逃げ道

2008/05/01



 その夜は、早乙女アルトの入隊を祝う宴だった。
 そうは言うものの、パイロットとしての成績が優秀なアルトの入隊は九割型決まっていたようなもので、恐らくはみながただドンチャン騒ぎをしたかっただけなのだろうが。
 ランカの働いている【娘々】を借り切って、宴は深夜まで続けられた。



 なぜ表情が沈んでいるんだろうとミハエルは少しだけ後ろを振り向いた。
 晴れてSMSに入隊でき、宴会も催されたというのに。本日の主役であった早乙女アルトの表情は、いつもとは打って変わって沈んでいた。
 もともと大仰に笑ったりする人間ではなかったが、こんな時に俯いて歩くような男ではなかったはずだ。
 ミハエルはアルトと空を飛んで一年以上経つが、一見とっつきにくそうな外見に反して扱いやすいこのお姫様を気に入っていたが、こんな時はどうしてやればいいのかいまだに分からない。
 何があったのかと訊いてやればいいのか、気づかない振りをして放っておいてやればいいのか。
 何かあったのだとしたら、聞いてしまってそれに巻き込まれるのはごめんだが、なんと言っても一応は友人でありルームメイトだ。
 聞いてやるくらいならいいだろうと、ミハエルは部屋のドアを開けながら、後ろのアルトに声をかけた。
「おい姫、お前何かあっ……」
 シュンと開いたドアの向こう、つまりはそこがミハエルとアルトの部屋なのだが、開いた途端脇を通り過ぎる何かに気を取られる。
 通り過ぎると同時に引かれ、ミハエルはよろめきながら部屋の中に足を踏み入れる。
 ミハエルの腕を引き、アルトは正面から向き合って、閉じた扉にその肩を押し付けた。
「姫」
 抗議のように発せられた音を耳に入れたくないのか、アルトの口唇がミハエルの口唇に重ねられる。
 一瞬だけ目を瞠り、ミハエルは眉を寄せた。


 アルトの方からこんな接触を図ってくるのは、決まって何かがあった時だ。


 ほんの少し口唇を開いてやると、入り込んできた不器用な舌先が、絡め合うために探ってくる。
「ミハエル……」
 口づけの合間に名を呼ばれ、仕方ないなと腕を上げ、ミハエルはアルトを抱きしめてやった。
「ん、んっ」
 それに安堵したのか、アルトは積極的にミハエルの口唇を貪り、首に腕を回して縋りつく。口唇を塞ぎ舌を合わせ、吐息を混ぜて縋りつく。
 ミハエルはそれを気にするふうでもなく、ただいつもアルトのしたいようにさせておいた。
「っはぁ……、っ」
 どちらの吐息かわからなくなった頃、行動を起こしたのはアルトの方。
 ミハエルの身体をしっかりと抱き寄せ、触れるか触れないかの位置まで口唇同士を近づける。濡れた口唇が、情欲を煽った。


 したい。


 そう囁いて、アルトはミハエルの袖を引っ張る。出かけた抗議も聞かず、そのまま二段ベッドの下段にふたりで倒れこんだ。
「おい、姫ッ」
「なんだよ今さら。いつもヤッてんだから驚くことないだろ」
 背中にベッドを感じて、ミハエルはようやく抗議らしい抗議を口にできる。
 別に、行為自体をどうこう言うつもりはない。お互いに性欲はあるし、ルックスと身体の相性も申し分ない。
「そうじゃなくてな。お前何かあったのか? それでなくてもお前が誘ってくるなんてめったにないのに」
 誘うのはたいていミハエルの方だった。学校で空き時間に身体を重ねたことだって両手以上にある。同性同士ということを無視すれば、傍から見たら一般並みの恋人同士。
 ただ、自分たちの間には恋愛感情がないということを除いては。
「別に何もねぇよ」
「ウソだな。ウチに入隊できたってのに浮かない顔しやがって」
 ミハエルはアルトを見上げ、アルトはミハエルを見下ろす。アルトの表情がわずかに曇ったのを、ミハエルは見逃さなかった。
「さてはランカちゃんと何かあったな」
「なんでそこでランカが出てくるんだよ!」
 目を細めて笑いながらそう言ってやったら、予想通りの反応で余計におかしくなってしまう。気になる異性ではあるのだろうなと思うが、原因はどうも違うところにあるように見えてしょうがない。
 ミハエルは思い出す。
 早乙女アルトが心を乱すものなんて、ほんの少ししかなかったことに。
「────親父さんと何かあったか」
 アルトの肩がビクリと揺れる。
 やっぱり、とミハエルは納得してしまった。
「べ、別にそういうわけじゃ……」
 ウソが下手だなとミハエルは笑う。アルト、と名を呼んだら、バツの悪そうな視線が返ってきた。
 今日はランカの応援に行った。その会場で、逢いたくもない父親に逢った。いや、あれは逢ったと言えるのだろうか。ほんの数瞬、視線を交わしただけだった。
 だけどその時父親が口にした言葉は、まだ耳に残っている。
 知り合いかと訊ねられて、【知らん】と呟かれたそれが、まだ。


 逃げ出してきたことを、アルトは後悔していないつもりだった。
 悔しくて寂しいと思ってしまうのは、自分勝手なワガママだ。こんなこと誰にも話せやしない。


 アルトは見下ろしていたミハエルから視線を逸らし、
「本当に何もねぇ。悪かったなミハエル、いきなりこんなことして」
 そう言ってベッドを下りようとするも、それはミハエルの手によって止められた。
「ここまでしといてそれはねぇだろ、姫」
 ミハエルは身体を起こし、意地悪く微笑みながら眼鏡を外す。サイドテーブルに置かれたそれは、彼が愛用しているものだ。
「ミ、ミハエル」
「いいぜ、したいんなら抱いてやるよ。オレはお前のシェルター代わりだからな」
 家や父親から逃げてきたことを知っているミハエルは、快く思っていないにも関わらず、あえて逃げ道となっている。それは同情でもなくただ肉欲と優越感で動いたのであって、アルトだけを責めることはできない。
「ミハエル、オレはそんな」
 お前をそんな風に思ってはいないと否定を返したアルトに、
「お前がSMSを選んだんなら、もう何も言わねーよ。ただなあ姫」
 そう返してミハエルはアルトの腕を引き、自分たちの位置を反転させた。ベッドの上で見下ろして言ってやる。


「オレは押し倒す方が好きなんだ」


 いたずら好きの子供のように。




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