ハッピーバレンタイン〜きみといっしょに〜

2012/02/13


 ひゅお、と風が舞う寒い日だった。こんな日に外に出かけようなんていう酔狂な者が、どれだけいるだろう。
 さむ、とアルトは首を引っ込めて、できるだけ風の当たらないように試みてみる。だがそれも隙間から入ってくる風によって無駄なものとなってしまうのだが、本能的な仕草だった。

「なあアルト、手ぇつないでいい?」

 隣からかけられる声に振り向くと、こちらに手を差し出してくる恋人の嬉しそうな顔。
 この寒いのになんであんなに嬉しそうなんだ、マゾなのか、と思わないでもなかったが、アルトはふいとそっぽを向いて、

「外で手なんかつなげるかっ」

 頬を染めながら拒んでみた。

「中ならいいのか? でもさーほら、寒いし」

 揚げ足を取ってくる意地悪な恋人は、答えを聞き入れるつもりなんかなかったらしく、強引に手を取って握りしめてくる。
 最初からそうするつもりなら、訊かなくたっていいんじゃないだろうか、とアルトは困ったように片眉を下げた。

「ミシェル、お前さっき手袋してなかったか?」
「気のせい」
「そんなわけあるか、バカ。どうでもいいから、離せよ」

 そう言いつつも、つながれた手を自分からふりほどこうとはしていない。恋人ーーミハエル・ブランもそれを知っていて、さらに強く握りしめてきた。

「どうでもいいんなら、離さなくていいんだろ? もー、アルトは本当に素直じゃないんだからな」
「よけいな世話だよ」

 何もかも見透かされているようでバツが悪い。
 そうだ、こんなことを言ってはいても、特に手を離したいわけではない。学校も勤務もなく、ふたりっきりでいられる、こんな時には。

「それにしても、寒い。風がなければ、まだ暖かいのに」
「この間なんか、雪だったもんな。二月じゃあそりゃ寒いさ」

 マフラーをしてくれば良かったと呟けば、俺が抱きついてれば寒くないだろと冗談か本気か分からない答えが返ってくる。そんな彼を無視して、イヤーマフをつけてくれば良かったと呟けば、耳たぶはむはむしてあげようかと本気くさい笑いが返ってくる。
 お前は本当にバカだなと言ってやると、アルトが好きなだけだよとさらりと言ってのけられる。
 しゅわあああと顔から火が出そうなほど恥ずかしくて俯いたら、案の定おかしそうな笑い声が聞こえてきた。

「お前なんか嫌いだっ」
「まったまたあ。アルトも俺のこと大好きだって、ちゃんと知ってるぜ」
「おめでたいヤツだな!」

 だけど否定はできなかった。手をつなぐだけでも……こうして休日にふたりっきりで出かけることでさえ嬉しく思っているのだから。

「お、アルトアルト、あれ可愛い」
「え?」

 何の目的もなしに街中を歩いていた途中、ミハエルが不意に立ち止まる。彼が指を指した方を視線で追ってみると、そこここに人だかり。
 なんだろう? と注視してみると、天井からのつり下げやPOPなどですぐに判明する。
 今日は、バレンタインデーだった。

「毎年毎年、凝ったチョコ出てくるよなー。買う方も大変だ」
「そうか、今日、だったっけ……」

 アルトは少しだけ罪悪感に苛まれる。普段からこういったイベントには疎いほうだが、恋人同士になったのだから何か用意してやれば良かったと、今さらながらに思うのだ。
 それでなくてもミハエルは、誕生日だのクリスマスだの、何かと記念にしたがるのに。

「なあ、ちょっと見ていかない?」
「はっ? って、あの売場をかっ?」
「そう、いつもさー、気になるんだよな。いつでも見られるもんじゃないじゃん」

 ミハエルは、やはり答えを聞く気がないのか、手をつないだまますたすたとその特設された売場へ向かってしまう。

「え、お、おかしくないか? だってあれって、女の子があげるもんなんじゃ」
「アルト、今時そんなの古いぜ? まあ女の子から男へってのが通例だけど、女の子同士であげるとか、家族用とかだってあるんだから」

 男なのにあんな可愛らしいディスプレイがされた売場に行けるかとアルトは抗議したが、ミハエルは聞き入れてくれなかった。

「最近じゃ男も買うんだって。彼女とかにさ」

 さらに、アルトが聞いたこともない事実を突きつけてくる。そんなわけあるかと言ってやりたかったが、売場の方に目を向けてみれば、ミハエルの言ったとおり男性もちらほらといるようだ。さらにそれを別に不思議そうに眺めている女性も見当たらない。

「え、あ、そう……なのか。じゃあ、大丈夫……かな」
「ほら、行こう。アルトの場合は絶対に大丈夫だと思うし」
「ん? どういう意味だ?」
「ナイショ」

 教えてくれない言葉の意味を探って、把握して、アルトはカアッと頬を染めた。

「お、俺が女みたいだってことかよ!」
「バカだなあもう、俺のアルトはいつでも可愛いってだけじゃないか」
「ものは言い様だな!」

 ぺしぺしとミハエルの腕を叩いて抗議するが、ミハエルにしてみれば謂われのない八つ当たりのようにも思えた。さらさらとした綺麗な長い髪を、今日は珍しくおだんご付きのポニーテールにしていてとても可愛らしく、一見男性には見えないのだ。
 アルトは表面上嫌がっているようだが、恋人がこんなに可愛くめかし込んでデートしてくれるのはとても嬉しかった。

「本当にいろんなのがあるんだな。目移りするんじゃない?」
「ミシェル、ミシェルこれ可愛い、あっ、でもあれも可愛い。なんか桃色の!」
「……目移りしまくりだな」

 普段触れることのないディスプレイと、競うように並べられた様々なチョコレートは、アルトの視界をきらきらと彩って、胸がどきどきした。

「アルト、こっちは? クマさんみたいだぞ」
「わ、何これすげえー、なあミシェル、すごいな」
「そうだな、普段はこんなチョコ見ないもん」

 棚やケースに並んだチョコレートを前にはしゃぐアルトを眺め、ミハエルは口許を際限なく緩める。想像以上の喜びようで、ミハエルの胸を満たしていった。

「どれか買ってあげようか、アルト。今日バレンタインだし」
「えっ……でも、俺なにも用意してないし」
「じゃあ、アルトも俺に買ってよ。それでいいじゃん」

 大切な人に贈ることができれば、男も女も関係ないだろう。もともとバレンタインがこんな風にお祭り騒ぎになってしまったのは、企業の戦略なのだから。

「う、うん、じゃあ俺もお前に買う!」

 ぱあっとアルトの表情が華やぎ、ミハエルは心臓を打ち抜かれたような気分に陥る。どうにかふらつくだけに留めておいて、どれがいいかなと品定めを開始した。

「ミシェル、これ何かお酒入ってるみたいだ。こういうの好きか?」
「お、いいねえ。あ、でもこっちのビターも美味そう。悩むよアルトー」

 互いのためのものをふたりで買い求める、ということをしたことがないふたりは、新鮮な気持ちで売場を歩く。プレゼントと言えば、相手にナイショにして驚かせたいというのがあったが、こんな風に一緒に買うのもいいなあと初めて感じた。

「あ、アルトこれ可愛いよ。桜の味……味? ってどういう……あ、でもすごくいい匂いがする」
「どれ? あ、ホントだ。いいなーこれ。でも食べるのもったいない気がする」
「ハハハ、分かる分かる」

 そんな風に他愛のない言葉を交わしながら、相手がいちばん喜ぶ物はなんだろうと考える。
 可愛らしいものか、美味しそうなものか、普段手に入らない材料を使ったものか、量がたくさん入ったものか。

「アールトー、買えたー?」
「あ、ああ……なんとか。レジすごく並んでたけど」

 そんな中でも、お互い相手に渡したい物を無事に購入できたようだ。あらかじめラッピングされたものだが、ミニバッグに入れてもらったことでさらに飾られていた。

「アルトは何買ったんだ?」
「あ、あの、コーヒー豆使ってあるとかってやつ、買ってみた。お前なら苦めのも平気かと思って」

 大事そうに両手に抱えたミニバッグは、ミハエルに喜んでもらえたらと思って買い求めたもの。
 どうだろう? と小首を傾げて見てみたら、嬉しそうに笑う彼がいた。

「嬉しい、アルト……ありがとう。俺はね、これ買っちゃった」

 ミハエルは傍の棚を指す。指の先に視線を移したら、可愛らしいペンギンの形をしたチョコレートがディスプレイされていた。

「先月さ、水族館行っただろ。アルトってばものすごくペンギン気に入ってたみたいだから」

 思わずね、とウインクなんかされる。先月のデートのことはまだ鮮明に思い起こされて。アルトはボッと頬を染めた。
 そんなにはしゃいでたかなと困ったように眉を下げると、目の前に小さなペンギンを差し出された。

「ほら、さっき回ってるとき試食もらっちゃった。あげるよこれも」
「ちっちゃい……ヒナ? さんきゅ、ミシェル」

 あやすような仕種は若干気にかかるけれど、それでも嬉しい。それは素直に受け取って、笑ってみせる。

「じゃあ、チョコは交換な。愛してるよアルト」
「……バッ、バカ、こんなとこでキスするヤツがあるか! 油断も隙もねえ……っ」

 アルトは頬を押さえてバッと飛び退く。いくら頬とはいっても、人の目があるだろうと抗議したアルトにミハエルは、大丈夫だよと笑いながら返した。

「だって、みんなチョコ買うのに必死だし。ね?」
「……ね、じゃねえ。もう、行くぞ」
「ああ、こら手をつながないと行かせないからなー」

 強引に手をつながれたけれど、嬉しくて頬を染めたアルトはもう、何も言い返せやしなかった。