キスと恋文

2011/05/24


「ねえアルト、どっちがいい?」
 隣から聞こえた声にアルトは顔を上げて、携帯電話を操作していた指も止めた。
「……なんの話だ?」
 二段ベッドの下の段、持ち主に断りもなく座ってくつろいでいるのは、ルームメイトであるミハエル・ブラン。
 まあ、持ち主に断りもなく云々はこの際おいておこう。
 どちらがいいかと言っておきながら、振り向いた先の彼の手には、アルトと同じく携帯電話しか握られていない。機種変更でもする際のリサーチなのだろうか。もしそんな話なら、勝手にしろと言ってやりたい。
「今日さあ、キスの日らしいんだよね」
 首を傾げたアルトの心の内など知りもせず、ミハエルは口の端を上げながら声を投げかけてくる。
「ふうん?」
「別に誰が決めたとか由来とかそんなのはいいんだけどさ。加えて、ラブレターの日でもあるらしいんだ」
 自分の功績でもないだろうにどうしてか得意げに話すミハエルに、ああだんだん魂胆が見えてきたとアルトは少しだけ目を細めて、視線を自分の携帯電話に戻す。
「お前はどこでそういう情報仕入れてくるんだ? そーいうイベントごと好きなのは知ってるけど」
「銀河網にはあらゆる情報が散らばって……いやそんなことはどうでもよくて、だからどっちがいいかって訊いてんの」
 この鈍感、とでも言いたげに、ミハエルは携帯電話の画面をアルトの眼前に突き出してくる。
 そこには、これでもかというほどデコレーションされた【愛してる】。
「ラブレターと熱〜いキス、どっちかあげるからさ、選んでって言ってんだよ」
 本人は格好いいつもりで言っているのだろう。いやそれは実際格好いいとアルトは思うのだが、やっぱりそんなことかと呆れるくらいには、ミハエルと言う男を知っているつもりだった。
「なーアルト、どっち?」
「どっちもいらない」
 だからこそ、そう返す。
 しかし返された方は納得いかないだろう。
「なんでそーなんの? いらないとか、意味が分からないんだが」
 日常的に口唇や肌を合わせている恋人の言葉とは思えない、と目を見張って、アルトを責めてみる。納得のいく理由を挙げてみろと。
「あ、もしかしてこのデコレーション好きじゃなかった? しまったな、もうちょっと可愛いヤツにすればよかった」
「だからいらないって。だいいちな、ミシェルからのラブレターなんか、それこそ毎日もらってんだよ」
 多少鬱陶しそうに、アルトは携帯電話の画面を操作している。ミハエルはその言葉に目を瞬いて、え?と訊き直した。
「毎日?」
「お前、自分の出したメール見てみろよ。絶対一回は好きだの愛してるだの入ってんだぜ」
 そうだっけ、とミハエルは律儀にも送信ボックスを確認する。
 アルト専用のフォルダを作るくらいには頻繁にメールを送信しているし、三回に一回くらいはちゃんと返信もくる。恋人同士としては極一般的なやりとりだ。
 しかし読み返してみると確かにアルトの言うとおりで、メールのそこここに愛の言葉。自覚がなかったせいか、今さら照れくさくなった。
「それにキスだって毎日してくるし……場所も考えずにな。だから今日そんなのもらっても、いつもと変わらない」
「だ、だけどそんなの……言いたいししたいんだからしょうがないだろ……」
 ミハエルの語尾がだんだん小さくなっていく。
 もしかしてメールの返信が少ないのは、それがイヤだったからなのかな。もしかしてあんまりキスをしてくれないのは、恥ずかしいだけじゃなかったのかな。
 そんな風に考えると、キスもラブレターもいらないと言った理由があまりにも明確すぎて、眉が下がった。
「……いいけどさ……」
 俺がアルトを好きなことには変わりないんだから。
 そう続けながらも、ミハエルは寂しそうにベッドに寝転がる。嫌われてなんかいないことは知っている。好きでいてくれてるとは思う。  それでも、こんな時は寂しいなあと思ってしまうのだ。
「おい、スネんなってミシェル」
「スネてない」
 どう見たってスネているだろう、とアルトはベッドの端からミハエルを振り向いて笑い、携帯電話に視線を移して、確定後に送信のボタンを押した。
「え、あ、メールか……え!?」
 その直後、音と振動で受信を知り、ミハエルは放っていた携帯電話を手探りで引き寄せ、確認したメールの文面に目を瞠る。
「アルトっ……」
 思わずアルトを振り向くと、優しく笑う彼がいた。
「キスもラブレターも、今日は俺がやるよ」
 少しだけ起こした体に被さってくる、髪と口唇。ゆっくりと瞬いても夢が覚めることはなく、ミハエルはベッドに背中を沈めていく。

【愛してる、ミシェル】

 省エネ対策の施された画面が、リミットを迎えてシュウンと消えていく。
「こんなサービス、滅多にしないんだからな」
 誘うように笑う恋人を目に留めて、あのメールは三つくらい端末にコピーをして保護設定をかけておこうと、ミハエルはアルトを強く抱きしめながら心に決めるのだ。