拝啓、親愛なる悪友へ

2008/05/30


 いつものように、練習が終わった後だった。他のチームの生徒はすでに帰途につき、残るのはアルトとミハエルのふたりだけ。
 そのふたりも着替えを終えて、他愛のない会話に興じている途中のほんの気まぐれ。



 アルトは、ミハエルの眼鏡に手をかける。それを不思議に思っている間に眼鏡を外されて、ミハエルは少しだけ眉をひそめた。
「なんだよ、姫」
「いや、別に……」
 だったら返せよとアルトの手の中の眼鏡を取り上げようとしたが、ひょいとかわされてしまう。遊ばれているようで面白くない。
「ひーめ、それはお前がかけるようなシロモノじゃないんだって」
「ふぅん、お前ってやっぱ、目が悪いわけじゃないんだな」
 アルトはかざした眼鏡を下から覗き込んで、レンズの中が変に歪んでいることに気づく。近視用ではない。こんなものをかけたら、目が悪かったら余計に悪化してしまうだろう。
「良すぎるからかけてんの。返せよ」
「そうだよな、目が悪かったら空なんて飛べない」
「何言ってんの今さら。一年以上オレと飛んでて、気づかなかったか?」
 無理やりに奪い返して、ミハエルは眼鏡をかけなおした。このアイテムがないからといって歩行や動作に問題が生まれるわけではない。ゼントランの血のせいか、良すぎる視力を抑えるためにかけているのだ。
 不便といえば、長時間眼鏡を外していると頭痛がするくらいで。


「だってお前に興味なんかなかったし。技術は盗ませてもらったけどな」
「ああそう、それはどうも。で、なんだって急に? オレに興味持ち始めたとか? 悪いね今日はちょっと予定がいっぱいで」
「誰もてめぇの予定なんか訊いてねーし」
「こっちだって願い下げだよ。お前が女ならまだしも」


 ちりちりと焼けるような痛みをお互い感じながら、それの原因は分からず仕舞い。練習前のウォームアップに手を抜いた覚えはないし、飛んでいる時だって異常は感じられなかった。
「何か心臓おかしいな」
「悪い、オレのせいか? 眼鏡……」
「いや、あれくらいじゃ何ともなんねーよ。姫がそんな殊勝な態度取るとは思わなかった」
 ふっと口の端を上げると、アルトの眉が寄せられる。そんなに意外なのかと思うと面白くなくて、アルトは油断したミハエルの眼鏡を、再度取り上げた。
「おい、姫! いい加減に」


 いい加減にしろと声を張り上げかけて、覗き込んでくるアルトの視線にミハエルは戸惑う。
 こんなに近くで視線を交わしたことなど、あっただろうか。
 いやそもそも、同性とこんなに近づく理由がない。


「……アルト?」
「初めて、お前の瞳ちゃんと見た気がする」
 こんな色をしていたんだ、とアルトは思う。いつもレンズ越しで、じっくりと見たことなんかなかった。
 緑の瞳は案外に深く、視線が外せない。
「綺麗だな」
 もっと近くで見たいと思って、更に顔を近づける。
 ────あれ?
 がしゃん、とぶつかったロッカーが音を立てた。そうして気づく。

 口唇同士が重なっていることに。

 ────おかしい、こんなはずじゃなかったんだけど
 だけどあれ以上近くで見たいと思ったのなら、口唇が触れるくらい近づかなければならないのは分かりきっていたこと。ただ、気づくのが遅かっただけ。
 ────まあいいか。とりあえず、しとけ
 そんなふうに考えて、アルトは目蓋を伏せる。
 一方ミハエルは、突然のできごとに身体を強張らせた。背中に当たるロッカーが、冷たくて不快。
 触れるだけの幼いキスはアルトからしかけられたもので、だけどお互いの間に特別な感情などなかったはず。友人で、ライバルでしかない。
 ────姫がキスを知っていたとは驚きだ
 口に出したら殴られそうなことを考えながら、ミハエルは強張っていた腕を動かした。
 その腕はアルトの背に回り、片手は頬を包む。
 ────やられっぱなしってのはヤバイだろ、オレ的に
 ミハエルは目を閉じ、女性にするのと同じく、触れている口唇を愛しんでみた。同性であるという不快感は、案外少なかった。
 勢いに任せてか口づけは深くなり、抱き合う力が強くなる。
 終えてみれば口唇は淫らに濡れて、お互いの呼吸もわずかに上がっていた。
「姫、眼鏡」
「あ、おお」
 満足したらしいアルトから眼鏡を受け取り、かけなおすミハエル。
 気まずさからなのか視線は合わず、声だけで時間が進んだ。
「なあ、オレらって友達でいいんだよな」
「そりゃそうだろ、それ以上でも以下でもねーよ」
 少しの沈黙のあとにアルトは呟き、ミハエルが答える。お互いにホッとして、肩の力が抜けてしまった。
 ────ちょっとドキドキしたとか、関係ないし
 ────気持ちよかったとか、全然思ってないし
 考えるのに疲れて、帰るかと最初に言い出したのは、どちらだっただろうか。





お題提供:リライトさま
日常的男子生活10題より:拝啓、親愛なる悪友へ