Life

2006/05/03



 ドアを開けたら最初になんて言おう。
 後継者になった? 名前をもらった? これで道は決まってしまった?
「……」
 後継者とは言え、中立を貫かねばならないのは変わりがない。心を殺して、忍びがたきを忍び耐えがたきを耐え、時に非情になり、そして忠実に歴史を記録しなければいけない。
 その道を、自ら選んだのだ。
 ジュニアはほの暗い廊下をひたひたと歩きながら、これまでのことを思い返した。
 神田の部屋の前で、ぴたりと止まる。視界に入る扉は、自分を阻み、躊躇わせる。
 もしかしたらもう眠っているかも知れない。就寝するにはかなり早い時間帯だが、彼は任務帰りだ。疲れているだろう。もし眠っていたら、寝顔を盗み見て帰ろうか、などと考えた。
 出逢った。話しをした。喧嘩もした。約束をした。泣きながら、離れた。
「ユーウー、いるー?」
 あなたを、愛した。
 軽くノックすると、あまり間を置かずして【開いてる】と返ってくる。どうやら起きていたようだ。意を決して殊更さり気なく、ジュニアはドアを開けた。
 軽くはないドアを開けて、身体を部屋に滑り込ませる。窓辺にそっと佇む神田は、降りしきる雪明りに浮かんで、それはそれは清浄なものに思えた。  綺麗だなぁと、こんな時にまで思ってしまう自分に苦笑して、ジュニアは口を開く。起きてた?と。
「そろそろ来るだろうと思っていた」
「あー、……うん。任務、お疲れ様、ユウ」
 何から伝えればいいのか解からず、くしゃりと髪をかき混ぜる。こんな自分はらしくないと思いながら、どうすることもできずにいた。
「……すごい騒ぎだった、な」
「え? あ、うん。なんか、みんなすごい喜んでたさ。お祝いパーティーなのか、ただどんちゃん騒ぎしたかっただけなのか、わからんけど」
 ハハハと笑う。ぎこちないな、とお互い頭で思っても、付いていかない感情に閉口した。
「……」
「…………ユウ、あの」
 流れる沈黙がとても怖くて、ジュニアは窓際へと足を向ける。手を伸ばせば届く、という位置まで来てようやっと、口を開いた。
「あのさ、ユウ。聴いたとは思うんだけど」
 神田の視線がジュニアに向く。絡み合わない視線が、もどかしかった。
「オレ、ブックマンの正式な後継者として、認められたんさ」
 ひとつひとつを確かめるように、ジュニアはゆっくりと口にする。神田はただそれを黙って見ていた。
「そんで、新しい名前ももらった。今みんな、【ラビ】って呼んでくれてる」
 ジュニアはただ、窓の外に降る雪を眺める。ちらちらと降る白いそれは、やがて積もって、すべてを真っ白にしてくれるだろうか。この心も、何もかも、すべて。
 そんなジュニアを見つめ、神田が動く。ユウ?と不思議そうに声をかけるジュニアを通り越し、部屋に備え付けてある保冷庫を開けた。
 取り出したのは、鈍色のボトルワイン。そして、冷えたグラス。 「……いい頃合いだ」
 温度を確かめるようにボトルに口づける神田に、ジュニアは息を止めた。そのボトルにさえ嫉妬する、と心臓が痛む。
「ユウ……」
「……他のヤツからも祝ってもらっただろうが」
 クポンとコルクを抜いて、とくとくと注いでいく。情熱の赤を注がれたグラスは歓喜に歌い、浮き彫りの天使が光に踊る。
「オレからの手向けだ、ジュニア」
「────……」
 す、と差し出されたグラス。受け取らない理由はどこにもなくて、ジュニアは微かに笑ってありがとうと受け取った。カタカタと震える歯は、口唇を噛みしめても抑えられなかった。
 雪明りの中で、カチンとグラスが合わさる。友の新たな旅立ちに、と祝うワインが、グラスの中で優雅に舞った。
「ユウ待って!!」
 神田の口唇にグラスがつく寸前、ジュニアの腕がそれを止める。突然の静止にはやはり驚いて、神田の眉間に皺が寄った。
「待って、ごめんユウ、ごめん…待って」
 掴んだ腕を解放し、冷えた指先は、戸惑って髪をかき混ぜる。
 ほんの衝動だったんだ。
「あ……その、なんていうか……ユウが、ユウがオレのこと祝ってくれるのはすげぇ……嬉しいんだけど」
 やるせなくて視線が泳ぐ。この先を口にしてはいけないと解かっているのに、この杯を飲んでしまったら、もう【後継者候補】として傍にはいられなくなる。


 これを飲んだ後はもう、何も言えなくなってしまう。


「これ…、飲む前にさ……一個だけ……聴いて欲しいことがあるんさ」
 情けなくて笑った。もうどうにもなりはしないのに。いや、悪くすれば親友という関係まで壊しかねないのに。
「なんだ、懺悔でもあんのか」
 呆れたような神田の声に心底ホッとして、顔を上げた。この人は変わらずにいてくれる。何の確信もなくそう、思って。
「神父じゃなくても、良ければ?」
 神田の口の端が少しだけ上がる。
「……っ…!」
 ああもう微笑んでなんかいられない。そう思った途端、顔が苦痛に歪んだ。




「I…,…………I love you…」



 ああ、これは懺悔だ。
 カタカタと、グラスを握る腕が震える。
 生涯、告げるはずのなかった不浄。届かない愛と知っているのに、抑えきれずに愛し続けた。
 愛してる。
 消え入るような声が、冬の夜に散っていく。流れる沈黙がやり切れなくて、ジュニアは短く息を吐いて顔を上げた。
「ごめん嘘、冗談。ユウ気にしないで」
 上手く笑えていたかどうかは、わからないけれど。正面から突き刺さるような神田の視線から逃れたくて、無理に笑って見せた。
「ほんとごめん。オレどうかして────」
「……I know…」
 小さな声が聞こえて、ジュニアはえ?と息を止める。確かに小さな、それでもはっきりと耳に届いた、その言葉を発したのは神田しかいないはずで、ゆっくりと視線を上げた。
「…I know……──Jr.」
 視線が絡んで、そしてゆっくり逸れる。神田の閉じた目蓋の先で、睫毛が頬にぶつかった。



 愛してる────わかってる。



「────」
 カシャン。
 グラスがジュニアの手のひらを逃げる。グラスは床に口づけて、情熱の赤は床と一体になった。



 愛してる────わかってる────ずっと前から、知っていた。



 肌が粟立つ。視界が揺らぐ。
 抑え切れなかった。
 何かが弾ける音を脳の奥で聞いて、それから先は、もう。
「んぅ……っ」
 唐突に触れる口唇に神田は少し眉を寄せ、息を、止める。
 神田の手の中にあったグラスが、手を滑り落ちて割れた。
「ユウ、ユウ……」
 頬に手をかけ、ジュニアは神田の口唇を覆った。奪うように、請うように。
 柔らかく何度も何度も啄ばんでは、吐息の先で彼の名を呼ぶ。
 狂おしく抱き寄せては、愛していると繰り返す。
 堰を切った衝動はとどまらず、口唇の先に滑り込む。
「……ジュニア……」
 ジュニアの背に回った腕が、彼を大切そうに抱き寄せて、吐息の中で彼を呼ぶ。
 口唇を割って滑り込んできた舌を寛容に受け入れて、捕らわれて絡め返す。
「ジュニア……」
 ジュニアの気持ちは、痛いほど良く解かっていた。
 解からないわけがない。
 再会して、諦めかけていた感情が燃え上がってしまったのだろう。人の感情だけはどうしようもない。神田はそれを責めるわけには行かないと、何でもないようなフリして接してきたつもりだった。
 中立の立場を自覚してかまったく別の理由でか、ジュニアはその気持ちを告げてくる様子を見せなかった。いや、これまで何度か口を開きかけたことはあったか。それでもそのたびに口をつぐんで、いつものように笑顔で隠してきてた。
 中立である以上、ジュニアは誰にもそれを告げられないだろうし、また告げられても受け入れることは許されない。
「愛してる……」
 なぜ自分と逢う前にその道を選んでしまったのかと詰りたくなった時もあったが、それをしてもどうにもならないことは、よく解かっていた。
 世界のためにも、彼のためにも、もし万が一告げてこようものなら、殊更ヒドく突き放してやろうと思っていたんだ。そうだ、自分のためにさえ。  
それなのに。 口唇を滑るそれを、聴きたがった自分がいた。
「ぁ……っふ…」
 苦しくて辛い、と口に出してしまうより、口づけに逃げることの方が先で、これ以上はない、というくらいに奥へ奥へと入り込む。
 抱き合う強さとは逆に、とても頼りない吐息をお互いに貪って、何度も何度も、口づけを繰り返した。
 ああ、これは懺悔だ────。