追憶

2006/10/08



 部屋に入って、辺りを見回す。自分の意志で、こうして見回すのは本当に久しぶりだ。
 そんなことを考えていたら、後ろから腕を回され抱きしめられる。トン、と肩に乗ったのはラビの額。
「ジュニア」
 呼んでも、腕の力は弱まらない。むしろより強く、身体に巻きついてくる。
「……逢いた…かったさ……」
「…………」
 弱々しい声が耳の奥まで届く。
 神田はその感触に息を詰まらせた。
「ユウ……逢いたかった……」
 なんて切ない声で呼んでくるんだろう。こちらも呼び返してやりたかったが、喉が詰まってそれもできない。
 震える口唇をきゅっと噛んで、ゆっくりと息を吐き出した。
 ────ジュニア
 どれだけ振りなんだ。こうして、自分の感覚でこの男を感じるのは。
 ────ジュニア
「ずっと逢いたかった……ユウ……!」
 変わっていない。何も。
 体温も、抱きしめ方も、声も、吐き出す息も。
 巻きついた腕を取って外す。そのまま身体の向きを変えて、神田はようやく、正面から恋人を見返した。
「────泣くな」
 溢れる雫を止めることができずに、ラビはごめんと呟く。指で拭ってやると、綺麗な灰緑の瞳がまっすぐに見つめてきた。
「だって逢えないかも知れんって……もう逢えないかも知れんって思ってたんさ……!」
 くしゃりと歪む顔。記憶を取り戻すまで、【神田ユウ】には逢えないと思ってた。だけど【彼】が記憶を取り戻す気配はなくて、神田ユウに向かう気持ちだけが、宙に浮いてしまっていたんだ。
「泣くなよ、ジュニア……」
 耐えて滲み出る雫を、口唇で吸って、舌で舐め取る。
 ────逢いたかったんだ
 ようやく逢えた。
「ユウ、好きさ、大好き」
 やっと言える。溜め込んでいた想いを、全部。
 頬を包んで、その人の体温を確かめる。神田が目を閉じてくれて、引き合っていく口唇を、ぺろりと舐めて啄ばんだ。
「ん」
 ちゅ、と音を立て、何度か角度を変えて口づける。
 変わっていない。このひとは何一つ、変わっていない。それを確かめて、安堵したラビは身体を離した。それを不満に思ったのか、
「ジュニア」
 神田が胸ぐらを引き掴んで身体を寄せる。
「足りねぇ」
 言い終わるか終わらないかの内に口唇は覆われて、舌先が入り込んだ。深く舌を絡ませ合って、互いの身体に腕を回して引き寄せあう。
「……っう」
 呼吸をする間も惜しいほど貪りあって、互いを確かめる。深い口づけには満足して、ようやく口唇を離した。神田の口の端から溢れた唾液を舌で拭い取って飲み込む。
「ベッド、行く?」
「ああ」
 ごく短いやり取り。神田は団服を自らバサリと脱ぎ捨てて、ベッドに上がる。ラビもそれを追っていった。
 ラビの団服のジッパーを引き下ろした、神田の指は鎖骨を滑り、その感触を楽しむ。首筋を、喉を、服の隙間から入り込んで肩を撫でた。
 神田のシャツのボタンを外した、ラビの両手は脇のラインを辿り、ベルトのバックルを外す。手のひらで胸板をなぞり、口唇で喉仏を撫でた。
「ねぇユウ……オレさ、どうしてもオマエに言いたいことがあるんさ」
 わざと焦らしているのか、ラビの手の動きが止まる。神田は不満そうに眉を寄せながらも、
「別れ話以外なら、聞いてやる」
 ラビの額にかかった髪をさらりと払ってやる。こんなに情熱的に抱き合いながら別れ話など出てくるものかとラビは笑って、口唇にひとつ、口づけを落とした。



「あのね、オレ。ユウを愛してるんさ」



 太陽みたいな笑い顔。神田は目を見開いた。
 それは初めて紡がれる音。
「ユウを、愛してる」
 繰り返されるシグナルは、耳に甘い余韻を残す。ジュニア、と呼んだ声は、音になっただろうか?
「やっと言えた。笑わないでね」
「笑わねぇよ、バカっ……!」
 嬉しいと思った気持ちを、どうして伝えてやろう? 喉が詰まって言葉が出てこない。せめて少しでも伝わればいいと、ラビを引き寄せて口づけた。
「ユウ、ごめん今日……寝かせてやれないかも知れないさ」
 口唇を少し離して、最初に断っておく。疲れているだろう神田に、こんなことをするのは酷かも知れないが、抑えが利かない。
 やっと逢えた。
 やっと触れた。
 やっと言えた。
 愛しすぎて、どうにかなってしまいそうだ。
「バカか、オレの台詞だ」
 口唇が離れた分自分が頭を持ち上げて、ラビの口唇に吸い付く。え?と不思議そうな顔をしたラビに、言ってやった。



「オレが一度や二度で満足すると思うなよ」



 情熱的で扇情的な誘い文句に目を瞠って、ラビは笑う。
 後悔しても知らないさ、と言うラビに、後悔なんかするかと神田は突っぱねた。 
 やっと触れることができたんだ。
 イノセンスに支配されていた時だって、耳も聞こえたし目だって見えていた。すぐ目の前に抱きしめたいひとがいるのに、自分の意思では指一本動かすことさえできなくて、気が狂いそうだった。
 やっと触れる。
「あっ……」
 ラビの口唇が胸を滑り、驚いて当てた手で肩を押しやる。離れて欲しいわけではないのに、身体がそう反応してしまう。
「ふっ……う」
 随分長いこと、触れていなかったようにさえ思える。この体温も、肌に落ちる赤い髪も、降りてくる吐息も、もう何年も触れていなかったような錯覚に陥った。
「ユウ? 何か反応が初々しくて可愛いんだけど」
 ラビは、硬くなった胸の飾りを指の腹で嬲って笑う。
「う、るせ……っあぁ」
 爪で弾かれて、神田がのけぞった。それに気を良くしてか、執拗にそこばかりを責めてくるラビを睨み上げて、口唇を奪ってやる。
 ────逢いたかったんだ
 首から引き寄せて、奥深く入り込む。脇腹に移動したラビの手を感じ取って、ビクリを身体が震えた、
 手のひらは脇の下から腰のラインを確かめるように蠢き、足を包む衣服をずり下げていく。
「んっ……!」
 指先が中心に触れ、競りあがる快楽を耐え切れない。
「ジュニア……っ」
「ユウ、どっちがいい? こっちと、……こっち」
 どっちを触って欲しい?と、キスから逃れたラビは笑う。片方の手は右胸の飾りを嬲り、もう片方の手は息づき始めた中心を握りこんで。
「ア、ぁ」
 突いて出る声を抑えようと、神田は口を覆う。それを面白がって、ラビはさらに両方を強く責める。神田の身体が、ビクリと震えた。
「な、どっちがいい? ユウが好きな方、いっぱい触ったげるさ」
 愛撫の手を止めて、顔を覗き込む。膝で止まっていた衣服を取り去って、足を開かせる。
「1、胸の方。2、下のコレ。どっちがイイ? 指と口でしてあげる」
 二本指を立てて、まず最初の快楽を二択で選ばせようと笑った。神田がどちらへの愛撫も好きなことを知っていて。
「……」
「どっち? 1? 2?」
「────3、両方」
 口の端を上げた神田が、三本目、薬指を立てさせて呟く。
 まさかそう来るとは思わずに、ラビは吹き出した。
「ワガママさんだな、ユウ」
 そう言って、目蓋にそっと口づける。それを素直に受けて、選べるはずがないだろうと舌を打った。
「オマエに触られんの、全部好きだからな。この数日間気が狂いそうな思いまでしたんだ、これくらいのワガママ大目に見ろよ」
 責める立場のはずの、ラビの方こそ赤くなる。ものすごい殺し文句だと思いながら、仕方ないなあと口づけた。
「ああっ」
 そうしている間にも、ラビの手は双方への愛撫を続ける。強弱をつけては嬲り、神田を高みへと誘ってく。
 片方の乳首を口に含んでやれば、快楽に震える声が上がった。歯で柔らかく挟み、舌先で捏ね回す。相当気持ちがいいのか、髪を掴む手には力がこもっていく。
「くっ……ん、んッ」
 先走った体液を擦りつけて、扱き上げる。しゅくしゅくと濡れた音が、神田の部屋に響いた。
「あ、……ア、ん、ま、待て、ジュニアッ……」
 立ち上がったそれを口の中に含んで、奥まで飲み込んでやると、ふるふると首を振りながら止めさせようとしてくる。もっともそんな弱い抵抗じゃ、ラビが止めるはずもなかったけれど。
「や! あ、あ、っン」
 足を大きく広げさせ、押さえつける。空いた手で脇腹を愛撫して、ビクビクと震える神田に更なる快楽を植え付けた。
 歯を食いしばって耐える神田。ベッドに沈み僅かに逃げる腰を抱え込んで、その先端を舌先で刺激する。途端、足が踊った。
「ジュニア、待っ……駄目、駄目だ」
 珍しく、いやだと身を捩る。どうしたのかと思い、ラビは口唇を離した。
「ユウ? どしたんさ」
 久しぶりの快楽に怯えているのだろか。いいやそんな男じゃない。顔を覗き込んで訊ねると、恥ずかしそうに顔を逸らし、シーツに押し付ける。
「そ、その…………い、一緒、に……」
 言葉は最後までは紡がれない。それでもラビには伝わって、目を瞠った。閉じられた目じりに口唇を寄せて、ちゅっと音を立てて口づける。
「ユウ、慣らす間ガマンできるさ?」
 イくのならともに、と望んでくれた神田をたまらなく愛しく思い、濡れた指を奥の窪みに宛がった。
 神田は震えながら頷いて、指の侵入を待つ。
「う、あっ……あ」
 入り口を撫で、その先に入り込ませる。圧迫感にのけぞった神田の口唇を覆って、深く息を奪った。幸福そうなくぐもった声が漏れ、入り込んだ指は内側をかき回す。
「んっ、んん……!」
 肩に回した指に力が入る。触れたがった恋心が、快楽を増長させた。
「あ、……はあっ、あ、ン……」
 二本の指で中をかき回され、熱が集中していく。
「ジュニア、も……い、からっ……!」
「ん、入っていい?」
 こちらも限界だ、と荒い息で訊ねるラビに、すぐでいいと頷いて、神田は自ら足を限界まで広げた。ラビは指を引き抜いて、こくりと唾を呑む。
「あ、ああっ」
「ん……!」
 グイ、と腰を押し進めて、身体を繋げる。
 酷い圧迫感と、高まる快楽。深く深く繋がって、例え様のない幸福をふたりで感じた。
「ふっ……う、あ」
「ユウ、ユウっ……!」
 ゆらゆらと身体が揺れて、ぎしぎしとベッドが啼く。
 入り込んで、飲み込んで、隙間を埋めるように抱き合った。
「ん、────あ、ッ」
「ユウ……っすげぇイイ……」
 足を抱え上げて腰を揺らすラビ。上手く声にならない喘ぎが喉に詰まって、苦しさに首を振る神田。身体のずっと奥を突付かれて、ビクリとのけぞった。
「っも……イ、ッちま、う……!」
「ん、ユウ……オレも……ッ」
 ジュニア、と呼びたかった声は音にならなくて、限界に達して快楽を手放す。強い締め付けに耐え切れず、ラビもまた、神田の中に快楽を吐き出した。
「ふっ……は、ああ……」
「ん……、く、ぅ」
 ビクビクと身体が戦慄いて、ふたりして荒い息を繰り返す。行為を確かめるような口づけをして、変わらぬ体温に安堵した。
「なあユウ……もしもさ、もしもな? オレがオマエを忘れたら、ユウはどうする?」
 もしもの話はあまり好きではない。
 もしも出逢えてなかったら。
 もしも死んでしまったら。
 もしも忘れてしまったら。
 自分はどうするだろうか?
「オレさ、ユウならどんなんでも好きになるって思ってたんさ」
 今とは違う時代でも、生まれる場所が違っても、性別が、年齢が違っていても、きっと。
 ラビは神田の髪を優しく撫でながらゆっくりと呟く。
「けど今回、あいつのこと好きになれんかったし、過去のユウのことばっか考えてたから、もしかしたらオレ、自分が思ってるよりもユウのこと好きじゃなかったのかなって、色々悩んだんさ?」
「あれはオレじゃ」
「うん、魂が違ってたんさね。オレ間違ってなかった。ユウを愛してる」
 中立の立場を唱えるブックマンとしては致命的。
 それを考えて、今まで口にすることが怖かった。口にすることで、今の世界が壊れてしまわないかと考えて、とてもじゃないが口にすることなどできなかった。
「今回のことで確認した。どんな時でもオレ、オマエを愛してるんさ」
 もう、愛する気持ちの方が大きくて、黙ってなんかいられない。自分の心は神田の魂を追いかける。神田の魂を、愛してる。
「ユウは、どうだろう? オマエを忘れても、変わらず好きでいてくれるかな」
 独り言のように呟いたそれに、神田は即答してやった。
「知るか」
 と。
 明確な答えを期待していたわけではないらしく、少しだけ残念そうにそっかと笑うラビ。
 神田は起き上がって、逆にラビをベッドに横たわらせる。不思議そうに見上げてくる彼を見下ろして、
「起こっていないことに対して、約束なんかしてやれねぇ」
 未来なんか見えない。さらに不確かな仮定に約束なんて、できたもんじゃない。
 神田はひとつ口づけを降らせて言ってやった。



「今目の前のオマエを────愛してる」



 神田の口からも、初めて紡がれる音。ラビは目を見開いた。
「それでは不満か?」
 不適に笑うその人を、ゆっくりと引き寄せる。
「そんなわけ……ないさ」
 嬉しくて泣きそうだ、と呟いてキスを贈る。
 長く続けた関係の中で、お互い初めて口にした言葉を、もう一度囁き返す。



 愛していると。



「ユウごめん、ホント、今日絶対寝かせてやれねーさ」
「ハ、望むところだ。こっちだって手加減なんかしてやんねーからな」
 ずっとあなたに逢いたかった。
 ずっとあなたに触れたかった。
 ずっとあなたに言いたかった。
 今までできなかった分を取り戻そうと、ふたりは行為に没頭していく。体力の、限界ラインぎりぎりまで。
 いつかこの手が離れても、この人を愛した追憶の中で、眠ることができるように。
 今できる精一杯で、目の前の人を愛した────。






 いつかくる別れを、食い止めることはできやしない。
 それでも今があるから、生きていく。
 ああ、人生はいつだって戦いだ。



 きっと、あなたを忘れない。