特別なひとへ。

2010/02/14


 美味しそうに食べるなあ、とミハエルは頬杖をつきながらそれを眺めた。
 周りを見渡せばどこもかしこもカップルだらけ。ぽつぽつと女の子同士で訪れているのも見られて、微笑ましいなあと思うが、カップル席はどこも、彼女に付き合わされて仕方なく訪れたといった感じだ。
「ミシェル、1個しか食べないのか?」
 さすがに男同士で来ているものはおらず、多少肩身が狭い。
「……姫が美味しそうに食べてるの見るだけで充分だよ」
 だが相手がこの早乙女アルトならばその肩身の狭さも軽減するというもの。
 というよりも、まるっきり男女のカップルに見えてしまうだろう。他のカップルと違うだろうところは、このスウィーツバイキングに行こうと言い出したのはミハエルの方だということくらい。
「そうなのか? プリン1個で2000円はちょっと元が取れないだろ。俺何か取ってきてやろうか?」
「いや、いいよこれだけで。このプリン結構大きいし」
 立ち上がりかけたアルトを、ミハエルは慌てて制止する。食べれもしないものを持ってこられても困る。どうせ何だかんだでアルトの腹の中に納まってしまうに決まっているのだ。
「変なヤツ……来ようって言ったのお前のくせに」
「い、い、の。それよりホラ、そのケーキ限定モノなんだろう? 食い過ぎで食えなくなる前に食っちまえよ」
 食いたきゃ自分で持ってくるからと付け加えるミハエルに、そうか?とウキウキ目を輝かせながら目の前のケーキに視線を移す。
 しっとりスポンジと惜しげなく乗せられた生クリームと旬のフルーツ、ふわっふわのマシュマロと飴がけされたようなチョコレート。ここのバイキングでしか扱っていないようで、さらにこの時期限定なのだそうだ。
 女の子たちが「限定モノ」に弱いのは知っていたが、まさか早乙女アルトまでそうだとは思いもしなかった。
 ――――誘った理由なんて、気づきもしてねえんだろうなあ
 ミハエルは気づかれないようにため息をついて、これまたふんだんに生クリームが乗せられたプリンをすくい上げて口に運んだ。甘い、と思う他に、特別感想は浮かんでこない。
 プリンでさえそう思うのに、アルトの前にはケーキが3個も並べられていたりする。あれを全部食べるのだろうかと思うと、胸焼けさえしてきそうだった。
「んー、美味いー」
 それでも、そんなに幸せそうな顔をされてしまっては、胸焼けさえ吹き飛んでしまう。
 そうだ、その顔が見たいからこのバイキングに誘ったのだ。コーヒーをこくりと含みながら、ミハエルは嬉しそうに笑った。
 可愛い、と口には出さないでおこうとミハエルは思う。こんなに可愛らしいのに、このお姫様はそう言われることを嫌うのだ。だったらそんな可愛い顔しないでほしいよねと、心の中で呟いた。
 ふと視線に気づいて、顔は向けずに目線だけで確認すると、これまたケーキ山盛りのテーブルに座る女の子たちのグループからのものだった。きっと、あそこのふたり美男美女で羨ましい、なんて言われているのだろう。
 自分への称賛はもちろん、アルトへの称賛も悪い気はせず、ミハエルはそちらを少しだけ振り向いて、にっこりと笑ってみせた。こんにちはとありがとうの意味を含めて。
 かすかに上がった歓声に、ふふっと笑いながら顔を元の位置へと戻す。恐ろしいことに、ケーキがひとつ減っていた。
「ん? アルトどうした? なんか睨んでる?」
「……別に」
 ふい、とそっぽを向いてしまうアルトに、ミハエルはふうとため息をついた。
 好きになって思い切って告白して、最近やっと恋人らしくなってきたなあと思ったけれど、アルトの方はまだまだ友人の域をでていないのだろうか。妬いてもくれないなんて。
「美味い? アルト」
「…………うん」
 叶っただけでも充分か、と、少しだけ残念に思った気持ちを奥の方に閉じ込めて、ミハエルはアルトに向かって微笑む。先ほど女の子たちに向けたものより、もっと極上な微笑みだった。
「ミシェルってさ、甘いものダメなのか?」
「え、別にダメなことないぜ。たくさん食うのは無理だけど」
「そっか、なら良かった」
「ん? どうしたんだアルト」
 向けられた笑顔にアルトはポッと頬を染めて、そう訊ね、ミハエルが返してきた言葉にホッと息を吐いて、立ち上がる。
 新しいケーキを取りに行くのかと思ったミハエルだが、まだテーブルにはケーキが残っている。それを食べ終えてからにしておけ、と言いかけた、が。
「これくらいなら、食えるだろ」
「え?」
 アルトはケーキの大群の方へは向かわず、正面に座っていたミハエルの隣へ、3歩で寄ってくる。
 ケーキに飾り付けてあった薄い板チョコをつまみ、自分の口にくわえたかと思えば、いたずらっぽく笑ったアルトに顎を取られて、そのまま口づけられた。
 ――――わ、ぁ……
 ミハエルは3度瞬いて目を閉じる。
 アルトからのキスなんて、恋人になって初めてかも知れない。しかも、他人もいるこんなところでなんて。
 熱烈な恋人同士のキスに、負けじと自分たちもとキスをし始めてしまうカップルや、可愛いねと微笑ましそうに見ているカップル、まだ想いが叶っていないのか羨ましそうに眺めている少女たちもいた。
「今日は、バレンタインだからな」
 今日だけ特別、とアルトは笑って口唇を離す。頬を真っ赤に染めたアルトが愛らしくて、とろけそうなほど頬を緩めた。
「気づいてたのか」
「街がこんだけ飾り付けられてるのに、気づかないわけあるかよ。なのにこんなとこ来てまで女に色目使いやがって」
 ふん、と鼻を鳴らして椅子に戻ってしまう照れたアルトの背中に、どうしようもなく愛しさがこみ上げてくる。
「なあアルト」
「なんだよっ、この浮気者がっ」
「隣に行っていい?」
 正面じゃ、頬に口づけるのさえ一苦労、とミハエルは嬉しそうに笑いながら訊ねた。
「…好きにしろよ」
「うん」
 ミハエルは立ち上がって椅子の位置を変える。アルトの正面から、アルトの隣へと。
 あんなに大胆なことをしておいて今さら照れているアルトに、大好きだよと耳元で囁いてやった。
 特別大好きなひとへ、ありったけの想いをこめて。