また今日も言い出せず-Alto-2

2008/07/01


「おい、ミハ」
「姫、俺にしない?」
 心配になって呼んだ声が、かき消される。
 今なんて言ったこいつ。
【俺にしない?】
 って、つまり、キスする相手を、か……?
「……え!?」
 つまり、ミハエルとキスすんのか!? なに言ってんだこいつ!
 あああ俺もなに本気にしてんだよ。絶対からかってるだけなんだって!
「あ、頭沸いたのか?」
「……いや、ほら、だってさあ、これから先女の子と付き合ってキスするにしたって、やり方知らないってのはちょっとどうよ? 俺らはリードしてやる立場なんだし、これで下手であってみろ、いきなり破局の危機だぜ」
 いや、俺としては重要なのそこじゃないんだが。
 キ、キスの仕方くらい知ってる。したことはないけど、できるとは思う。でもこの先キスしたいと思える女ができるのか? 今お前とキスをしたくて心臓バクバクいってる俺に。
「レクチャー、してやろうか」
「レクチャーできるようなテクが、お前にあるならな」
「……言うね。出ようぜ姫」
 こんなところじゃ何もできない、と席を立ったミハエルに続く。俺の安い挑発に乗ってくれて、感謝するよ。
 一度だけでいい。ミハエル、お前とキスをしたい。





「姫、こっち」
 人目につかなそうな路地を見つけて、ミハエルは軽く俺の手を引いた。
 どうしよう、本当にするのか、キス。こ、怖いわけじゃない、信じられないだけだ。
「楽にしてていいぜ」
「あ、ああ」
 ビルの壁に背中をついて、ミハエルを正面から見てみた。やばい、声上ずってる。
 だって仕方ないだろ。キスするんだぞ、ミハエルと! 恥ずかしくて死ぬ。
「緊張してんのか? 目くらい閉じろよ」
「め、目ぇ閉じたらお前がどうすんのか見えないだろっ」
 目なんて閉じられるか、もったいない。口唇が触れるほど近くでお前の顔見られるのに。
 あああ想像するだけで顔から火が出る。
「そうマジマジと見られるとちょっとやりづらいんだけど」
 俺の横に手をついて、ミハエルは片眉を上げた。どうしよう、このままじゃキスできない。
「い、いいからさっさとしろよ、百戦錬磨なんだろっ?」
「どうだろうねぇ」
「じ、じゃあ次は目ぇ瞑るから!」
 必死になって言葉を探した。目を閉じないままでキスをする理由を探し出して、思わず口に出したけど、言ってから気づいた。
 二回もするのか!?
 なに言ってんだ俺。
「オーケイ、じゃあそれで」
 なに言ってんだミハエル!
 ミハエルの手が顎にかかる。
 ちょっ……、待てマジで……?
「あ」
 ミハエルの顔が近づいてくる。心臓がバクバク鳴って、握った拳が汗で湿る。
 口唇が、いつの間にか触れていた。
 初めて触れる他人の、しかもミハエルの口唇の感触を楽しんでいる余裕なんてない。間近で見るミハエルの頬や睫毛、それから瞳を目に焼き付けるので精一杯だった。
 離れていく口唇が寂しい。もっと触れていたかったのに。
 でも。
 キス、したんだ。ミハエルと。
「……姫、目、……閉じて」
「え、あっ?」
 余韻に浸るヒマもなく、次がくる。
 ミハエルは俺を抱き寄せて、目を閉じるよう要求してくる。なんだよこの体勢、こ、恋人同士みたいじゃねぇかっ……。
 本当に二回目があるなんて思ってなくて、反射的に目を閉じてしまったけど、からかわれてんじゃねーよな?
 そう思ったけどミハエルの身体は離れなくて、口唇に触れるものがあった。
 今度はちゃんと、口唇の感触を味わう。弾力があって、熱くて、これがミハエルの口唇なんだと思った。
 ら。
「んっ」
 ぺろりと口唇を舐められたみたいで驚いてしまう。
 驚いた拍子に開いた口唇の中へ、何かが入り込んできた。
「んんっ!?」
 何これ。なんだ、これ。熱くて、ぬるぬるしてて、……舌? え、まさかこれ、ディープキスってヤツかっ?
「ん、んんっ」
 どうしよう、どうしたらいいんだ。こういうとき、普通はどうするんだ? 訊きたくても口唇は塞がってるし、息ができない。
 苦しくて恥ずかしくてもがいたら、気がついたようにミハエルが少しだけ口唇を離してくれた。
「ん、ミハエ……っ」
 その隙に呼吸をしようとしたけど、上手くいかなくてまた隙間なく塞がれる。
 恋人同士のキスって、こんな風なんだろうか。
 激しくて情熱的で、若干自分勝手。
 ミハエルは、気持ち悪くないのか? 男とこんなことして、気持ち悪いって思わないのかな。それとも、誰か好きなヤツと重ねてたりするんだろうか。
「ん、ぁ」
 角度を変えては口づけてくるミハエル。舌を合わせられ強く吸われ、俺の中には次第に独占欲という厄介なものが居つき始める。
 キスしてんの、俺だぞミハエル。ちゃんと分かってんのかお前。
 ……腕回しても、平気かな。しがみついてもおかしくないか? TVの中ではよくある光景だよな。
 俺はゆっくりと、力の入っていないような腕を持ち上げてミハエルの肩に置き、そのまま首に回して引き寄せた。
 ミハエル、お前は今【俺】とキスをしてる。
 その事実を、押し付けるように。





 はぁ、と息を吐いた。
 長かったような短かったようなキスが終わりを告げて、力が抜けてしまった俺はミハエルの肩にもたれかかる。
 あーもーすげぇこいつ。上手いとか上手くないとかわかんねぇけど、こんなキスされたら大抵の女は落ちるだろう。
 ……ん? あれ? 俺、今抱きしめられてねぇ? 気のせいか?
 でも、ミハエルの腕が背中に回ってて……なんかぎゅってされてる気がする。
「……大丈夫か? アルト姫」
「え、あ、うん」
 ほんの少しの間だけだった。それでも確かに、今。
 なんだこれ。死ぬ。恥ずかしくて嬉しくて、幸せで死ねる。
 今好きだって言っても、きっと【そういう流れだった】で済ませられる。今しかないかも知れない。冗談だよなに本気にしてんだ、って笑って済ませられるこんなチャンス、きっともうない。
 好きだって言ってみたい。世の恋人たちがしているように、俺だって好きなヤツに好きだって言ってみたい。
 ミハエル、お前に、一度だけでも。



「あ、あのさ」



 声が、言葉が、ミハエルと重なった。
 視線を向けたのも同時で、誰かに仕組まれてでもいるのかと思ったくらい、本当にぴったり重なった。
「あ、な、なに?」
「お、お前こそ」
 タイミングを逃した。完全に。もう、【そういう流れ】は切れてしまった。くそ、恨むぞミハエル。
「俺はいいよ、なんだよ?」
「俺もいいよ、大したことじゃない」
 重なった視線は、ため息とともに同時に離れてく。
 少しの沈黙のあとに、帰るかと呟いたミハエルに、ああと返す。
「そういや明日の飛行コース、どうしようか」
「今日とは違うとこ」
 歩きながら交わす会話の題は完全に普通の友人同士に戻ってしまっている。俺はミハエルから顔を背けてため息をついた。
 また今日も、お前が好きだと言い出せず。



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