有効期限

2009/04/01


「もうそろそろいいんじゃないかって思うんだけどさ」
 放課後の教室でそう切り出したのは、アルトの方だった。だがそう言いながらも視線は窓の外。独り言なのか話しかけているのかはっきりしてもらいたいねと、ミハエルは苦笑した。
「なにが?」
 だけど自席のパソコンでマニューバの調整をしながら、ミハエルもアルトに視線を移しはしない。隣の席ではありながらも、時おりこうした距離が遊ぶ。
「なにがって……あ、やっぱり雨、降ってきた」
「そうだな。ちゃんと傘持ってきたか? アルト姫」
 今日はフライトできないな、と拗ねたようなアルトの声に、保護者のような言葉を返す。それは、若干アルトの癇に障ったようだった。
「姫って呼ぶな」
「俺を追い越せたらな」
 いつも言ってるだろうと、調整したマニューバを保存して画面を閉じる。それを見越してか、アルトはようやく、青くない空から視線を外して身体ごと振り返った。
「そうやってお前は、すぐはぐらかすんだよな」
「機嫌が悪いねアルト姫。何がそんなに気に入らないんだ?」
 言ってみろよ、と挑発したけれど、実のところミハエルだって、彼が何を言いたいのかくらい分かっている。
 分かっていても、あえて言わせたい言葉があるのだ。
「ムカつく。すげえムカつくお前っ」
 絶対分かってるんだろうっ、とアルトは机を叩いてみるが、ミハエルは涼しい顔で笑っている。自分が折れるしかないのか、と思うが、悔しさが先立った。
「お前が一言言えば、それで済むじゃねえか」
 この男はいつも前を歩いていて、上の段にいて、笑っている。自他共に認める女好きのはずなのに、誰よりも優しくて、強い。皆が惹かれるのも分かる気はするのだが。
「それを言うなら、姫が言ったって変わらないと思うけどね」
 ミハエルは腕を組みながら、息を吐く。すぐ傍で眉を寄せるお姫様は、たったわずかな時間で次席にまで上ってきてしまった。流されやすいようでいて、……いや、流されやすいのだが、意志は誰よりも強い。
「なんで俺から言わなきゃなんねーんだよ」
「俺から言わなきゃならない理由は何かな」
 しばし、沈黙が流れる。
 アルトにも、ミハエルにも、そうして苛立ちが芽生え始めてきた頃。
「……友情に、有効期限てあんのかな」
 不意に呟いたアルトを、ミハエルの視線が追う。
「……あったとしても、もう切れてると思うぜ」
 そう返したミハエルを、アルトの視線が追う。
 必然的に重なった視線は、一呼吸置いて意図的に逸らされた。
 はああぁぁあ――と大きなため息が教室を支配して、二人ともが頭を抱える。
 本当はもっと上手く行くはずだった。きっとこんな教室なんかじゃなくて、きゅんとくるような言葉だって用意して、そして照れくさそうに笑う相手を拝めるはずだったのに。
「お前が、早く言わねえから」
「お前が早く言えばいいんだ」
 いったいどこで道を間違ったのだろうか。
 もっとときめくシチュエーションの時だってあったのに、タイミングを逃してここまで来てしまった。
「――――付き合おっか、俺たち」
「――――うん、そうだな」
 こんな風に始まるはずではなかったのに、と少しだけ泣きたくなったが、いつの間にか重なった手にときめいて、指を絡めてしまう。
「失敗したなあ……」
「情けないなあ……」
「でも、好きだ」
「ああ、好きだ」
 ちらりと横目で見やると、意図せず視線がぶつかって驚いた。そうして、お互いの照れくさそうな笑い顔を拝む。
「じゃあ、恋人の有効期限はナシってことで、ヒトツ」
「これからも、よろしく?」
 手のひらを合わせて、強く握り合う。
 今まではお互い友人同士。たった今から恋人同士。
 窓の外で聞こえる、静かな雨の音がやけに心地よく感じられ、ゆっくりと静かにキスをした。


提供:リライト様 恋になる前に十題より「友情の有効期限」