Life

2006/05/03



 寒さに目を覚ました。むくりと起き上がって、思わず目を瞠ってしまう。  黒い窓枠の外にちらちらと舞う、白い綿のようなそれ。
「……ユウ、ユウ起きて! 雪、雪降ってるさ!?」
 ジュニアの声に、気づいて神田は目をこする。ジュニアはすでにベッドを跳ね起きて、子供のようにはしゃぎ窓枠にしがみついていた。
「…んだ、やけに寒いと思ったら……雪かよ」
 教団の建物内は、科学班開発の空気調整機で、どれだけか常春の気温を保っているとは言え、それだって完璧ではない。私室に舞い込む寒気は肌寒さを感じさせ、ブランケットを恋しくさせる。
「うわー超積もってるさ〜」
 窓から外を見下ろして、銀色の世界を楽しむ。地階からここは七階目。地上からはどれだけ離れているだろう。高くそびえるこの教団の砦にも、天から贈られてくるものは変わらないらしい。
「こんなに降るなんて、どれだけ振りだろうなー。ちっちゃい頃って降ってたっけ?」
「降ってただろ。バカみてぇにはしゃいで雪ん中走り回って、風邪引いたのはどこの誰だっけな」
 うるさい、と言ってみても止まらないだろう口唇に嘆息し、神田も仕方なくベッドを起き上がった。眠気が覚めてしまった今、いつまでも寝転がっていると身体がおかしくなってしまう。
「……ヘンなこと覚えてるさ、ユウは」  
 小さかった頃、とは言っても遡っても片手で足りる程度の年月だ。覚えていることは案外に多く、またそれだけの間柄だった。
 今だって、書物を読みながら疲れて一緒に眠ってしまえるくらい、距離は近かったけれど。
「小せぇ頃のことって、結構覚えてるよな」
「あーそうねー、ユウが風の音に怖がって、夜オレの部屋に転がり込んで来たこともあったっけ〜?」
 言い終わるか終わらないかの内に、飛んできた枕がボフッと振り返った横顔を直撃。
「何するんさユウ! オレほんとのこと言っただけさ!?」
 痛い、と頬をさすりながら、飛んできた枕をジュニアは抱え込む。 「ンな事ばっか覚えてんじゃねーよ!」
「ユウが先に言ったんじゃんちっちゃい頃のこと〜……ていうかそんなカッコして歩かないでよユウ」
 いくら外よりは暖かいからといって、黒のズボンを穿いただけで。風邪を引くというのも言ってやりたかったが、そんな格好は自分にとって目の毒で。
「今さら恥ずかしがるような間柄でもねーだろ、何言ってんだ」
 他意がないだけにタチが悪い。
 呆れたように息を吐きながら小さな保冷庫を明け、自然水の入ったビンを取り出す。ふたを開け、口をつける。
 上に伸びる喉のラインが美しく、ジュニアはそこを通っていく水に嫉妬さえ覚えた。
「……ユウが鈍くて、いいのか悪いのかもうわかんねーさ」
 はぁ…と息を吐いて俯き、投げてこられたビンをぱしりと受け取る。中に入った水が、衝撃を受けてちゃぽんと踊った。
「ワケわかんねーぞオマエ」
「や、こっちのハナシ」
 本当にこの関係は扱いが難しい、と再認識。
 自分たちは友人でなければならないのだ。彼は自分がこの位置にいることを許してくれているはずだし、これからもこの位置を守っていたいと思う。
 だけど。
「ユウ、この本もういいんさ? いいんだったら書庫に戻しとくけど。どうせ後で行くし」
「ああ、悪いなつき合わせて」
 触れたいと、抱きしめたいと思った。
 届かないと、たとえ届いても、叶うことはないと知っているのに、この感情はどうしても抑えが利かない。
「ユウ、外行かねー?」
「あ?」
 気づかれてはいけないと、何度も何度も心を殺してきた。できることなら世界の果てまで攫って行きたいとは思うけど、世界に果てなんてないことを知っている。
「こんなに積もるなんて、ちょっと珍しいさ。外行って遊ぼ」
「……めんどくせ」
 何が楽しくてこんな寒い中を、と呟き、急に肌寒く感じられてシャツを羽織った。ジュニアが無理にはしゃいでいるのは、顔を見ずとも声音でわかる。また何かあったのかとは思ったが、実際こんな白い世界になるのは珍しいし、何年か振りなのは確実だ。
「だって多分、こんな天気じゃ修練場も混んでるさ?」
 だから外へ行こうと衣服を着込むジュニア。もうすでに、行く気満々のようだ。ホルダーにイノセンスは収容したようだが、どれほど使うものか。
「ほら、ユウもちゃんと服着て。寒いさ、シャツ一枚じゃ」
 ベッドの策にかろうじて引っかかっていた団服を、バサリと放られる。乗ってやるのも悪くないかと仕方なく受け取って、クローゼットに立てかけていた六幻に手を伸ばした。




 雪の照り返しが強く、思わず目を細めてしまう。冷たい風が、降り積もった新雪を舞い上げる。踏み込むたびにきしゅきしゅと鳴る雪が、やはり新鮮だ。
「上からだとわかんないけど、やっぱ結構積もってるさね」
「そうだな。昨夜のうちにかなり降ったんだろう」
 すくい上げて冷たい、と当たり前のようなことを呟いてみる。ジュニアはもちろん神田も、この天からの降下物にやはり心が騒いでいるらしい。
「新雪だから、ふわふわして気持ちいい」
 寒いのになんだか幸せな気分になれる、と笑うジュニアを見て、たまにはこんな長閑な一日も悪くない、と短く息を吐いた。
「────っ!?」
 途端背中に走る凍てつき。思わず声を呑んだ。
「……っジュニア、てめェ!」
 バッと背中を押さえジュニアを振り返る。見ると、楽しげに笑んだ赤毛の男。イタズラ好きの子供のような顔をして、いや、年齢が上がっただけに子供よりもタチが悪い。
「あはははははっ、ユウ油断しすぎー」
 オレの行動くらい読まないと、と逃げるように後ずさる。
「……っのやろ…!」
 負けず嫌い、と言えばいいだろうか。案外にわかりやすい性格の神田を乗せてしまうのは簡単だった。
 サラサラと固まりにくい雪をすくって、無駄と知りつつ固めてみては投げつける。体温で解けてしまう白を何度も何度もすくい上げ、白銀の世界で戯れた。
 こんな時くらいは闘いのことを忘れて、過ごしていたい。
 ジュニアの笑う声と、神田の冷てェと叫ぶ声が、中庭に広がる。思えばこれは、とても幸福だった。
 とてもとても、幸福だった。