逢えないとき

2011/07/27



 日付が変わる直前だっただろうか。特別に設定した着信メロディが鳴り響いて、アルトはディスプレイも確認せずに通話ボタンを押した。
『はぁい、マイハニー。寝てた?』
「起きてたよ、なにがマイハニーだ。今日はもう仕事終わったのか? ミシェル」
 携帯電話の向こうから聞こえてくる声に、ホッとして心がわく。離れていてもクリアに聞こえるほどの品質に、こんな時はやっぱり感謝した。
『ついさっきね。契約外の仕事押しつけられそうになったけど、冗談じゃないって部屋戻ってきた』
 はは、と笑う。有無を言わせない笑顔と鋭い視線で言ってやったのだろうなと、浮かんでくる光景に。
「でも、いろんなとこのスナイパーが集まってんだろ? なんか楽しそうだな」
『まあね、盗める技術は盗ませてもらってるけど。いくら新規格の統一に必要だからって、わざわざ出向かなきゃいけないもんかな』
 アルトは、何度か聞いた愚痴に苦笑した。
 ミハエルは今、可変戦闘機の規格統一のため操縦テストに他船団へと出向いていた。複数の船団から選りすぐった者を集め、様々な実験が行われるのだとか。
『アルトと離れてまでやらなきゃなんない程、大切なことなのかな。だって規格の統一って、コストは削減できるだろうけど敵対船団に自分とこの装備バラしてるようなもんだろ』
「だからそこはパイロットの腕が重要になってくるってことじゃないのか?」
 性能が同じなら、全員が平等な立場だ。あとはそれを操縦する者が性能を使いこなし、限界まで引き上げられるかどうかにかかってくる。
『そうは言ってもさ、時期的に断りたかったんだ。アルト』
「うん?」
『誕生日おめでとう』
 アルトはベッドに置いた時計に視線をやって、ああとゆっくり頷く。
「ありがとう、ミシェル」
 日付が変わった本日は、早乙女アルトがこの世に生を受けた日だ。恋人のミハエルとしては、傍で直接祝いたかったのだろう。
『傍にいられなくてごめんな』
「いいって言ってるのに」
 アルトの方はと言えば、任務が決まってからずっとこんな調子で、誕生日という大事なイベントを何とも思っていないようにさえ思う。
 つきあいも短いわけではないから、初々しさが足りないのは仕方がないにしても、もう少しくらい寂しがってくれてもいいのではないかと、ミハエルが口を開きかけたその時、
「帰ってきたらめいっぱい祝ってもらうからな」
 優しい声でアルトが告げた。
 実際のところアルトだって寂しいに決まっているのだ。強い抱擁とたくさんの愛の言葉で、それこそこれでもかというほど毎年祝ってくれる恋人が、今年は傍にいない。
 それでも、嬉しかったのだ。選りすぐったメンバーの一人に、自分の恋人が選ばれたことが。誇らしくて、嬉しい。
「それにミシェルは、離れててもこうやって電話してきてくれるし……嬉しいって思うよ」
『アルト……』
 珍しく、ミハエルの言葉が詰まる。饒舌な彼ならば、こんな時こそ歯の浮くような文句を並べてみせるのだろうに。
「ミシェル? ……なんか照れてる?」
『照れてない』
「嘘つけ、反応返ってこないときはたいてい顔真っ赤にしてんだよ」
 ふふんとアルトは笑う。ここ数年を共に過ごしてきて知った、ミハエルの意外な一面だ。
 しかし意外もなにも、ミハエル自身初めての事象だっただろう。アルトの一挙一動にそわそわして、おろおろして、ドキドキして、こんなにも幸せになってしまうなんてこと。
『言うようになったじゃないか、アルト姫も。まさかこの俺をからかってくるとはね』
「いっつもお前にからかわれてるからな。たまには仕返ししたっていいだろ」
『そういうこと言うと、ちゅーしてやんないぞ』
 すねた声が返ってきて、アルトは目を丸くして笑った。こんなに子供っぽいところもあるのだと、彼を取り巻くうちのいったい何人が知っているのだろうか。
「こんなに離れてて、どうやってキスするんだよ、バーカ」
『えー? できるできる。だってアルト、覚えてるだろ? 俺のキスの仕方くらい……』
 は、と息を呑むほどに、ミハエルの声音が変わる。さっきまでのすねていた子犬のような声はいったいどこへ行ったのか。
『俺がどんな風に姫にキスするか、知ってるじゃないか。俺の口唇の硬さも、温度も、タイミングもさあ……覚えてるよね?』
 意地の悪い、それでも愛情があふれそうな声だと、アルトは眉を下げる。
「そりゃ、……覚えてる、けどっ」
 覚えてはいる。どんな風に抱きしめてくれて、どんな愛の言葉を吐いてくれて、どんな風に触れてくれるのか。
『だったらできるよ。な、誕生日祝いのキス、しよ』
「う……うん」
 思わず頷いてしまう。ミハエルの声には、なにか魔法でもかかっているのではないかと、こういう時はいつも思うのだ。
 そっと目を閉じれば、本当に口唇同士が触れているような気さえした。
 触れてくる、柔らかくはない口唇。口角をちゅっと吸い上げて、右から左へ口唇を滑らせて、押しつけるように隙間を埋める。
 感触は本物と寸分違わず思い起こせるのに、目を開けてもそこに愛しい人はいない。
「……バカミシェル……」
『ん、なぁに、アルト姫』
「逢いたくなるだろ……」
 こてん、とベッドに横たわる。そういえばここも、ミハエルと一緒に体を休めるのが常になっていて、一人では広いなんてことも考えてしまう。
『俺も会いたいよーひめー。こっちの仕事終わったら、飛んで帰るからさ』
「ん……」
『そしたら、うんと熱いキスをしよう、アルト』
 まじめに囁かれた言葉に、ふっと心が和らいだ。足りないと思っているのが自分だけじゃないと知って、改めてミハエルを愛しいと思う。
『逢えなかった日の分、いっぱいしよう』
「ああ、待ってるよ、ミシェル」
『じゃあ、おやすみマイハニー』
「お、おや……すみ、……ダ、ダーリン」
 言い終わるか終わらないかのうちに、アルトは通話を切って真っ赤な顔を枕に埋めた。
 らしくないこと言っちまった! と足をバタつかせて、ドッキンドッキンと鳴る心臓を静めるのに奮闘している時、同じく顔を真っ赤にしたミハエルが壁を相手に突っ伏して、不審がられていたとかなんとか。



 数日後操縦テストを終えて帰ってきたミハエルに、逢えなかった日の分たんまりとキスをもらい、強い抱擁とめいっぱい愛の言葉をプレゼントされて、アルトは至極ご満悦だったという。