グッドモーニング

2008/10/14


 目覚ましよりも早く起きた朝は、何故だか得したような気分になる。
 薄明かりにぱちりと目を開けて、ミハエルは数度瞬きをした。
 伸ばした腕の上に、愛しい人の身体がある。いつもの光景に間違いはなかったが、こんなときはひどく幸福だと実感するのだ。
 ベッドサイドの時計を見れば、まだ起きなければいけない時間には少し早い。アラームが鳴り響くまでまた眠ろうかと思ったが、愛しい人が身じろいだのをきっかけに、ふとしたイタズラ心が生まれてしまった。
 す、と腕が伸びる。
 随分と男らしい手のひらが、同居人・早乙女アルトの太ももをすいと撫でた。
 彼の太ももは素肌のままで、手触りが良い。これはミハエルのお気に入りのひとつ。まあ、アルトの全てがお気に入りと言ってしまえばそうなのだが。
 上から下へ、下から上へなぞり上げ、両脚が合わさった谷間へと移動していくイタズラ好きな手のひら。若干朝が弱いアルトも、その明確な欲望を持ってうごめく手のひらには気がついたようで、ん、と身をよじった。
「こ、こら、ミシェ……っ」
 背中からぎゅっと抱きしめたまま、ミハエルは笑んだ。
 昨夜つけたキスマークはどこらへんだっただろうかと、探るように指を動かすミハエル。
 ここだったろうか。それともここか。
「ミシェル!」
 朝っぱらから欲情する恋人に、アルトは怒声を上げる。だけど快楽に弱いアルトにとって、ミハエルの器用な指先は、凶器以外の何物でもなかった。
「んっ……」
 太股を撫で、ニットセーターの裾から入り込み脇腹をなぞる。昨夜これでもかというほど開放した熱が、また生まれそうになる。耳元で吹きかけられる吐息は、どうせわざとなのだろう。
「アルト、起きた?」
「お、起きたからもうよせっ……」
「おはよう」
 なんて起こし方をするんだ、とアルトはミハエルの手を止めようともがいた。このままではまた昨夜のように流されてしまう。
「ヤダって、ミシェル……っ」
「逃げんなって、ちゃんとよくしてやるからさ」
 手のひらがだんだんと上に上がってくる。これ以上はダメだ、と首を振っても、ミハエルの手は止まってくれなかった。
「……っの…!」
 朝っぱらからこのままコトに及んでたまるものかと、アルトは息を溜めて左肘を思い切り後ろに振る。


 イヤだって言ってんだろ、と叫ぶアルトの声と、身体がぶつかる音と、ミハエルの詰めたような呻きが、全部重なった。


 肋骨の辺りに肘を食らったミハエルは、衝撃に少し咳き込み、アルトの身体から手を離してしまう。
「す、少しくらい…手加減、しろ、姫」
「あのなあミシェル、お前、ちょっとそこ座れ!」
 鍛えてはいるものの、突然の攻撃には対処しきれない。まさか容赦ない肘が入るとは、思っていなかった。
 ミハエルの腕から逃れることに成功したアルトはそのままがばりと起き上がり、ベッドの上に座り込む。そうしてミハエルにもちゃんと座れと自分の前を指差した。
 これは従わないとマズイことになりそうだなと、ミハエルも身体を起こしてベッドの上に正座した。この座り方は足が固まってしまいそうで好きじゃないが、反省しているというポーズだけでもしておこう。
「ミシェル、お前な。聞いてる?」
「ハイ聞いてマス」
 膝を突き合わせて、ベッドの上で始まる説教。しまったなあと思わざるを得ないミハエルだが、俯いて反省している振りをしても、視線はいつの間にか、空気にさらされたアルトの太股へと移動していた。
 下は何も穿いてないし、彼が着ているニットセーターはミハエルのものだ。少し袖が長いのは、そのせいだろう。
 男のロマンだよねと心の中でひとりごちる。
 裾から伸びた、思わず触りたくなる太股。温かいからこれでいいよと少し大きな服をパジャマ代わりにする恋人は、きっと男のそんな心理は興味もないのだろう。
 出逢って7年経つけれど、そんなところはずっと変わらない。お互い昇進もしたし環境も変わったのに、この無防備さはどうにかならないものだろうか。
「だいたいお前はな、我慢が利かなすぎるんだ!」
「うん、ごめん。でも姫に触りたかったんだよね」
 我慢を利かなくさせているのはアルトだ、などと言おうものなら、すぐさまこぶしが飛んでくるだろう。アルトとは共に過ごして長い。扱い方はもう心得てきたが、そう思うのも本心だった。
「え、あ、でもな、何も朝っぱらから」
「だって一日の始まりに姫補給しないと、持たない」
「俺は別にお前なんか補給しなくても大丈夫だ。そ、それに昨夜あんなに、っ……」
 アルトが口ごもり、ミハエルの目が光る。
 長い袖に隠れたアルトの腕を取った。
「ふうん? じゃあ朝ダメならその分夜にしていいってことかな?」
「いやいやいやいや、それおかしいから! 俺は……っ」
 腰が引けているのは、ミハエルからでも充分に見て取れる。さすがにこのままどうこうしようという気はないが、補給しなくても大丈夫などと言われてしまっては、面白くない。
 こんなところはまだ、10代の少年のようだった。
「ごめんねアルト姫。俺のこと嫌いになった?」
「なってねーよばーか」
 すぐに否定を返してくれて、分かっていたことだがミハエルはやはりホッとしてしまう。
「じゃあ、補給な」
 触って、と掴んだ腕を持ち上げて、手のひらをこちらに向けさせる。逃げ出す前に、胸に押し当てた。びくりとアルトの肩が揺れて、困ったような表情に変わってゆく。
 アルトにとって、しらふで恋人の肌に触れるという行為が、どうにも恥ずかしいものらしい。ミハエルはそれを知っていて、わざとゆっくりと触れさせた。
 胸に、鎖骨に、腕に、脇腹に、掴んだアルトの手首を移動させていく。
「む、昔よりはその、筋肉が綺麗についた、な」
 恥ずかしさを払拭しようと、アルトはミハエルに声をかける。上気した頬は、彼の胸の内をよく表しているなと口の端を上げた。
「アルト姫に追いつかれちゃ敵わないからな。ちゃーんとトレーニングしてるんだよ」
「お、俺だってしてるさ! ……なんでこんなに違うんだよ、ちくしょう、お前なんか……」
 眉を寄せて口を尖らせて、アルトはミハエルの肌から手を離させる。その手を無理に引き止めることはせず、膝の上に収まったそれをそっと覆う。
「俺なんか、なに? 好き? 大好き? 愛してる?」
 嫌い、の選択肢がないあたり、ミハエルも相当の自信家だ。だけどその自信は、これまでの二人での生活がそうさせるのであって、幸福、と胸を張って言えること。
 アルトは考え込むように瞬いて、
「め、目ぇ閉じたら教えてやる」
「ん、こう?」
 目を閉じたミハエルの眼前で手を振って、本当に閉じているか確認してから、自らも目を閉じて、近づいていく。ターゲットはその微笑む口唇。
「…………ぜんぶ」
 口唇に触れる寸前、小さく小さく、囁いた。
 好き、大好き、愛してる、ぜんぶ。
「補給、したか?」
「した。おはようアルト姫」
「おはようミシェル」
 今日も、ここから始まる。