追憶

2006/10/08



 長い階段を降りて、水路を渡り陸地に上がる。用意されていた小さな馬車に乗り込んで、駅へと向かった。
「いつもこんな風にして任務に出かけるのか?」
 街に出るまでの経路が面倒だなと神田はため息をつく。
 ラビは笑いながら、あーうんまあねと呟いた。
「でも一般人と安易に接触できる立場じゃないから、多少面倒でも、下界と切り離すことは必要だと思うさ」
 そのためにも、行き来しにくくしてあるのだろう。まるで別の世界のようだ。
「そうか……じゃあ、オレもこの馬車に乗ってたんだな」
「うん。なんかコムイがさ、神田が直前の任務で使った馬車用意してくれたみたいさ」
 近場のせいか単独任務だったため、馬車はいちばん小さなもの。それでも二人用であるから、狭いと感じることはなかったけれど。
「……でも……これもちょっと見覚えないな」
 狭い車内を見回しても、椅子や戸板に触ってみても、覚えがない。つい数日前に乗ったものだと言うのに。
「やはり、無理なんだろうか……」
「カーンーダ、これくらいでへこたれんなよ。任務の現場までまだまだあるんだし」
 僅かの可能性を信じてきたんだろう、と付け加え、ため息混じりに笑うラビ。神田は苦笑して、そうだなと頷いた。
 駅に着いて、御者をしてくれた探索部隊に礼を告げて別れる。
「汽車使って行ったんなら、駅ここしかないんさ」
 レンガ造りの、大きくも小さくもない駅だった。生活用品を詰めたトランクと、布に包んだイノセンスを持って、神田は歩く。きょろきょろと、辺りを見回しながら、
「どう?」
 何か見覚えはあるかと訊ねたラビに、少しの沈黙を返して、
「ここ……来たことあるような…………気がする」
「────マジで!?」
 躊躇って口にする。ささやかな糸口に声は色めいて、気持ちがふわりと浮き上がる。
「ここから見た景色、見覚えがあるんだ」
 そう言って、駅を背に振り返る。小さなファザードと、取り付けられた街灯。そこかしこに付けられた、案内板。
「……? 駅入る時じゃなくて? 出る時なんさ?」
 不思議そうに訊ねたラビの言葉に、自分自身も気づかされる。
 そうだ、何度か来た覚えがあるのなら、あのファザードをくぐる前だって覚えがあると感じていいはずじゃないか。こうして駅を背にして見るのは、駅から出て行く時だけだ。
「……こっち側しか、感じなかった。あの街灯の位置とか、反対じゃなかったかなって思って、振り返ったんだ。そうしたら……」
 自分の記憶の中の景色と、一致してしまった。駅から出る時の景色、が。
「そっか、じゃあ神田の中の記憶は、こっちの方が鮮明なのかも知れんさね。汽車乗ってみたら、もう少し解かるかも」
 ちょうど汽車が入る時間帯だ。黒の教団の権限で改札を潜り抜け、個室をひとつ用意してもらう。さすがにどの個室を使ったのかは解からないが、つくりはどこも一緒だ。大して影響はないだろう。
「あ……」
 汽車の中に入るなり、神田が声を上げる。ここにも何か見覚えがあるらしい。
「この扉、見たことがある」
 前にもこうして、自分で開けたような……と呟きながら、宛がわれた個室の扉を開ける。向かい合わせた座席が二つ。大きな窓がひとつ。ああそうだ、ここは見覚えがある。
「そうだ、ラビ。オレ、ここ知ってる。覚えてる」
 安堵したような笑みが、神田の顔に広がった。
 良かった。神田ユウとしての記憶を、ちゃんと覚えてて。
「ここに座って、外の景色見てた……」
 言いながらラビを振り向いて、声をなくす。
 優しい、笑顔だった。
 それはまだ友人へ向けるものと同じだったが、照れくさくて俯く。ラビは向かい側の座席に腰を下ろし、嬉しそうに外の景色を眺めだした。
「良かったな、神田」
「あ?」
「少しずつ、思い出せそうでさ」
 それでもまだ、呼び方は【神田】のままだ。発車のベルが鳴って、うんと呟いた神田の声はかき消される。
 身体がガクンと揺れて、窓の外の景色がゆっくりと流れ出した。ここから、乗り換えの駅まで二時間だ。
「……この景色、オレも見たんだよな……?」
 覚えのない景色に不安がって呟く。いや、覚えがないと言うよりは。
「さあ、どうだろ……アイツ任務の時は資料読んでるか寝てるか、どっちかみたいだし」
 そうか、と息を吐く。では見覚えがなくても不思議はないのか。きっと今回も、眠ってでもいたんだろう。
「どうしたんさ?」
「覚えがないわけじゃないんだ。ただ、流れが逆向きなだけで」
 窓の外を見つめながら呟いた言葉を不思議に思って、ラビは流れが逆向き?と鸚鵡返しに訊ねる。
「多分これ……さっきと同じだ。帰るときの記憶っぽい」
「そっか……じゃあこの汽車で帰ったことは間違いないんさ」
 では問題はその後なのか。いったいどこで、記憶を落としてきたんだろう。
「きっと少しずつ、思い出していけるよ」
 柔らかく笑うラビ。神田はそれでも不安そうに頷いた。帰る道程の、駅と汽車は思い出した。だけど肝心の、自分自身のことは何ひとつ思い出せていない。
「なあ、ラビ。前も訊いたけど、もう一度教えてくれ」
「うん?」
「神田ユウの、どんなところが好きだったんだ」
 神田は、ゆっくりと吐き出した。ラビを、正面から見つめながら。ラビは驚いたような顔をして、そして苦笑した。
「理由とか挙げたら、きっとキリがないさ」
 感情であの人に引かれて、理由が後からついてくる。もっともらしい理由を付けて、好きになった言い訳ができるんだ。
「声も、肌も、体温も、全部好き。素直じゃないところも、本当は情が深いところも、ここぞって時にちゃーんとキメてくれるアイツの性格も、全部好き」
 ────ああ、やっぱり顔が違う
 神田ユウの話しをするときだけ、ラビの顔つきがさらに優しくなる。紡ぐ言葉ひとつひとつさえが、恋をするために神田ユウに向かってく。
「ていうか本人目の前に、何を言わせるんさ」
 照れくさそうに顔を逸らして頬をかく。神田は口唇を噛みしめて俯いた。
 ────本人だなんて、思っていないくせに
「……悪い、気にするな」
 くしゃりと髪をかき上げる。忘れてくれと呟いて、視線を外に戻した。
「神田? どうしたんさ。元気なくねぇ?」
「気のせいだろう。オマエ寝てろよ、オレのことはいいから」
 覗きこまれても、わざと視線を逸らす。今目を見たら、泣き出してしまうに違いないんだ。
「……そう? じゃあお言葉に甘えて。何かあったら起こして」
 肩を竦め、ラビは笑う。ギシリと座り直して腕を組む。そのまま目を閉じて、眠る体勢に入ってしまった。
 それを気配で確認して、神田はラビを振り向く。よほど疲れていたのだろう、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。傍で眠れるくらいには、気を許してくれているんだろうか。
「……」
 広い肩幅。身体を支える腰と、伸びた脚、整った顔立ちによく映える赤い髪。思わず見惚れてしまう。
 カタンコトンと揺れる汽車の車体。その音に合わせて、心臓が鳴る。こんな風に見つめているだけで、心臓が痛むなんて知らなかった。
 ────……好きなんだな、やっぱり
 もしかしたら最初からそうだったのかも知れない。気づかなかっただけか、それとも気づいていて無意識に否定していたのか。
 ────神田ユウ、やっぱりアンタが憎いよ
 恋に気づいて何度目か、ため息をついて幸せを逃した。





 小さな駅で乗り換えて、そこからまた一時間と少し。目的地に着いたのは、昼を少し過ぎた頃。
「ここか」
「報告書によれば、ここさね」
 駅に降り立って、改札をくぐる。さてこれからどうしたものかと考えあぐねているラビを追い越して、軽く食事でも取ろうと神田はスタスタ歩き出す。
「腹減ってるだろ」
「え、あ、うん、少し」
 何の迷いも無く、神田は進路を左に取った。立ち止まったまま歩き出そうとしないラビを不審に思って振り返る。どうかしたのかと。
「……神田? もしかしてこの街、知ってるんさ?」
 どうしてそう迷いなく歩き出せるのか。報告書には、詳細な地図までは載っていない。大まかなアクマの出現場所と目印の建物が書いてあるだけだ。
「…………え────?」
 そういえば、と神田は気づく。何の気なしに歩いてきたけれど、こちらで間違っていないような気がして。
「あ、だってこの先に美味いメシ屋が」
 指差して示す。頭の中に、その景色が浮かんでくる。店の看板と、小さな花壇。その横にはパン屋と酒屋。もう少し歩くと靴屋や宝飾店が見られるはずだ。
「……この街……知っ…てる」
 茫然とした。なぜこんなにも克明に思い出せるんだ。任務で来たというのなら、そんな街並みまで覚える必要性はない。店の名前まで、覚えているはずが無いのに。
「そこ、左に曲がると花屋があるはずなんだ。赤のダリアが綺麗で」
 そうだ、こんなことまで。事細かに思い出せる。店主の顔まで鮮明に。
「……それ、ホント?」
 怪訝そうに顔をしかめるラビ。どう考えても不自然だ。そんなに細かいことまで覚えてられる程、神田ユウの記憶力は良かっただろうか? いや、たとえそうだとしても、こんなに記憶に残るくらい長く逗留していたはずは無いんだ。
「わ、わかんねぇ、けど頭ん中に浮かんでくるんだ!」
「……た、確かめよう」
 果たしてそれは、真実なのか。真実なのだとしたら、本当に神田ユウの持っていた記憶なのか。
 不安が募る。
 ふたりで足早に歩いた。
 まっすぐ歩いて、左に曲がる。曲がってすぐに、レース店。そして向かい側には────花屋。
「ホントに……あった」
 並べられた鉢植えと切花。その中には燃えるような赤いダリアもあって、背筋が震えた。
「あ、神田」
 もっとちゃんと確かめたい、と神田は花屋に向かって駆けていく。ラビはそれを追って駆けた。
 むせかえるような花の匂い。そう広くはない店内で、色とりどりに咲き誇る花たち。
 桃色のグラジオラス。白のクリナム。橙のクロサンドラ。珍しい黄色のコルチカム。
「何かお求めですか?」
 店の奥から店主が顔を出す。素朴な衣装に身を包んだ、白髪が混じり始めた男性。
「あ、いや、オレたちは」
「この時季にエニシダがあるとは珍しいな」
 特に客としてきたわけではない、と手を横に振るラビをよそに、切花にされた桃色の花を手にする神田。
「左様でございますね、もう入手時季は終わったというのに、何の気まぐれでしょうな」
「一輪、いただこう」
 窓際に飾るんだ、といって買い求める。
 ラビは眉を寄せた。神田に花を愛でる趣味があったとは思えない。まして、花の名前なんて。
「ありがとうございました。これから戦いでございますか、お客様の幸運を祈りましょう」
 店主に見送られて店を出る。ラビは不審に思った。隠密の組織ではないにしろ、黒の教団の存在意義が、こんなところまで浸透しているとは思えない。
「戦いって……あの店主、オレたちのこと何か知ってんの?」
 団服を着ていても攻撃はしてこなかった。ということはアクマではないんだろう。それでも警戒心をあらわにしたラビに、神田はふっと笑った。
「花言葉のこと言ってんだろ。さすがに花屋だな」
「花言葉? 何?」
 どういうことだ、とラビは心の中で呟く。花の名前や時季だけでなく、花言葉まで知っているなんて。
「……オマエには言わねぇ」
「え、ちょ、なにそれ気になるさ」
「うるせえ、自分で調べろ。オレにとっちゃ戦いなんだよ」
 納得がいかないながらもふうんと呟く。
「ほら、メシ行くんだろ」
 エニシダの花言葉は、確かに戦いだ。上に【恋の】がつくけれども。そうだ、正に今、恋のために戦闘中。
「ラビ、オマエ好き嫌いあったか?」
「いや、特には……」
 どちらかと言うと偏食なのは神田の方だった。まただ、とラビは思う。あるはずの無い知識が、神田の中にあって、違和感を覚える。
 ────どこでそんな知識手に入れたんさ
 歩く速度が遅くなったラビを訝しんで、ラビ?と神田は振り返る。ハッとして、歩く速度を彼に合わせた。
「ここの合鴨が美味いんだ」
 そう言って入った店は、下町風の小さな店。食事時を外しているせいか、客は少ない。四人掛けのテーブルに二人で座って、遅い昼食を取る。
「あ、美味い」
「だろ」
 神田が薦めた鴨料理。ジェリーには敵わないが、なかなかの腕前だろう。だけどどうして、神田がそれを馴染んだ店のように言うのだ。
 長く逗留していたわけは無い。何度も同じ地に派遣されるなんてことは、皆無に等しい。たった一度任務に来ただけで、ここまで街のことを把握できるなんて、記録を生業とする自分にだって無茶なことだ。
「さてこれからどうしよう」
 食後にコーヒーを飲みながら、神田は店の中を見回す。確かにこの店の中の景色も、料理の味にも覚えはあるのだが、やはり神田ユウとしての記憶が戻ってこない。
「……アクマが出た場所にでも行ってみる?」
 もしかしたらそこで何かあったのかも知れない、とラビもコーヒーを啜る。ご丁寧にも報告書には、アクマの特徴と出現した場所まで書いてあるのだ。神田は一も二もなく頷いた。
「んーと、どうやって行きゃいいんかな。ちょっとここらへんの地図を……」
 地図を借りよう、とラビは店の主を呼びかけるが、それより早く神田が呟く。
「ここなら、大通り出るより少し先の小道行った方がいいな。人通りの少ないところだしそっちの方が近い」
 万が一アクマが出て戦闘になっても、被害が少なくて済む、と。
「あ、そうなんさ? だったらそっちの方がいいやね」
「出るか」
 そう言って立ち上がる神田。任務ではないために、経費はあまり落ちない。自分たちで支払って歩き出す神田の後を、少し遅れてラビが追った。
「ここから四つ目の小道だな。そこを抜けて最初の角を左へ、次の角を右に曲がればそのポイントだ」
 本当に迷いがない。
 この街は広くはないが、狭くもない。短期間で地理を把握できるほどの技量は、神田にはないだろう。
「この先の噴水は、確か……アレッサンドロ六世が位に就かれた時に、祝いで作ったものだったな」
 相当古いがまだ健在だぞと微笑む。ますますもって不審が募る。ローマ法王どころか、政にさえ疎い神田が、なぜこんな、教団から離れた街の建造事情まで知っているのか。
「なあ神田」
 思い切って声をかける。どうした?と神田は立ち止まって振り向いた。
「さっきから思ってたんだけど、それって誰の知識?」
 数秒の沈黙。
「…………え?」
 何を言われたのか解からない、と言うように神田が声を上げた。
「誰の記憶? なんでさっきから、迷いもなく歩いてけるんさ?」
「何……言ってんだ? これ、オレの記憶だろ?」
 神田ユウの記憶でないのに解かるはずがない。ラビが何を言いたいのか、さっぱりわからなかった。
「たった一度の任務でここまで覚えられるの? 花屋だってさっきのメシ屋だって、随分前から知ってたように思えるけど」
「────そ、そんなわけねぇだろ、この街は知ってると思ったけど、だって、任務で……」
 任務、で。
 神田はこめかみを押さえ、思い出せる限りのことを引っ張り出してくる。駅の出口。通りかかる花屋。靴屋に宝飾屋に、そうだ、時計屋もあったはず。
「神田が頼まれた任務内容見ると、そんなに長くこの街にいるようなもんじゃなかったさ。後、言っちゃ悪いけど、あいつの記憶力ってそんなによくない」
 こんなに覚えていられるはずがないんだ。
 あるはずのない、知識と記憶。どこでそんなものを拾って、どこで本来の記憶を落としてきたのか。
「そ、そんなこと言われたって、覚えてるんだからしょうがねぇだろ! この先の店の名前も、裏の通りに住み着いてる猫も知ってる! 冬なんか寒いから、大丈夫かなって、いつも思っ……」
 裏の通り、を指差してラビに叫ぶ。自分の放った言葉に気づいて、息を止めた。その方向を振り返る。その方向の、ある通りに猫が数匹住み着いているのは知っている。
「なん……で? オレ……」
 ────いつも思ってた?
 この街には、任務でしか来たことがないはずだ。冬の寒さなんて、なんで知っている? 猫が住み着いたのを、いったいいつから知っている?
「違……オレは……!」
 神田は駆け出した。
「神田!」
 放り出された荷物を拾い上げて、ラビは神田の後を追う。
 ────きっと、任務に来たときに見たんだ。そうだよ、それしか考えられねぇだろ……っ
 神田は、通りをひとつひとつ見て回った。土を蹴って、肩で風を切って、建物という建物を眺めて回る。
「神田、待てって、独りで行動したら危ね……」
 段々と走る速度が緩くなって、とうとう神田は立ち止まってしまった。少し距離を置いてラビも立ち止まり、心配そうに神田、と名を呼ぶ。
「ラビ……オレこの街……全部わかる」
 通りの名前も、番地も、店の名前まで総て。
 神田ユウとして、それは考えられないことだった。任務以外でこの街に来る理由はないし、こんな地理まで覚える必要性はどこにもないんだ。
「なんで……これ、これオレの記憶じゃねぇのか!?」
 振り返る神田の顔は不安に満ち満ちて、泣きそうに歪む。ラビはどう言ってやればいいのか、解からなかった。
 この街の記憶は、十中八九、神田ユウのものではない。
 ではいったい誰の記憶なのか。
「なんでオレ、店の名前まで覚えてんだよ!?」
「神田」
 頭に浮かんでくる景色を打ち消そうと、神田は首を振る。恐慌状態に陥ってる、と思って、どうにか落ち着かせようと両の二の腕を掴んだ。
「神田、落ち着け」
 どうして落ち着くことができようか。わけのわからない記憶に振り回されて、本来の記憶を取り戻せないでいるのに。
「どうして、こんなことまで覚えてるんだ!」
 季節の移り変わりさえ、鮮明に思い出せる。
 だけどこれは、神田ユウの記憶ではないと解かる。
「神田、ダイジョブさ、落ち着け!」
「もうイヤだ! なんで、こんなっ……」
 どうしてこんなことになったんだろう。自分はただ、自分の記憶を取り戻したかっただけなのに。
「神田、とりあえず、いったん休もう。どこかに宿を」
 このままではいけない。ひとまず落ち着ける場所を探してやらないと、とラビは辺りを見渡す。幸いにも少し先に宿らしきものが見えた。
「神田、あそこに宿あるから。あそこで休んで、ちょっと状況を整理した方がいいさ」
 混乱したままの神田を促して、宿に向かう。神田は、この宿のことも覚えているのだろうか。外開きのドアを開けて、小さなカウンターへ足を向ける。丸い眼鏡をかけた主が顔を出して、
「お客さん、観光かい?」
「あ、ああ、まあそんなとこ。部屋開いてる?」
 ちょっと連れが疲れちゃったみたいでさ、と眉を下げるラビに、店主は申し訳なさそうに呟いた。
「悪いけど一部屋しか空いてないんだよねぇ。男二人じゃちょっと狭いかも知れないよ」
 それでも構わない、とラビが言うより先に、神田が口を挟む。
「部屋にはカウチソファもあるだろう。一部屋で構わない」
 やはり、この宿のことも知っているのだろう。二人して眉を寄せた。良い方に考えれば、先の任務で利用した宿、と言うところだろうか。
「そうかい? それじゃあ三階のいちばん奥が開いているから、使っとくれ」
 ほらカギだ、と予備のブランケットも渡されて、店主に礼を言った。