また今日も言い出せず-Michael-2

2008/07/01


「おい、ミハ」
「姫、俺にしない?」
 俺を呼んだらしいアルトの声を遮って、覗き込むようにアルトを振り向く。
 何言ってんだ俺。
 こんなこと言ったって、キスできるわけないのに。俺も相当ヤキが回ってんだろうな。そもそも、アルトには俺 の言葉の意味が伝わっているのだろうか? 鈍感だからな、このお姫様は。
「……え!?」
 少しの沈黙のあとに驚いた声が返ってきて、俺の方こそびっくりしたよ。まさか明確に伝わっていようとは。
「あ、頭沸いたのか?」
 伝わらなかったんなら、諦めてまたからかう方向に持っていこうと思ったのに、伝わってしまっているなら、ど こまでできるか試してみようかな。
 それでキスとかできたら、幸せなんじゃねぇ?
「……いや、ほら、だってさあ、これから先女の子と付き合ってキスするにしたって、やり方知らないってのはち ょっとどうよ? 俺らはリードしてやる立場なんだし、これで下手であってみろ、いきなり破局の危機だぜ」
 下手な文句だ。経験のない男が好きな女の子だっているし、アルトの魅力は初心なところでもあるのに。
「レクチャー、してやろうか」
 いつものように笑ってみせた。上手く笑えていただろうか、アルトに不審がられないくらいには。
 ああ俺も必死だね、可愛いじゃないか。こんな一面があったなんて、初めて知ったよ。
「レクチャーできるようなテクが、お前にあるならな」
 おっと、まさかそう返されるとは思ってなかった。
「……言うね。出ようぜ姫」
 こんなところじゃなにもできない、と笑いながら席を立ったけど、本当は心臓が破裂しそうなんだぜ、アルト。
 念願叶ってお前とキスができるんだ。寝ているうちになんてセコいキスじゃなくて、合意を得た上でのキスを。



 人目につきにくそうな路地を見つけた。アルトがちゃんと着いてきていることは気配で分かっていたのに、思わ ず振り向いて手を引く。
「姫、こっち」
 まるで借りてきた猫のように大人しいアルト。挑発の延長で合意を得たことに少しだけ罪悪感は感じたけど、そ れよりももっと大きな感情が俺の中にあった。
 信じられなくて怖い。
 本当にキスできるのか、アルトと。
「楽にしてていいぜ」
 声、震えてねぇか? 言い出した俺がリードしてやるべきなのに、なんだこれ。まるで恋を知ったばかりのガキ じゃないか。
「あ、ああ」
 アルトが緊張してんのはひしひしと伝わってきたけど、俺だっておんなじだ。こんなにドキドキするのは初めて で、いつもならするりと出てくるセリフも出てこない。
「緊張してんのか? 目くらい閉じろよ」
「め、目ぇ閉じたらお前がどうすんのか見えないだろっ」
 ビルの壁を背にしても、いつまでも目を閉じようとしないアルトに、少しだけイラついて言ってやったら、そん な言葉が返ってきた。
 ああそうだった、レクチャーしてやるという名目でこんなところまで引っ張ってきたんだった。
「そうマジマジと見られるとちょっとやりづらいんだけど」
 困ったな、とアルトの横に手をつく。さすがにじっと見られているのは恥ずかしい。でも【レクチャー】なんだ から……やり方見せてやんねーといけないんだろうしなあ……。
「い、いいからさっさとしろよ、百戦錬磨なんだろっ?」
「どうだろうねぇ」
 このままじゃキスできないかも、と思って、じゃあそれでいいよと言いかけた時。
「じ、じゃあ次は目ぇ瞑るから!」
 …………あ?
 今なんて言ったこいつ。
【次は目ぇ瞑るから】?
 ……って、つまり二回していいってことかよ? 分かって言ってんのかアルト。
「オーケイ、じゃあそれで」
 だけどアルトからの申し出を断る理由はない。一度だけしかできないと思っていたキスを、二度もできるなんて 、願ったりだね。
 戸惑ったようなアルトの顎に手をかける。
「あ」
 少しだけ傾けた顔を、アルトに近づけていく。口唇に触れるまで、あとどれくらいの距離だろう。
 いつの間にか、口唇は触れていた。
 初めて触れるアルトの口唇。思っていたより弾力があって、熱い。
 ああ、アルトが俺のこと見てる。初めてのキスに驚いて戸惑って、それでも俺のこと見てくれてる。嬉しくて心 臓が破裂しそうだ。
 触れているだけのキスでは満足できなくなってくる。もっともっと深いのがいい。そう思って口唇を離したら、 俺を見ていたアルトの瞳が寂しそうな色に変わった。
 分かっててやってるんなら、相当タチが悪い。
 でも。
 キス、したんだ。アルトと。
「……姫、目、……閉じて」
「え、あっ?」
 もっとしたい、アルト。そういう約束だっただろう?
 拒まれる前にアルトを抱き寄せて、口唇を塞ぐ。シャツ越しに感じる体温が、心地良かった。
 なあアルト、分かってるか? お前は今、俺とキスをしてるんだ。
「んっ」
 俺の存在を主張するように口唇を舐めたら、驚いたのか頑なだったアルトの口唇が開く。俺がその隙を見逃すは ずもなく、こじ開けるように舌先を入れた。
「んんっ!?」
 入り込んで、歯列の形を確かめる。奥に逃げてしまった舌を宥めるように舐めて絡める。
「ん、んんっ」
 その感触が怖いのか気持ち良いのか悪いのか、アルトの声が鼻から抜けていく。そうか、お前そういう声出すん だな。
 夢中でキスしていたら、アルトが苦しそうにもがいた。ヤバイ、息できなかったかも知れない。正直、そっちに まで気が回らなかったよ。
「ん、ミハエ……っ」
 口唇を少し離してやったら、息をするより俺の名を呼ぶことの方が重要、とでも言うようにアルトの口唇から突 いて出た俺の名前。
 嬉しくて死にそうだ、アルト。
 また隙間なく口唇を塞いだけれど、アルトは呼吸をできたのだろうか? だけどお前が悪いんだよ、そんな可愛 いことしてくれるから。
 こんな、恋人同士みたいなキスをできるなんて思わなかった。
 激しくて情熱的で、若干自分勝手。
 アルトは、気持ち悪くないのか? 男とこんなことして、気持ち悪いって思わないのかな。それとも、ランカち ゃんやシェリルを重ねてる? それともまだ見ぬ誰か他の女の子?
「ん、ぁ」
 今キスしているのは俺だよ、アルト。
 角度を変えて、何度も口づける。呼吸さえ奪ってんだ、俺のこと考えてろよ。
 ……え? なにこれ。アルトの腕?
 おいおいちょっと待ってくれお姫様。キスの最中にしがみついて、引き寄せてくれるなんて、どこまで俺を幸せ にしてくれるんだ。
 絡めたアルトの舌を、強く強く吸う。
 アルト、お前は今【俺】とキスをしてる。
 その事実を、刻み付けるように。





 アルトが大きく息を吐く音が聞こえた。
 激しいキスに力を奪われたのか、俺の肩にもたれかかっている。ああもう、可愛いな。
 結局、レクチャーするなんてことは俺の頭の中から綺麗サッパリ抜けていて、自分のしたいようにただアルトの口唇を楽しんだ。
 このまま恋人同士になれたらいいのに。
 離したくない、と思わず両腕に力をこめてしまう。
「……大丈夫か? アルト姫」
「え、あ、うん」
 それでもどうにか身体を離し、甘ったるい思考から這い出ようと試みた。だってこのままじゃ、うっかり言ってしまいそうだよ。
 好きだって。もっとキスしていたいって。
 ああでも、今だったら、好きだって言っても【そういう流れだった】で済ませられるかな。拒絶されても冗談だよなに本気にしてんのって言ってしまえる。
 ヤバイな、言っちまおうかな。信じてくれなくていいから。
 アルト、お前に、一度だけでも。



「あ、あのさ」



 声が、言葉が、アルトと重なった。
 視線を向けたのも同時で、誰かに仕組まれてでもいるのかと思ったくらい、本当にぴったり重なった。
「あ、な、なに?」
「お、お前こそ」
 タイミングを逃したな、これは完全に。もう、【そういう流れ】は切れてしまった。ああ、恨むぜアルト。
「俺はいいよ、なんだよ?」
「俺もいいよ、大したことじゃない」
 重なった視線は、ため息とともに同時に離れてく。
 少しの沈黙のあとに、帰るかと呟いたら、アルトがああと返してきた。
「そういや明日の飛行コース、どうしようか」
「今日とは違うとこ」
 歩きながら交わす会話の題は完全に普通の友人同士に戻ってしまっている。俺はアルトから顔を背けてため息をついた。
 また今日も、お前が好きだと言い出せず。