追憶

2006/10/08



「ていうか神田、何持ってんの、それ」
 さっきから気になっていたんだけど、とようやく話を振れる。
「あ? ああ、コレか?」
 神田が気づいて、左手に持っていたものを胸の辺りまで持ち上げた。カチャリと音がする。
「オレのイノセンス」
 え?とラビは首を傾げた。どう見たってこれは白い布。確かに棒状にはなっているが、神田の六幻にしては形が太すぎる。
「布で何重にも包めば、触れることが判明した」
「いや、それ触れてねぇし」
「うるせぇな」
 なるほど太いのは包んだ布の分か。だがこれではイノセンスに触れていることにはならないだろう。
「だけど、これで部屋の外には持ってこれた。場所が違うとこでなら、もしかしてと思ったんだ」
 神田なりに努力をしているのだと、ラビは息を吐く。その努力が実れば良い、と心から思った。
「つきあうさ、神田」
「いいって、オマエ疲れてんだろ。部屋で寝てろよ」
 目なんかとうに冴えてしまっている。部屋に戻ったところで、クセでまた本を読み漁るのが関の山だ。
「えー、でもさぁ神田。イノセンスに触れなくてまた電流みたいなのの衝撃で気絶しちゃったらどーするんさ? こんな森で気絶してたら、クマに食われちまうさ」
「クマが出るのか」
「……出ねぇさ」
 マジメに返されて肩を落として俯く。
 以前の彼は、こんな切り返し方はしなかった。こんなテンポで会話が進むことはなかったんだ。
 こんなのもいいか、と思ってラビは俯いたまま笑った。
 そうだ、自分の心は前となんら変わっていないのだから。
「とりあえず布取ってみるか」
「待って待ってオレが取ったげるさ。イキナリ触んのは無茶っしょ」
 医療室と部屋の中で触れなかったのは実証済みだ。だがこの森ではどうだろう?
 ラビは神田から布に包まれたイノセンスを受け取り、布を剥ぎ取る。よく見るとこれはシーツではないだろうか。そこら辺にあったものを使ったんだなとなぜか微笑ましい。
 純白の布を剥ぎ取ると。中からは対照的に漆黒の鞘。十字の施されたそれは、贔屓目を抜いても美しいと感じられる。
「何度見ても綺麗さねー神田のイノセンス」
「これ発動されてんの、見たことあるか?」
 自分はそれさえも思い出せない、と眉を寄せる。どんな形になるのだろうか。それとも形は変わらないのか。いったい何が起こるのか。
「……あるよ。つっても片手で足りるくらいだけど」
「どんな風なんだ?」
 目を閉じても思い出せる、とラビは心の中で独りごちる。発動の瞬間の彼の顔は、神がかりでもしているような錯覚さえ起こさせるんだ。
「剣気って、わかる? それがさ、刃の部分に纏われて、振り下ろすと蟲がこう……標的を攻撃するんさ。破壊力は結構なモンだぜ」
 ふうん、と解かったような解からないような顔で神田は相槌を打つ。イノセンスの発動には、適合性だけではなく精神力も必要なのだということだけは理解できたが。
「エクソシストって、結構すごいものなのか?」
「あー、すげェんじゃねーの? ま、並みの精神力じゃできんわな。神の使徒とか言われちゃってるしさー」
 自分はその辺りにはまったく興味がないけれど、と六幻の柄の部分を神田の方に差し出す。
 いくらエクソシストが特別な存在であっても、イノセンスに触れなければ意味がない。最悪、不適合とされ教団の庇護から外されるかも知れないんだ。
「……」
 触れることができますように、と祈りを込めて差し出した六幻に、神田の手が伸ばされる。こちらもまた、触れることができますようにと祈りが込められた、右手。
 ぎゅ、と力強く握った。
 ビリリッ!!
「くっ……!」
「うわっ……!」
 六幻に走る、拒絶の電流。反射的に手を離してしまったのは神田の方。カタカタと衝撃に震える右手首を押さえ、眉を寄せた。
 ──触れない。
 この森でも、触れないのか。
「────〜っげぇ衝撃。前より酷くなってねェ?」
 六幻を両手で握り締めるラビ。衝撃はやはりラビにも伝わってしまうようだが、神田に伝わるものよりは少ないらしい。
 ラビには触れているのに、なぜ適合者である自分だけが触れないのか。
「神田? ダイジョブさ?」
「……ラビ、も、いい。置けそのイノセンス」
 焼けるような痛みが、まだ右の手のひらに残る。それでも諦めてしまうわけにはいかないんだ。
「神田、でも」
「いいから置けよ、アンタにまで衝撃伝わっちまうだろうが!」
 神田の剣幕に押されて、ラビは珍しく身体を引いた。
 神田が焦っているのがわかる。だけど自分ではどうしてやることもできない。神田のイノセンスをそっと置いて、背筋を伸ばした。離れていろ、と凄まれて、躊躇いながらも少し離れ。
 神田は片膝をつき、再度イノセンスにに手を伸ばす。
「あ、うッ!!」
 反発して、イノセンスは弾き飛んだ。まるで生きてでもいるかのように、音を立てて神田を拒絶した。
 それを信じられない、というように視線で追うラビ。肩にまで及んだ衝撃に、耐えて神田は立ち上がる。
「神田、無茶すんなって」
「うるせぇな下がってろ!」
 意地でも触れてやる、と、制したラビの腕を振り払って、イノセンスの許まで歩いた。上から睨みつけて、こんな頼りなげな棒切れごときに拒絶されてたまるかと、腕を伸ばす。
「……っう、ぐッ……!」
 手で触れても膝で押さえつけても、拒絶の衝撃は変わらない。それどころか痛みがどんどん増している。
 このままではいけないと、ラビは神田を止めた。
「神田、もういい! もうやめろッ、無茶だってこれ以上は!」
 オマエの身体がどうにかなってしまう、と肩を掴みイノセンスから引き離す。当然のことながらイノセンスの拒絶は止まり、静まり返った。
「……んでッ……なんでオレだけ触れねえんだよ! オマエが触れてんのに、なんで適合者であるオレに触れねぇんだ!!」
 ガッと胸ぐらを掴まれ、怒りをぶつけられる。謂れのないものだったが、ラビは受け止めることしかできなかった。
 神田の怒りと焦りは、状況として理解してやることはできるが、心の奥まで理解してやることができない。浴びせられる言葉くらい、受け止めてやろうと。
「神田、ここも場所が悪かったのかも知れんさ。他の場所だったら、違うかも」
「気休めはよせ! どんどんこいつの拒絶が酷くなってんのに、今さら場所変えたとこで何にもなんねェよ!!」
 鍛錬をしていたはずのこの森でも触れることができないのに、後はいったいどこで。
「神田、大丈夫だって、絶対」
「何が大丈夫だ、人の気も知らないで! 解かるかよオレの惨めさが! 解かるわけねェよな!!」
 声の限りで叫ぶ神田。それを遮ることはせず、ラビは声が途切れるまで待った。
「神田、オレは何をしたらいいさ?」
 責めるでも宥めるでもなく発せられた静かな言葉に、神田はハッと顔を上げる。
「ラ……」
「ごめんオレ、何の力にもなれなくて。……こんなに近くにいるのに」
 見ているくらいしかできない、と決まりが悪そうに視線を泳がせた。神田は膝についた土を払うこともせず、少し乱れた髪をかき上げる。
「……悪い、八つ当たりした。アンタが悪いわけじゃねェのに」
 全てがうまくいかなくて、焦りだけが溜まってく。思い出すこともできずイノセンスに触れることもできず、日々を無駄に過ごしているように思えてならない。
「すまなかったラビ。アンタは何もしなくていい、今日は調子が悪かっただけかも知れないし」
 ただ、と神田は言葉を続ける。ラビはゆっくりと先を促して、自分にできることはあるだろうかと訊ねた。
「…………」
 言葉を躊躇っている神田を不思議そうに呼び、顔を覗き込む。息を呑んだ。
「……見放さないでいてくれたら、それでいい」
 こんな風に泣きそうな顔は、初めて見る。出逢ってから今まで、こんな表情は目にしたことがない。
 神田の不安は、自分が思っているよりもずっと大きいみたいだ。
「大丈夫……大丈夫さ、神田。そこら辺は、全然。オレら友達なんだし、それはアレンやリナリーだって一緒さ。見放さないし、追い出したりしない」
 そんな心配は一切不要だ、と大げさに両腕を広げて見せる。
「もしそんなヤツがいても、オレが全力で阻止したげるさ〜」
 子供の頃に夢を見た、世界を救う正義の英雄みたいに。
 スケールの違いはこの際置いておく。神田ユウの友人として、この腕でできるだけのことをしてやりたい。
 もう思い出さなくていいから、せめて幸せでいてください。
 どこにも属せない自分がそれをしていいのかどうか。そんなことはダメに決まっているんだけど、そう思ってしまう心は止められないし変えられない。
「だから神田、安心して励むといいさ」
 嘘のない笑顔を向ける。あとどれくらい、こんなことが赦されるだろう、と心の奥底で考えながら。
「……ありがとう、ラビ」
 少し安堵したように、ため息と共に吐かれる言葉。【神田ユウ】からは、あまり聴けなかった言葉だ。
「アンタの恋人は、幸せなんだろうな」
 不意にそんな言葉を呟かれ、心臓がドキリと高鳴った。気づかれないように息を吐き出して、それを落ち着かせる。
「……そうかな?」
「自信持てよ。アンタみたいなヤツに想われて、幸せじゃないわけがねぇ」
 そうであったらいい、とラビは笑ってみせるけど、その顔はどこか悲しそうだった。
「神田、今日はいったん休憩しよ。またちょっとしてから試してみた方が、いいかも知んないさ」
 ラビは弾かれたイノセンスを拾い上げ、またシーツに包める。布を巻き終えたそれを神田に手渡し、小腹も空いたし何か軽く食べないか、と話題を逸らす。
 団服を整えて神田は頷いたけれども、
「そういえばさ、ラビ」
 ラビが踵を返したところで口を開いた。



「さっきリナリーに、オレの大切なヤツっての、訊いてみたんだが」



 サ、と血の気が引く。パキリと折れた小枝の音が、やけに大きく聞こえてきた。
「へぇ? どうだった?」
 振り向かないで聞き返す声は、上ずっていないだろうか。不自然でないトーンで話せているだろうか。
 リナリーには口止めしてある。約束を破る人ではないと知っているから、自分とのことが神田に知れたとは思わないが。
「アイツも、知らないみたいだった。いるにはいるらしいんだけど、どうも秘密にしてたみたいだな」
 噴き出した汗で、身体が冷えているのが解かる。唾をゴクリと飲み込んで、何もなかったように歩き出した。隣を歩く神田には、どうやら気づかれて、いない。
「フリンでもしてたんかな?」
 冗談交じりに呟いたら、少しも痛くない程度に頭を小突かれる。そんなわけあるか、と。
「そーゆうのもないとは言い切れないじゃん。秘密の関係だったんでしょ?」
 できるだけ自分から遠ざけた結論を匂わせて、距離を置く。
「ただ話してねぇだけかも知れないだろ。大体、喜んで公表するようなもんでもない」
「そーかなあ……」
 自分は、大っぴらにできる関係だったらそこら中に幸福を話して回りたい方なのだが、とラビは空を見上げる。その空は少しだけ曇っていて、晴れ切らない彼の心を表しているかのようだった。
「でもこれで神田のことがひとつ解かった」
「? なんだ?」
「ノロケとか言わないタイプ」
 至極マジメそうに呟かれて、吹き出した。今の会話からいったい何がわかったのかと思いきや、そんなことか。
「オマエはすごいノロケるタイプだよな、ラビ。恋人関係自体を自慢するんじゃなくて、相手を自慢するの好きそうだ」
「あー、うんうんそんな感じ。だってオレのあの人、超キレイなんだもん」
 言った傍から、と神田は呆れながら笑う。
 そんなに大切なひとなのに、逢えなくて平気なのだろうかと思って訊ねてみた。
「まだ任務から戻ってこないのか? まさかどっかで怪我とか」
「んー……まだ、当分逢えないんじゃないかな。任務大変だし、もしかしたら戻ってくる頃オレが任務出ちゃったりさ」
 そう、まだ当分【神田ユウ】には逢えそうもない。今隣を歩く人物が記憶を取り戻さない限り、自分は【神田ユウ】には逢えないだろう。
「そうなのか……一緒の任務にしてもらうことは、できないのか? せっかく好き合ってんのに、そんなすれ違いばかりじゃ、その、ダメになんねぇか?」
「一緒の任務ってのは、ないね。あえてコンビ組ませないようにしてるんじゃないの?」
 世界の終焉を止める、なんて重い十字架を背負った組織だ、逃げ出したいと思うことだってあるだろう。もし、もしそんな気持ちのとき、隣に大切な人がいたら? そのまま手に手を取って逃避行、なんてことも考えられなくない。
 そしてもし、任務先でアクマの攻撃を受け、その人が命を失ってしまったら? きっと闇が囁いてくるに違いない。



 その人を蘇らせてあげましょうか?



「実際そんなことになったら、オレちょっと自信ないさ」
 目の前で、この人の命が失われたら。
 理屈ではいけないことだと解かっていても、感情はどうだろうか。
「アイツをアクマにはしたくねぇさ。その逆もイヤ。けどその反面、アイツが死ぬなら、ちゃんとこの目で見届けたいってのも、あるんだけど。矛盾しまくってるさ」
「諦めたような笑い方すんなよ」
 言われ、それでも笑った。
「まあねー、正直寂しいとは思うけどさ。生きててくれんならそれでいいさ。絶対逢えるって思えば、毎日楽しい」
 ラビは前方だけを見据えている。視線の先にはその人がいるんだろう、と思って神田は苦笑い。
「アンタたちが羨ましいよ、つくづく」
 自分もそんな風に思えるよう、早く思い出さなければ。せめてその人の笑顔、くらいは。
「オレもそーゆう……なんて言うんだ、絆? とか、そんなん、作りてぇな」
「大丈夫だって神田なら」
 きっと作れる。自信満々に笑うラビに、根拠がない、と笑い返して塔の中に入る。もちろんアレスティーナにスキャンをしてもらってから。
「ラビ、ひとつ確認するけど」
 声だけで訊ねてくる神田に、ラビもまた視線は返さずうん?と声だけで促す。
「オレとオマエ、本当に親しくなかったんだよな?」
「────うん、そうさ?」
 不自然ではない程度に間を開けて答えた。
「だってオレ、神田の部屋行ったことなかったし。大切なひとがいることも知らなかったさ。……なんで?」
「オマエ、さっき階段でオレのこと【ユウ】って呼んだ」
 ラビは、思わず立ち止まってしまう。神田がそれを振り向く頃にはすでに歩を進めていたけれど。
「そうだっけ?」
「数日ここで過ごしたけど、オレを名前で呼ぶヤツなんかいなかった」
 そうだ、【神田ユウ】はファーストネームを呼ばれることを酷く嫌っていた。実際自分も、深い仲になるまでは随分苦労したものだ。
「……覚えてねぇや。あん時はホント咄嗟だったしさ」
 咄嗟だったから、普段呼び慣れていた方が口から発せられてしまったんだ。
「あー、でも、一度だけファーストネーム呼んだことあったかも。すっごい昔」
 苦笑混じりの言葉に神田が振り向く。
「何の気なしにファーストネーム呼んだらさ、めっっっっっ……ちゃ嫌そうな顔で睨まれたんさ。多分それ以来呼んでない」
 嘘をつくのは巧くなった。生まれてきてからこれで何度、嘘をついたのだろう。小さい頃逢ったことはあるし、その時ファーストネームを呼んで睨まれたのも本当だけれども、それでも諦めず呼び続けてきた。
「ごめんさ、ヤだった?」
「……いや、別に。いつもと違ったから、少し驚いただけだ」
 あの時跳ねた心臓は、なんだったのだろう。呼ばれた音か、触れた温もりか、落ちる衝撃か。
「神田ってさ、多分大切なひとにしか名前呼ばせたくないんじゃないの?」
 情熱的だな、と言われて赤くなる。
「あはは、神田かわいー。図星―?」
「へ、変なこと言うなバカッ! だいたいてめェはなぁ……」
 ホラもう食堂だ、と神田を宥め、カウンターまで歩を進めた。何か軽く、とアバウトに頼むと、美味しそうなサンドウィッチが出てくる。
「あ、オレ玉子がいい」
「神田、玉子好き?」
 昼時を少し過ぎているせいか、人はまばら。空いたテーブルに、ふたりで腰かけた。
「いーよ、玉子全部あげるさ」
「いいのか?」
 ラビはにこりと笑う。神田も少し笑って、玉子の挟まれたサンドウィッチを摘んだ。
「このレタスもらっていーい?」
 答えを待つ様子はなく、ラビの手はサンドウィッチを通り越して、敷かれたレタスに伸びる。そのまま口へと運ばれ、もしゃもしゃと食われてく。
「……なんか、草食動物みてぇ」
「へ?」
 その仕種と名前から、耳の長い動物を思い浮かべてしまった。彼に垂れ下がった耳が生えていても違和感がないなと思いながら、くつくつと笑う。
「神田、よく笑うようになったさ」
「え?」
「ちょっと前はホント眉間にシワ寄ってばっかだったもん。笑えるくらい余裕出てきたんさね」
 言われて気づく。そういえば、やっと心にゆとりが出てきたように思う。時間の経過と、状況の把握が行えていることが、怯えを取り去ったのか。
「この調子ならすぐに思い出せるんじゃん? やっぱ焦ってばかりじゃダメさねー」
 そして何よりも、気兼ねせずにすむ相手が、近くで助けてくれるから。
「そうだな、ちゃんと思い出せるといい。あ、でも。オマエを思い出すのは四番目以降な」
「え、なんで四番目」
 談話室で、リナリーが言った言葉を繰り返す。
 一番目は自分を。
 二番目は大事なひとを。
 三番目はイノセンスを。
「だから、オマエら四番目以降で。交流なかったなら最後の方だろ」
「うっそそんなん言ってんの。まあ道理だけどさ。せめて六番目あたりで」
 四番目と五番目は誰を?と訊ねると、四番目にはリナリーを、五番目には室長のコムイを。そして六番目に、とラビは答えてくる。
「そんで最後辺りにアレンを思い出してやるといいさ〜」
「へーぇ? 割といい度胸ですねラビ」
 後ろから低い声が聞こえて、ラビは振り返り、神田は顔を上げた。全部胃の中に納まるのだろうかと思うほどの食料を手に、にこりと笑顔で怒っているのは、アレン・ウォーカー。
「よ、よぉアレン。帰ってきたんか、お疲れ様〜」
 任務を終えて戻ってきたのだろう、と軽く手を振って労をねぎらう。何を白々しい、とため息混じりのアレンは、ラビの横に腰かけた。
「お疲れ様」
「────」
 座るが速いか、サラダに手を伸ばしたアレンが目を見開く。さっと顔ごと視線を逸らして、
「神田にそんなコト言われると、ちょっとキモチワルイ」
アレンの言動に、神田は眉を寄せた。自分がこんなことを言うのはそこまで珍しいのかと。
「せっかく人が労ってやってんのに、なんだそれ」
「まぁまぁふたりとも、落ち着くさ。いーじゃん昔のことは。悪い方に変わったわけじゃねーんだしさ」
 そのうち慣れる、と笑うラビに、もう慣れたのかとアレンは思って視線を投げる。その視線の意味に気づいてか、ラビはにこりと笑った。
「ところでアレン。今回どんな任務だったんだ? アクマいたのか?」
 心配そうに……というよりは、【任務】に興味を持っているようなフシではあるが、そう訊ねてくる神田にはやはり戸惑ってしまう。以前の彼ではないのだと。
「……今回はアクマの討伐でした。数少なかったし、雑魚ばかりだったから、結構ラクでしたよ」
 すでに半分になってしまった料理には、とりあえずは突っ込まないでおこう。いったいどんなスピードで消化されているのだろうか。
「ふぅん……怖くねぇのか、アクマって」
「怖いって感情は、ないですよ。可哀想だって思うことの方が、多い」
 望んでアクマになったわけではないはずだ。
 突然の死だったかも知れない。予期していた死だったかも知れない。死を受け入れていたかも知れない。受け入れてなかったかも知れない。
 どちらにしても、呼び戻された側は呼び戻した側を食らう他にない。
「そうか、アナタはまだ見たことがないんですね」
 大切な人を食らって、アクマになりたかったはずはない。
「ああ、まだイノセンスに触れもしねぇしな。アクマ見るのはまだまだ先になりそうだ」
 浄化できるものは、発動されたイノセンス。
 せめて、魂の救済を。
「そうですか……」
 イノセンスを発動できないエクソシストを、教団はいつまで赦すだろう、とアレンは俯いた。
「さて腹もふくれたし、神田、これからどうする?」
 最後のサンドウィッチを食べ終わって、グラスの水を口に含みながらラビが訊ねた。ガラスに遮断されてくぐもった声は、それでも神田の耳まで届く。
「あの書庫、入ってもいいか? さっきの本、続き探したいんだが」
「おー、いいよ、あそこは禁書とか置いてないから、いつでも。本、部屋持ってってもダイジョブ。もし読みたいのなかったらコムイに頼んで入れてもらうさ」
 そんなに気に入ったのか、と嬉しい反面、やはり妙だと感じてしまう自分がいる。
「そうか、悪いな。オマエは?」
「オレはちょっと昼寝するさ。誰かさんに怒られるから。なんかあったら来いよ、部屋にいなかったら談話室とかにいるからさ」
 だけどそんなことは当然言えず、笑顔で返してしまう。この人が幸せであってくれればいいと。
「ああ、じゃあ、また」
 皿を片手に立ち上がる神田にひらひらと手を振って見送った。
 以前と少しも変わらない後姿には、どうしても安堵してしまう。
 ふぅ、と一息ついて身体の向きを直したら、隣のアレンから責めるように呼ばれた。そちらを振り向けば、料理は綺麗に平らげられて、食器のみが残るだけ。
「……ん?」
「ボクが言いたいことは解かってるはずですよ」
 そんなことは解かりはしない、と肩を竦めてみせた。ダンッとテーブルが叩かれるのは、どれだけか予想済み。空になった食器が、衝撃に負けてカタタと音を立てる。
「なんでそんな平気そうな顔してるんですか! 相ッ変わらず何も思い出してないのに!!」
 何も解決されていないじゃないか、とアレンは憤る。あれから一週間も経つというのに。
「や、でもこればっかりはどうしようも」
「ラビの態度も気に食わないんですが」
 怒りのオーラをむき出して、睨みつける。そんな素直な感情が、羨ましいとラビは思った。
「オレの何が気に食わんくてもいーけどさ。ちょっとずついい方向には向かってるよ」
「とてもそうは思えません」
 きっぱりと否定される。実はラビ自身感じていることでもあった。いい方向に向かっているところと、向かっていないところがあるのだ。
 例えばアレンたちと交流するようにはなったけれども、イノセンスの拒絶反応は酷くなっているだとか。
「納得できません、ラビ。なんでそんな平気な顔してるのか」
 逃げるように立ち上がったラビに続いて、アレンも食器を持って立ち上がる。逃してくれそうもないと悟っても、少し息を吐いてラビはゆっくり歩き出した。
「ラビ」
 不安そうに追うアレン。
「ラビ待ってくださいよ! なんでですか! あんなに仲良いなら、もう本当のこと話してしまったって」
 とても哀れで見ていられない。言ってしまえと何度思ったことだろう。
 本当は、自分こそが神田の大切な人なのだと。
 恋人同士だったのだと。
「無茶言うなよアレン。仲良いったって、【友人】として、だ」
 興味もなさそうに、スタスタと歩くラビ。振り返らない彼に苛立ちを感じて、アレンは足を速めて前に回りこんだ。
「ラビ!」
 回りこんでハッとする。眉を寄せたラビの目は昏く、諦めの色が入り混じっていた。
「ラビ……」
「いいじゃん、オレのことは。アイツやっとさ、オマエらとちゃんと話せるようになったんだし、そのうち全部うまく行くって」
「それまでアナタは眠らないつもりなんですか!?」
 のらりくらりとかわしても、眠っていないのはすぐに解かる。原因は、言わずもがな。
「自分がどんな顔してるか、わからないんですか!? 神田も神田ですよ、なんで気づかないんだ!」
 赤い目と目の下のクマ。疲れたような表情。
 原因が自分であるとは気づかずに、横で笑う記憶をなくしたエクソシスト。
「ラビが言えないなら、ボクが話します」
 踵を返したアレンを、慌て引き止める腕は、ラビのもの。
「頼むアレン、神田には言うな」
 恋人だったなんて言ってしまったら、築いた信頼が崩れ去ってしまう。やっと何気なく笑えるようになったんだ。神田も、自分も。
「オレはこのままでいい、神田が生きてそこで笑っててくれるんなら、もうそれでいいんさ」
「神田なんて呼ばないでくださいよラビ……っ」
 いつも【ユウ】と呼んでいたはずだ。もう以前とは、全てが違うのだという現実を突きつけられる。
「誤解すんなよアレン。それでもオレは、アイツを大切だと思ってるさ」
 だから心配しないでくれと笑う。
 【大切】の種類はもう、変わってしまったけれど────。