shell

2008/05/31



 宿舎の談話室で、ミハエルはひとりソファに腰掛けて俯いていた。
 他人の、主に女性からの目を気にするミハエルらしくもなく髪はわずかに乱れ、眉間にはしわまで寄っている。先ほどから何度か小さなため息をつき、頭を抱える姿は、SMSのメンバーをしてさえ珍しいものを見た気にさせられるのではないだろうか。
「……情けねぇ…………」
 ミハエルは自嘲して呟く。
 昔よりずっとマシになったと思っていた。
 思っていただけで、実際はどれほども回復していなかった。


 姉のことを知る人物に出逢い、あの当時のことを思い出してしまった。
 それに動揺し、あろうことかフレンドリー・ファイヤを引き起こしそうになるなんて。


 ミハエルの中で、姉の存在は大きなものだった。それは昔も今もこの先も変わることなどないし、誰に踏み入れさせるつもりもない。
 姉の背を追い、姉を目標にし、将来は統合軍に入り姉の後ろでともにフロンティアを守ろうと思っていた。その道を進むのが当然で、自分にはそれしかないと信じていたのに。
 姉は自ら世を去り、ミハエルは天涯孤独の身になった。
 彼女を信じていた。今も彼女を信じている。
 だからこそ、ひとり置いていかれたことが悔しかった。もう二度とあの腕で抱きしめてはもらえないのだと、追い詰めた全てのものを憎んだ日もあった。
 いつ頃だっただろうか。そうするよりは一流のスナイパーになってやると決めたのは。
 ミハエルにとって姉の存在は絶大であり絶対。狙撃手としての彼女を、誰にも抜かせたくなかった。ジェシカ・ブランはその腕に誇りを持って生きていたのだと、追い詰めた人間たちに知らしめてやりたかった。
 追い詰めた人間たちになど抜かせやしない。
 追いついて、追い抜いていいのは、彼女を信じている自分であると、ミハエルがそう決めてSMSに入隊をしたのは、数年前。
 姉譲りの技術と才能を買ってもらい、どれだけか成果を上げてきたつもりだった。
 こんな醜態を晒すつもりはなかったのに。


「ミシェル」


 ミハエルはハッと顔を上げる。
 薄明かりの中、敬愛の念を抱いている男が立っていた。
「オズマ隊長……」
「飲むか」
「え、あ、はい、……いただきます」
 ミハエルはオズマが持ってきた水割りを受け取って口に含む。できればこんなところ、オズマには見られたくなかったと思いながら。
 オズマはどさりとミハエルの横に腰掛け、自分用に持ってきたらしい酒を呷る。男はロックだろというオズマらしく、今日もグラスの中で氷が音を立てていた。
「隊長、その……すみません、結局サンプル回収できなくて」
 沈黙が重たくて、ミハエルは会話を探す。だけど楽しい方面にはどうしてもいかなくて更に落ち込んだ。
「被害の拡大は防げたからな、まあいいだろ」
「クランとやってたあの機体、いったいなんなんですか? 統合軍のものじゃないんでしょう」
 オズマはミハエルとアルトの衝突には一切触れてこない。それがどうしてか、逆に突き放されているようで悔しかった。
 誤射なんて今まで一度もしたことがなかった。呆れられていたらどうしよう、とミハエルは背筋を凍らせる。呆れられるだけならまだいい、SMSに必要ないとでも思われていたら。
 核心に触れるのが怖くて、わざと別の話題を探した。
 自分のことに触れないように、姉のことに触れないように。
「さあ、知らんね。上のヤツらが何も言ってこないとこを見ると、バジュラ共でそれどころじゃないのか、それとも隠したいのか、……だな」
 あの機体を逃がしてしまったことも、今では悔やまれる。味方ではないにしろ、目的が少しも分からない。バジュラだけでも厄介なのに、アンノウンまで相手にしていられない。


「アルトの方はすっきりしたツラぁしてやがったが、お前の方は全然だな、ミシェル」


 ため息交じりのオズマの言葉に、ミハエルはビクリと身体を強張らせた。
 やっぱり様子を見に来たのかと思うと、どう接していいのか分からない。
 撃つことが怖い狙撃手なんて、本当に使い物にならないだろう。怯えは掃ったつもりだが、オズマは今回のことをどう思っただろうか。いまだに姉の死から立ち直れない軍人なんて。
「……隊律を乱してしまったのなら、謝りますよ。ちょっと熱くなりすぎちゃったみたいですしね」
 ミハエルは目を伏せて、そしてまた開ける。


 必要ないとは言わせない。
 心を殺してでも、狙撃手として生き抜いてやる。


 ごまかして笑うミハエルをじっと見つめ、オズマは小さく息を吐く。
「お前が何も言わんのなら無理に訊く気はないがな、ミシェル」
 カラン、とグラスにぶつかる氷の音が聞こえる。テーブルに置かれたグラスはオズマの手を離れ、一時の自由を手に入れた。
 つい先ほどまでグラスを掴んでいたオズマの冷たい指がミハエルの顎にかかり、向きを変える。
 触れるだけのキスが、流れ星みたいにミハエルの口唇を掠めていった。
「オレの傍にいる時くらい、子供になったっていいんだぞ」
 ミハエルは目を瞠る。
 口唇が、かたかたと震えた。
「さい…………あく、ですよ」
 視線を無理に外す。


 赦してもらったような気分だった。
 姉のいない寂しさが、背を這い上がってきた。
 大事な仲間を失わずに済んで、心の底から安堵した。
 必要ないと言われたらどうしようかと思っていた。


 悔しい寂しい嬉しい情けない。
 色々な感情が混ざって、こみ上げてくるものがあった。
 ミハエルは眼鏡を外す。目蓋で止めきれなかった雫が、頬を伝って顎から落ちる。
「なんでこんな時だけ……あんたは……っ……!」
 見透かしたように心の中に入り込んでくるのだろう。それだけ長く生きた男の余裕なのか、自分がまだ子供すぎるだけなのか、ミハエルは手で目を覆う。
 オズマの下で戦うことができて、幸福なのだとこんなときはいつも思う。
「こんな時でもねーとお前は甘えてくれねぇからな」
 頭だけ引き寄せられて、オズマの肩に当たる。当たる手のひらと肩から伝わってくる体温が、余計にミハエルの涙を誘った。
「……っぅ……」
 手のひらでも止められなかった涙が、オズマの肩を濡らす。
 姉さん、と小さな声が、耳に届いた。
 風で揺れる、炎のように静かに。