てのひら

2005/05/07



 大事なもの、なんだろう?って、隣りのウサギが呟いた。


 またわけのわからねェことほざいてやがる、と振り向くと、首に下ろしたヘッドバンドを意味もなく弄び、眼下に広がる教団敷地内の、闇みたいな森に笑っていた。
 くりぬかれたような頼りない窓枠と陽の落ちた回廊。
 お互いの部屋以外で逢うとすれば、まあ。食堂か、ココだった。談話室なんてウゼーから行かねぇし。何が楽しくてあんな人が多いトコ行くんだ。
 オレの腰より少し高い枠に腰をかけ風に揺られながら一方的に愛を語るのがコイツのクセらしかった。大人しく隣りで聴いてやってるオレも大概、お人好しだとは思う。あいつはいつも足を枠の外に投げ出して、退屈そうにブラつかせてんだ。

 …このままちょっと背中でも押してやれば、まっ逆さまだな。この高さだったら間違いなく、天国にイけるだろ。

「ねぇ、ユウ? 大事なものって、なんだろな?」
「……アタマ、平気か?」
 正面で顔の位置を固定したまま目を瞑り、ラビはハハッと渇いた笑い声を出した。
 珍しいな、とその横顔を盗み見る。
 ローズマダーに染まった空にオレンジのクセっ毛が吸い込まれ、どこか物寂しい。
 ガラにもなく綺麗だなんて思って、バツが悪くなって舌打ちした。
「こっからだとさ、何も見えないんさ。オレたちが必死で守ろうとしてるもの」
「……ラビ?」
 気楽屋なこの男にも、あからさまに弱音を吐きたがる時があるらしい。オレが知る限りでは、それだって数えても片手で足りるくらいだったけれども。
「この塔は地上から干渉できないように、ものすごい高いところに建ってるさ? 一般人を巻き込まない方法としてもさ、それは最善のコトだと思うんさ」
 それは大抵、仲の良かったヤツが無残におっ死んだ時で。
 心当たりが、あることにはあった。
 止めておけと言ったにもかかわらずラビが拾い連れてきた弱った子猫。真っ白で、小さくて、少し力を入れたら簡単に溶けていってしまいそうな。
 子猫。
 手のひらに乗せて、名前はなんにしようか、などと笑っていたのはほんの数日前。
 縄張り争いで破れでもしたのか、もう動かなくなった親猫のそばでみーみー鳴いていた、小さな。
 子猫。
 親猫を埋葬して、きっとお腹空いてるんさ、と笑っていたのもほんの数日前。
「でも逆に言っちまえば、守るものがここから見えない」
 珍しく寄せられた眉に舌を打つ。


 何を言ってやればいい?


「オレも大概、小さいオトコさ」
 何を言ってやればいいんだ。自分の守りたいものさえ声を大にしては言えないオレが、いったい何を偉そうに。
「目の前にある守りたいものさえ、指の間からすり抜けてくのに」
 ラビがオレの髪を掬う。さらりと流れた髪は指の間からぽろぽろと零れ落ちていった。
「ラビ」
「ユウ。こんなに近くにいんのに、遠いさ。オマエは」
 よぎった不安を払拭したくて、ラビの手を払いのける。拒んだつもりではなかったが、ヤツにはそう見えたかも知れない。
 不安というものは厄介だ。
 突然にやってきて、住み着いて、侵食する。
 イラついた。
 ラビの背中を、ゆっくり、それでも強く押してやった。
「おわっ!?」
 オマエの中に住み着くものはオレだけで充分だろ。







 カラコロンと石の欠片が壁を叩く音が聞こえた。
 ああ、夕陽が綺麗だな、なんて柄にもなく笑ったりして。
「……ユ〜ウ〜、危ねーさぁ〜…」
 石の桟にしがみついたラビの片手を見下ろして、さすがにあの程度じゃ反応できるか、と口の端を上げた。
「もー、何するんさイキナリ〜。死ぬかと思ったさ」
「てめェがくだらねーこと言ってるからだ、馬鹿ウサギ」
 枠から身を乗り出して見下ろしてみると、がっくりとうな垂れた馬鹿ウサギ。風に身体が揺れて、桟に引っかかった指を全部外してやればこのまま気持ちよく落下していけるなと、小指だけ持ち上げてやる。
「や、マジ勘弁。せめてもうちょっと悲しんでもらえる死に方したいさ」
 にへら、と笑い顔が見上げてくる。情けねぇ顔。
「…ラビ、言っておくがオマエが死んでも悲しまねーからなオレ」
 え〜、と、下の方からふやけた声。って言うか実際、そんなこと想像したくもねぇけど。
「ユウちゃんヒドイさ…」
「それが嫌なら、勝手にいくな」
 す、と右手を伸ばす。
 どういう返答の仕方かニッと笑ってその手を取ったラビを引き上ると、そのまま抱きしめられた。
「愛してるさ、ユウちゃん」
 全く、行動が読みやすい男だな。
「今分かったさ。大事なもの、ちゃんとあった」
「…なんだよ」
 一緒にいこうなんてとてもじゃないが言える立場じゃねぇし、きっとそんなバカらしいこと、オレもコイツもできるはずねぇんだ。


「ユウと繋ぐ、この手。合わさった────この手のひら」


 きゅ、と握りこまれて熱が伝わる。せめてオレもと思い握り返した。
「ありがとうユウ。引き上げてくれて」
「……ッカじゃねーの」
 それでも最後まで共にいられればいいなんて、溺れ気味なこと、思ってみた。