コムイは組んだ手の上に顎を乗せた。正面のソファで疲れたように身体を沈めるジュニアと、厭味は聞きなれたと言わんばかりの神田と。
「は? 報告書なんてもん提出しなきゃなんないんさ?」
 さすがにレベル一とは言えアクマ数体を破壊してきた後では疲れているのか、ジュニアの声も気力がない。
「ジュニアに任せる」
 そう言ってガタリとソファを立つ神田に、えぇーと身体を起こす。初の任務で疲れているところへ、なんてモノを押し付けるのだと。
「どっちにしろ覚えなきゃ、今後の任務に支障がある。記録はオマエの十八番だろうが」
「それ言われるとツライさ〜。はいはい、センパイには適わないさね〜」
「じゃあ頼むねジュニア。思った以上にキミが成長してくれていて助かるよ」
 次の任務もよろしく頼むね、と笑うコムイ。認めてもらえたんだと、ジュニアも嬉しそうに笑った。それを横目で見やり、神田は息を吐き、身体をドアへと翻す。
「早めに持ってきてね〜」
 ひらひらと手を振るコムイに、では部屋で書類をまとめよう、と立ち上がったその時だ。バサリと紙が舞う音がしたのは。
「────!?」
 驚いて振り返る。元々エクソシストは音に敏感だ。結界が張ってあるこの塔の中でも何が起こるかはわからない。
「神田くん!!」
 音の先に、うずくまる黒い団服を見てコムイが慌て立ち上がる。彼が駆け寄るより先に、神田を抱き起こした者はいたけれど。
「ユウ、ユウどうしたんさ!?」
 どうしたというのだろう。先ほどまで何ら変わりはなかったというのに。
 意識を失って倒れた神田を抱き起こしてみて、ジュニアは見た目よりもずっと軽い彼の体重に眉を寄せた。
「ユウ……!」
 肩を揺すってみても、意識を取り戻す気配はなかった。
 余程深いところまで意識が沈んでしまったのだろうか。
「キミが帰ってきたことで、張り詰めていた意識が、吹き飛んじゃったのかな。少し休ませてあげないと」
 部屋に運ぼう、と手を差し出すコムイを軽く睨み上げて、ジュニアは神田の身体を抱き上げた。
「オレが運ぶさ」
 あんたは忙しいだろう、と理由を付けてやる。いや、実際忙しいのは、後ろの方で科学班がそわそわしているのを見ればわかる。
「書類、後で提出に来る」
 そう言って司令室を後にする。
 また副作用が出たかな、とコムイが眉を寄せたのには、当然気づかないで。





 寝やすいように団服とブーツだけ脱がせ、ベッドに横たえて、ブランケットをかける。
「……無理してたんかなぁ……」
 任務中はそんなこと考えもしなかった。体調が悪いのなら、無理に任務に行かせてくれなどと言わなければ良かった。そうすれば彼がついて来ることも無かっただろう。
 彼は特に自分のことを口に出さない。そんなところは、昔から変わっていないようだ。
「う……」
 団服の埃を払い、ハンガーにかける。小さなうめき声が聞こえて、慌て振り向いた。
「ユウ!」
 先ほどより顔色は良くなったが、意識が戻ったわけではないようだ。苦しそうに寝返りを打ち、シーツを握る。
「……ユウ…」
 どうしてやればいいだろう。苦しそうな呼吸にただ戸惑い、髪を撫でてやるくらいしかできずにいた。
「……っう…、く……」
「ユウ……ッ……」
 酷い汗だ、と眉を寄せる。どこか痛いせいなのか、熱が高いせいなのか、この状態では何も解からない。せめて汗を拭いてやらねばと、クローゼットからタオルを引っ張り出す。
「ユウ、ユウ大丈夫さ? 苦しい?」
「つ、うっ……はぁっ、はぁッ」
 おかしい、とジュニアは眉を寄せた。風邪で具合が悪いというわけではなさそうだ。熱は高いが喉は腫れていないように思える。
「ユウ、どっか痛い?」
 答えるどころか、この声が聞こえているかどうかも定かではない。こんな時、師匠であるブックマンがいたら、針で症状を改善できるかもしれないのに。
「と、とりあえず汗拭かなきゃ」
 この上本当に風邪でも引いたら大変さ、と神田のシャツに手をかける。手が震えているのは、何もできない戸惑いからか、それともこの不埒な感情のせいなのか。
 ひとつひとつボタンを外して、身体の汗を拭いてやるつもりだった。少しでもラクになればと思って、そうしたんだ。
「……」
 途中手が止まってしまったのは、見慣れないマークを見つけたから。
 神田の左胸、ヴァチカン系列の文字とはとても思えない、形。
 ────何さ、これ
 目を疑った。瞬きをしても、息を止めてみても、左胸のその文字は消えず、ジュニアの思考を低下させる。
 ────何、これ。……何……なんでこんなもん、ユウに
 ようやく思考の回路が戻ってくる。それでも冷静な判断などできずに、ジュニアは神田のシャツをぎゅっと握り締めた。片手を動かし、その文字をそっとなぞると、
「が……ッ…!!」
「!!」  神田の身体がビクリと跳ね、悲鳴を上げた。
 慌てて手を離し、シャツのボタンを留め直す。
 彼の身体に何が起こったのかわからない。だが原因がこの文字であることは、容易に知れた。
 額に浮かんだ汗をそっと拭い、ジュニアは歯を食いしばって感情を抑える。
 自分がいない間に、なにかあった────なにがあった。どうすればいい。
「……っ」
 呼吸の治まってきた神田の髪を撫で、もう大丈夫だろうと思い静かに部屋を出た。
 向かう先は司令室だ。






 僅かな物音に、コムイは顔を上げた。ちょうど目を通す書類に一区切りついたところだったせいもあり、視線を物音の方に向けてみると。
「やぁジュニア。神田くんは大丈夫だったかい?」
 沈痛な面持ちの少年が立っていた。
 どうしたの、と訊いてみるのは一応のポーズ。大体は予想がつく。ジュニアはゆっくりとソファに腰掛け肘をついた。
「コムイ……ユウのあれ、何さ」
 口唇の前でぎゅうと強く組む。そうしていても、僅かな震えは止まらずに、眉を寄せた。
「何のことかな」
 ああやっぱり見てしまったのかと冷めかけたコーヒーを口にして、平静を保つ。
「しらばっくれんな! あんたがあの文字のこと、知らないはずがないさ!!」
 バッと顔を上げてコムイを睨みつける。泣きそうだと思った。いくら知識を身につけても、親友さえロクに助けてやれない、と。
「ユ、ユウ……ちっちゃい時あんなんなかったさ! なんであんな苦しそうにしてんの、放っとくんさ!?」
 何の理由があって、あんな毒みたいなものを付けているのか。付けさせているのか。間違ってもあれはファッションなんかじゃない。神田に元々そんな洒落っけなどないし、苦しんでいたのはあれが原因であると、はっきりとわかるのに。
「……ジュニア、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられるか!! ユウ、すげぇ汗かいてたんさ! あんなん、見てらんねぇ!!」


「あれは神田くんが望んだことなんだよ」


 コムイの静かな声に耳を疑った。この男は今なんと言ったのだろうか?  神田自身が望んだことだと、彼の口は今そう言った。
「なん……だって?」
 ウソだろう、とコムイを見返しても、視線は合わなかった。眉を寄せて逸らしたまま、コムイは告げてくる。
「神田くんに頼まれて、術師を探したのは僕だ」
 ただ茫然とするしかない。  
 あの苦痛の原因を、彼自身が望んでいるだなんて。そんなことをする必要はないだろう。どう考えても悪影響だ。
「術って……術ってなんなんさ! なんでユウがそんなこと!」
 激しい剣幕に一瞥だけくれて、コムイは短く息を吐いた。もう隠し果せるものではないと観念したのか、口を開く。
「あのコ、一度死にかけたんだよ」
「────……え?」  一瞬何を言われたのかと思った。コムイの声は重く、それが嘘や冗談でないことが解かる。
「いつだったかの任務で、瀕死の重体になったんだ。その時だよ」
 あの梵字を入れたのは、と続けるコムイ。ジュニアは事態を把握しようと、必死でその言葉を頭の中で反芻した。
「まだ死ぬわけにはいかないって、血まみれの手で僕の腕掴むんだよ。ちょっと夢にでも出てきそうだったな」
 自嘲気味に笑うことで、脳裏に浮かんだ光景をコムイは振り払う。ひとつ息を吐いて、
「教団としても、貴重なエクソシストを死なせるわけにはいかなかったからね……どんな作用があってもいいから生かせって言った神田くんに、術を施してもらったんだよ」
「その……作用って」
「あの梵字は回復術の証しなんだ。どんな怪我でもたちどころに治すっていう、ね。ただ……それは」


 その術は命を削るんだ。


 そう言ったコムイは、俯いたまま視線を上げなかった。
 なんということをしてしまったのだろう。本人の希望だったとは言え、十数年しか生きていない子供に、そんな選択をさせた。
「確かにあの術じゃなきゃ、神田くんは助からなかったけれど、時々ああやって副作用の発作が起こる。少し休めば治るみたいなんだけどね」
 頭の中が真っ白になった。こんな風になったのは、どれだけ振りだろう。突然に修行の旅に出ることを知らされた、あの時以来かも知れない。
「それ……ユウは納得してるんさ?」
 鼻筋を汗が伝い、喉が震える。
 なんという仕打ちだ。
「……納得した上で、【できるだけ任務に出たい】って言ってる」
 少しでも外に出て、あの人の痕跡を捜すんだと。そこまで聴いて、ジュニアは俯いて髪をかき混ぜる。渦巻く感情をすべて塵のように分散できたらいいのにと。
「まだ、捜してんのか……」
 別れる直前だった。探している人がいると聴いたのは。五年経った今でも、ロクな情報は集まっていないんだろう。
「ジュニア、どこへ」
 踵を返したジュニアを、コムイが心配して呼び止める。少しだけ振り返った顔は、およそ十六の少年が持つものではなかった。
「サンキュ、コムイ。話してくれて」
 オレのことなら心配要らないと、背を向ける。
「あと一個だけ。……命削るスピードは、どれくらいなんさ?」
 扉に手をかけるジュニアの背中に、
「……ごめん、それは僕にもわからない」
 静かにそう告げると、わかったと呟いて、ジュニアはコムイの視界から消えていった。
 幸福にはなれそうもないと、思ったのはこれでいったい何度目だ。




 ふ、と目が覚める。見慣れた天井だったけれど、最後に見た景色とは違っていた。
「………」
 確かさっきまで司令室にいたはずだ。部屋に戻ろうとは思っていたが、自分で歩いてきた記憶はない。
「……!!」
 自分の状態を見てガバリと起き上がった。着ていたはずの団服を着ていない。ブーツだって履いていたはずだ。回らない頭で考えてみる。この状況から見るに、自分はまた倒れてしまったのだろう。
 記憶があるのは司令室を出る前までだ。ということはあそこにいた誰かが、ここまで運んだと考えられる。
 あの時あそこにいたのは、コムイと、忙しそうな科学班の連中と、……ジュニアだ。状況から見て、ジュニアが自分をここまで運んだと考えるのがいちばん自然。
「……っくそ」
 風邪でもないのに熱の高い自分を不思議に思ったかも知れない。もしかしたら胸の梵字を見られてしまったかも知れない。
 神田はベッドを降りる。六幻がないことに気づいた。団服も、ブーツもあるのにだ。当然といえば当然か、自分を運ぶだけで精一杯だったのだろう。確信をした。運んだのはジュニアだと。
 コムイは自分のこんな症状は見慣れている。冷静に対処するだろう。だがジュニアは違う。それでなくても五年離れていたのだ。ジュニア自身が【親友】と呼ぶ人間の異変に、慌てないわけがない。
 神田は舌を打って部屋を出た。




 カサリと紙を踏む音がする。どうしてエクソシストというものは、声をかけずに入ってくるのだろうと、コムイは顔を上げた。
「やぁ神田くん。もういいのかい?」
 団服を羽織っただけの神田に、そう声をかける。倒れてからさほど時間は経っていないように思う。今回のは大した発作ではなかったようだ。
「オレの六幻は?」
 きょろりと辺りを見回す神田に、コムイは傍に立てかけてあった六幻を放った。ぱしりと受け取った神田に、後で持って行こうと思っていたんだけどと付け加える。
「……コムイ」
「ごめんね神田くん」
 何かを言おうとする神田を遮って先手を打った。言いたいことは予測がついたからだ。
「ジュニアに、キミの身体のことを話してしまったよ」
 コムイの静かな声に、神田は少しだけ視線を下に落とす。
「構わん。どうせいつか知れる」
 話さざるを得なかったのだろうと思い、六幻を握り締めた。コムイを責めるつもりはないし、ジュニアには何か言い訳をするつもりも、さらさらない。
「ジュニアは?」
「さぁ……さっきまでここにいたけれど。部屋じゃないのかな」
 ではここから修練場に行くまでに、姿を見ることはないなと安堵する。正直、顔は合わせ辛い。六幻を持って修練場に向かおうとして、俯いたままのコムイに気づく。
「……あんたが気にする必要はない」
「だけど、僕のしたことが正しかったとは、思えないな」
 こんなことを話し出したらきっとキリがない。実際何度も話題にしてきたことだ。
「あんたはオレが望んだ通りオレを生かした。それだけだ。何が【正しいのか】だ、笑わせるな。正しくなかったと後悔して、あんたは変えられんのかよ」
 正しいのか正しくないのか、行う時にそれが見えているはずがない。そして、それを後悔するもしないも、全ては死ぬ時にだろう。【良い未来】など、誰に解かるはずもない。
「そんな力が誰かにあるなら、この世界をどうにかしてくれ」
 そう吐き捨てて、苦笑したコムイに背を向ける。
 自分の生を嘆くつもりはない。ただ目的を、遂げるのみだ。そう心で呟いて、神田は修練場に向かっていった。