見えない気持ち

2008/05/04


 ミハエルは珍しく眉を寄せた。
「お前がそんな顔をするとは思わなかったな。同級生なんだろ?」
 オズマはそう言って無精ひげの生えた顎を撫でる。目の前で眉を寄せる男の表情が、本当に珍しかったのだ。
「別に、オレのところじゃなくてもいいじゃないですか。ルカだって今、一人部屋でしょう」
 急に呼び出されたから何かと思いましたとミハエルは続け、眉間のしわを更に深くした。
「ルカに新入りはまだ任せられんんだろ。お前の方が適任だ」
 オズマの言葉に、ミハエルは内心で嘆く。オズマ・リーから言い渡された、早乙女アルトとの宿舎同室に。
 宿舎の部屋は通常二人部屋だが、部屋数と人数の関係で今までは一人だったのだ。
 それが、ここにきて早乙女アルトと同室にさせられるとは。
「だいたいオレは、あいつが入隊すること自体反対なんですからね」
「なんでそんなに反対するんだ? 学校じゃいいライバルなんだろう、ミシェル」
「決断が早すぎると言っているんです。あいつの逃げ道作ってどうするんですか」
 そう言いつつミハエルはダーツの矢を投げる。綺麗にラインを描いたそれは、真ん中よりわずかに逸れて刺さった。
「何から何まで面倒見ろとは言っとらんだろ。何もできん子供じゃあるまいし」
 苦笑しながら呟くオズマに、ミハエルは自嘲ぎみに返す。
「子供ですよ。あいつも、オレもね」
 ど真ん中に突き刺さったオズマの矢に、ミハエルは肩を竦めた。やはり敵わないなと。
「隊長の命令なら、従いますよ」
「ミシェル」
 もともと、反対したって無駄なことは分かっていた。SMSの人員はまだ少ないし、技術のある人間が入隊するのは喜ばしいこと。
 アルトのセンスと技術はミハエルがいちばんよく知っていたし、彼が広い空に憧れていることもちゃんと分かっていた。
 来るべきとして訪れた、運命というヤツなのだろう。
「明朝08:00、早乙女アルト訓練生を出迎えます」
 ピッと敬礼をしたミハエルの頭を、オズマはくしゃくしゃと撫でる。
 子供扱いされているようにも思うが、ミハエルはオズマのその仕種がとても好きだった。
「じゃあ、明日からよろしく頼むな」
「イエッサー!」
 オズマのいなくなった講習室で、ミハエルはひとりダーツの矢を指でいじる。狙いを定めて放った矢は、ストッと真ん中に刺さった。
「さて、……どうするかなアルト姫」
 眼鏡をかけ直して、ミハエルも講習室を後にした。




 明朝、荷物をまとめてやってきた早乙女アルトを待っていたのは、意地の悪そうな笑みを湛えたミハエルと、天使のように笑うルカだった。
「おはようございます、アルト先輩っ」
「おはよう訓練生。一応、十五分前に着いたな」
 良い心がけだ、とミハエルは笑った。ここで一分でも遅れようものなら、門前払いしてやろうと思っていたのに。
「こっちだ」
 そう言って、ミハエルとルカはアルトを先導して宿舎に入る。
「必要最低限のもんしか持ってこなかったけど、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、生活用品は揃ってますし、服と学校関係だけでも」
 そうかとアルトは息を吐く。もともと、そんなに物に執着する方ではないし、無くても困らない程度の物なら必要ない。
「ルカ、こいつの荷物持ってってやれ」
 ミハエルはそう言ってアルトの荷物を引ったくり、ルカに投げてよこした。
「あ、はい。ミシェル先輩は?」
「艦長のとこ連れてかなきゃだろ。オズマ隊長もいるはずだ」
 来いアルト、とミハエルは踵を返し、着いていくしかないアルトは、ルカに荷物を頼むと呟いてミハエルに続いた。
 ────もう少しせせこましいところかと思ってたけど……
 アルトは辺りを見回しながら、ミハエルに誘導されるままに歩いていく。その気配には気づいていても、ミハエルが具体的な案内をすることはなかった。
「ミハエル・ブラン少尉、入ります」
「おっ、来たかミシェル」
 艦長室のドアを開け、立ち止まって敬礼を捧げるミハエルは、アルトにとっては珍しいものを見た気にさせられる。
 学校では常にミハエルが上位で、誰かに追従するなんてこと、なかったのに。
「それかい、新入りってのは」
 椅子ごと振り向いた人物に、アルトはぎょっとした。強面の顔は、さすがに修羅場をくぐってきたらしい。いかにも【艦長】らしい男だった。
「時間どおりだな。ご苦労さんミシェル」
「早乙女アルト訓練生、挨拶」
「え、あ」
 ミハエルに促され、アルトは艦長・ジェフリー・ワイルダーの前に出る。
「さ、早乙女アルトです。よろしく」
「歓迎しよう、同志よ」
 ジェフリーの低い声に、アルトはようやく認識した。仮とは言え、パイロットとしてSMSに入隊したのだと。




「とりあえず隊服に着替えろ、アルト。適性検査とシミュレーションやるから」
 艦長室を出て、どこに向かっているのかも分からないアルトは、さすがに不安になってくる。
 これからのことではなく、自分を先導している男の態度に。
「おい、聞いてんのか?」
 ミハエル・ブランの態度が、明らかにいつもと違う。いつもはもっと余裕綽々で、どんなときでもからかうことを忘れないような男なのに。
「ミハエル、なんでお前、そんなに不機嫌なんだよ」
 思い余って訊ねると、驚いたような視線が返ってきた。
 気づいていないとでも思っていたのだろうか。一年以上の学校生活を共にし、良きライバルとして過ごしてきたというのに。
「……驚いたね。お前がそんなにオレのこと気にかけるとは思わなかったよ」
 そして何より、この男がアルトのことを一度も姫と呼んでいないのに。
 アルトを最初に姫と呼んだのはミハエルだった。女形をやっていたこともあったのだろうが、その容姿を形容して呼ばれたあだ名が、今では学園で定着してしまっている。
「茶化してんじゃねーよ! 気に入らないことがあるんなら、面と向かって言えばいいだろ!」
 ────何が気に入らなくて、お前がオレにそんな態度取ってんだよ、ミハエル!
「気に入らないこと、か」
 アルトの言葉が癇に障ったのか、ミハエルの視線が鋭く変わる。アルトは思わず肩を竦めた。
「自意識過剰だな。まあ本当に気に入らないんだけど」
「だから、何が」
「言ったはずだぞ。オレはお前の入隊に反対なんだ。たかがマグレで一度ばかり戦闘に勝ったくらいで、知ったような口利きやがって」
 ぐっと詰まる。
 アルトには、今まで戦ってきたミハエルたちの気持ちは少しも分からない。
 ミハエルも、ルカも、自分の知らないところで命を懸けて戦っていたのかと思うと、どうしようもない悔しさに駆られてしまう。
 これは紛れもない、疎外感だった。
 もちろん入隊の理由はそれだけではないが、浮ついていると取られても仕方のない感情。ミハエルはそれに気がついているのか、ずっと入隊を反対していた。
「隊長に頼まれたから、お前のことはオレが見てやるけどな。ったく、隊長命令でなければ誰がこんな面倒くさいこと」
 ミハエルはアルトのことを気に入っていたが、それはあくまで学校内でのことだ。
 できるなら、命に関わる仕事などしてほしくなかったのに。
「だったらオズマに言って他のやつに変えてもらえばいいだろ!」
「オズマ隊長と呼べ、アルト!」
 ミハエルが声を張り上げて、アルトは半歩あとずさる。
 ミハエルの中で、自分がどの位置にいるのか知ってしまった。いや、オズマがよほど高い位置にいるのだろうか。
「……お前、下手に軍に入らなくて良かったかもな、アルト。礼儀も知らないお坊ちゃんじゃ、すぐに潰されるぞ」
「ミハエル」
「あと、オレも一応お前の上官だから。そこんとこ忘れないようにな、アルト姫」
 アルトは耳を疑った。内容にもだが、もういつも通りに戻ってしまった、ミハエルの口調に。
「ミハエルてめっ、性格悪いな!」
「おやおや、知っていると思ったけどね」
 ふふんと笑い身体を翻し、ミハエルは再び廊下を歩き出す。
 どれだけのことができるのだろう、とミハエルは考えた。
「あーもうちくしょう、てめぇなんかすぐに追い抜いてやるからな!」
 仲間となったこの男を、死なせないためには。
 だけど可愛い女の子ならともかく、男を守るためになど戦いたくはない。
「本当にそう思うなら、死ぬ気で着いてこいよ、アルト姫」
 自分自身で身を守ってもらうしかないのだろうと、ミハエルは眼鏡をかけ直した。



 鬼のようなしごきに、絶対立場を逆転させてやる、とアルトが決意を新たにしたのは、ほんの数時間後のことだった。