On your names

2008/07/14


 有・人。
 ミハエルは手のひらにそう文字を書き、ふうんと手をかざしてみせた。
「アルトの字ってこんな風に書くのか」
 なんでテストの記名とかカタカナなんだ?と訊ねたら、面倒だからと返ってくる。確かに画数的には、……いや、そんなに変わりない。
 カタカナの方が書きやすい、というのも確かに理由の一つなのだろうが、きっと父親に与えられた漢字だからと思ってでもいるのだろう。
 反発できる父親がいるというのは羨ましいがねと、ミハエルは口に出さずに笑った。
「アルト、あると、有人」
「なんだよ、そんな呼ばなくても聞こえてる」
 アルトはうつ伏せていた身体を起こして、アルトと動くミハエルの口唇をなぞる。
 狭いベッドの上で、こんなにも密着していれば、何度も呼ばなくても耳に届くだろう。名を呼ばずにさえ、きっと視線だけでも伝わってしまう。
「他には? アルト。お前の名前に使える漢字」
「え? ……なんだろうな」
 お互い、語学は一通り習得している。フロンティアでいちばんよく使われ、全銀河共通語とされているのは英語だったが、それでも船団によっては言語が違うのだ。こんなところは、人類が地球という星で生きていた頃と何ら変わりはない。
 アルトもミハエルと同じように仰向けに寝転がり、手のひらを見上げた。
「こっちの"在る"でも読めるな。在人」
「"ト"を斗にするとか?」
「三文字にするとウザイし」
 二文字でよかった、とアルトは、"アルト"と読めそうな文字を挙げていく。バリエーションはさまざまで、そういえばこんなことは考えたことがなかったと感心してしまった。
「……なんでこの漢字なんだ? 何か由来とか、あるのか?」
 ミハエルはもう一度手のひらに有人と書いて、首を傾げる。こんなにたくさん文字があるなら、他の漢字だって良いではないかと。
「さあな。そんなん聞いたことねーよ」
 そしてこれからも、訊く機会はないだろうとアルトは目を伏せる。
 父に反発して家は出てきてしまったし、名付けられた時そこにいたであろう母は、もう他界してしまっている。
「有人、有人、有人。……ふうん?」
「なんだよ、気持ち悪いな」
 何度も手のひらに書くミハエルを訝しんで振り向くと、ミハエルもこちらを振り向いて、視線が重なった。
「日本名……漢字っておもしろいな。読み方はひとつなのに、文字がいくつもある」
 興味深げに漢字を書き比べてみては、ミハエルは笑う。
 画数も違えば、雰囲気も違って見える。発音はすべて同じなのに、こんなにも違うのかと思って、何度も何度も書き比べた。
「有人、俺この漢字がいちばん好きだ」
 普段は見せないような真剣な表情に、アルトは思わず肩を震わせてしまう。
 そんな些細なことに、何をマジメな顔をしているんだと。
 だけどその字が好きだといってくれた彼のおかげで、自分の方こそその字が好きになってくる。
「姫、何笑ってるんだ」
「だ、だってお前、ハハ、そんなんお前だって一緒だろ」
 ついには身体を折ってまで笑い出したアルトに、ミハエルは不機嫌そうに眉を寄せる。アルトの言っている意味が分からない。
 スペルはMichaelでしかなくて、それ以外には書けないというのに。
「姫、なんで俺とお前が一緒なんだ。スペル一通りしかないだろ」
「知ってるよ、そんなん。でもほら、俺とは逆に、読み方が違うだろ?」
 覗きこんだミハエルは、アルトの答えに目を瞬いた。
 アルトは手のひらにミハエルの名をなぞり、口に出して名を呼ぶ。
「ミハエル、ミヒャエル、ミシェル、ミカエル、マイケル……ほら」
 ミハエルは参ったなと息を吐いた。自分の名前など、さして気にしていなかったことに今さら気がつく。両親が付けてくれた大切な、自分の名前。
 改めて、この名前で良かったと思った。
「おんなじ、だろ」
「おんなじ、だな」
 確かめ合って笑った。
 何がそんなに面白くておかしくて幸福なのかも口にできないまま、抱き合って笑う。
「お前はどれで呼んでほしい?」
「どれでも。姫が呼んでくれるなら、どれでも嬉しいな」
 アルトは一つずつ違う発音で呼びながら、彼の額に頬に鼻先に目蓋に口唇にキスを贈った。
「お前はどの字がいちばん良い?」
「どれでも。お前の指が俺の名をなぞるなら、どれでも嬉しい」
 ミハエルはさまざまな漢字を書きながら、アルトの肌に触れていく。


 ふたりは何度も名前を呼び合いながら、白いシーツに沈んでいった。