LOVE

2010/06/27


 終わったあと、ミハエルの胸の上で過ごす時間が、とても好きだった。
 ミハエルの手のひらが、髪を優しく撫でてくれる。指に長い髪が絡むのが好きらしく、ときおり絡ませて遊んでいるのも、ずっと前から知っていた。
「今日は……本当に疲れた」
 アルトはミハエルの胸の上でそう呟く。それを聞いて、ミハエルは笑うのだ。疲れていてもすることはするんだなと。
「俺もまあ、疲れたね。まさか依頼人があの人だとは思わなかったし」
「あの人、絶対わざとだ、分かっててS.M.Sに頼んだんだ」
 アルトはふてくされてう〜と唸る。
 今日は表向きの仕事をさせられた。ここに就職している以上ノーとは言えないし、表の運送業自体はさほどキツイ仕事でもない。
 むしろ命の危険性がないだけ、楽な仕事とも言えるのだ。
 が、今日はそうでもなかった。
 アルトの……早乙女有人の兄弟子である早乙女矢三郎が、荷物の運搬を依頼してきたのだ。
 客である以上断るわけにもいかないし、そんな権限はアルトにはなくて、ミハエルやルカと勤務に就かざるを得なかった。
 しかしアルトは、家を飛び出してからこっち、やはり家の者には逢いたくなかったし、S.M.Sでの仕事のことも当然話してなどいない。
 知られたらきっと連れ戻される。だから知られてはいけないんだ、とミハエルやルカに協力してもらってまで、バレないよう別人を演じていたというのに!
「俺は結局、兄さんには敵わないんだよなあ」
「まぁまぁ、そう落ち込むなよ。あの人のほうがアルトよりも長く生きてんだし、アルトが航宙科来てからもずと芸に携わってきてたんだし、キャリアの差はどうしようもないって」
 なだめるように、ミハエルはアルトの髪をゆっくりと撫でる。日々の訓練がものを言うのは、歌舞伎でもパイロットでも変わらないんだろ、と続けると、アルトはさらに落ち込んでしまった。
「どこにいても、上がいるんだもんなあ。向こうじゃ兄さんや親父がいるし、ここじゃ……お前がいる」
 いちばんにはなれない、と顔を上げて、責めるようにミハエルをにらみつける。八つ当たりだなと分かってはいるものの、アルトは視線を弱めようとはしなかった。
「いちばんだろ」
「え?」
 ミハエルはその謂れのない責めを気にする風でもなく、笑顔を崩さずに言葉を操る。
「俺の中で、アルトはいつだっていちばんだよ」
 恥ずかしげもなく言ってのける男に、アルトの頬が真っ赤に染まる。ぷいとそっぽを向いても、その仕種をミハエルに笑われて、どうしていても恥ずかしくなってしまう。
「お前はっ、どうしてそういう恥ずかしいことばっか言えるんだっ」
「てっ」
 これまた八つ当たりに、ミハエルの額を弾いてみせる。深刻な痛みはないけれど、ミハエルは痛いなーもーと、ポーズで額をさすってみせた。
「姫が落ち込んでるみたいだから元気づけようと思ったのにさー」
「べっ、別に落ち込んでない! 姫って言うな!」
「あーはいはいそうだね、今日の舞台はオトコノコだったもんな」
 思い出したくないことを話題にされて、アルトはぐっとつまる。別人を、早乙女アルトとは分からないような人格を演じていたのに、矢三郎にはすべてバレていて、結局努力だけが空回った。
「俺は嬉しかったけどなあ」
「何が嬉しいんだ、他人事だと思って!」
「だって、言ったじゃないか。俺はお前のファンなんだぜ。早乙女一座の二大俳優の競演が見られたんだからな」
 しかもタダで、とミハエルはさも重要そうに人差し指を立てる。アルトは呆れ果てて、抗議する気も起きなかった。
「あー……明日起きてあの人がいたらどうしよう」
 それに、ミハエルを責めてもここの仕事を知られてしまった事実は変わらない。
「俺が守ってあげようか? お姫様」
 連れ戻されるのが心の底から嫌らしいアルトに笑って、提案をしてやる。アルトが、突っぱねやすい言葉で。
「……結構だ。俺は姫じゃねえ」
「守られるのが嫌なら、自分の意思で動くんだな。助けてやることはできるからさ」
 ミハエルだって、守られているだけのお姫様を好きになったわけではない。アルトは少しだけためらって、そしてうんと頷いた。
「言いくるめられるビジョンが見えるけどな。お前は基本的に流されやすいし。そこにつけ込んだ俺も俺だけど」
「い、言っておくがお前とのことは別に流されたわけじゃないからな!」
 ため息とともに牽制してやったら、勢いよくアルトが顔を上げて、自分の意思を主張してくる。ミハエルは目を丸くして、そしてぱちぱちと瞬いた。
「…………そうなの?」
「そうなの! あ……何言わせてんだお前!」
 自分で言ったくせに恥ずかしかったのか、アルトは真っ赤になってミハエルを責める。
「アルトが、俺のこと大好きってのはよぉーく分かった」
「バッ、バカお前、俺は別に」
「言ってよアルト。今日はお前に協力してやったんだからさあ。な、大好きって」
 最初からバレていたのと、バレないように協力してやったのは別だ、とミハエルは嬉しそうに口の端を上げて笑う。
 そういえばずいぶんフォローしてもらったのに、その後のショックのほうが大きくて、礼なんて言ってやってない。
 だからといって、大好き、なんて。
 アルトは視線を泳がせて、目を閉じて、でも勇気が出なくて、うーと唸る。
「なーアルトー」
 甘えた声が聞こえてくる。この男だって、アルトの気持ちはちゃんと分かっているはずだ。
 素っ裸でベッドの上で戯れられるほどには、ミハエル・ブランという男を大切に想っていることくらい。
「えーと、あの、その」
「うん、なに?」
「俺、お前とこうして過ごしてんのとか、いいなって思うし、たとえ兄さんが俺を連れ戻しに来たって、きっぱり拒否してお前と一緒にいたいって思うし」
 視線をわざと外して、アルトは早口でまくし立てる。ミハエルはそれを、一言一句聞き漏らすまいと耳に意識を集中させた。
「お前が俺のこと、その、好きって言ってくれるのは嬉しいし、だから、その、分かれよ、馬鹿ッ」
 最後はとうとう逆ギレを起こして、肝心の言葉を言えていない。残念だけどまあいっかあとミハエルは笑い、ありがとうなとアルトの髪を撫でる。
 途端になんだかさびしい気持ちになって、やっぱり言ってあげればよかったと、アルトは俯く。
 俯いた先にはミハエルの胸があって、そのすぐ下には心臓があるのだとアルトは目を瞬いた。
「……アルト? なに書いてんの?」
「んー、読めるか?」
「もうちょっとゆっくり」
 指先で、胸になにか文字を書いているらしいと感じたミハエルは顔を上げるが、見るなと額を押し戻される。
 胸を滑るアルトの指先はくすぐったかったけれど、ミハエルは必死にその動きを追った。
「……Michael? 俺?」
 伝わったことに、アルトは嬉しそうに笑って頷く。次、と呟いて、またミハエルの胸へと指を乗せた。違う文章かと思い、ミハエルは再びその文字を必死で解読する。
「えーと? I……? L、…O、V?」
 それからE。そのあとにY。それからO、U。アルトの指がそこで止まる。これで終わりなのかとミハエルは文字をもう一度頭の中に並べて、そして目を瞠る。

 アイラブユー。
 ラブ、すなわち愛。

「読めたか? って、うわっ」
 首をかしげるアルトを思わず抱き寄せて、ぎゅうと強く腕を巻きつける。
 あなたを愛しています。
 ミハエルは、アルトが書いてくれた文字をそのまま耳元で囁いて。嬉しいと続ける。
「ありがとうアルト、本当に嬉しい」
「そ、そうか?」
 抱きしめられたまま、アルトも嬉しそうにへへへと笑う。もう流されることのない意思は、ミハエルが教えてくれたことだ。
 きっと明日も明後日も、家の誰に逢っても大丈夫。
「ミシェル、もう一回したい」
「オーケイ、俺がいなきゃ眠れないようにしてやるよ」
 冗談混じりに囁いたミハエルに、もうなってるとは返さずに、アルトは大事な恋人を抱きしめた。