アナタノオト

2008/10/09


 アルト、アルト。
 呼びかけても、あーとかうーとか、曖昧な返事しか返ってこなかった。ミハエルは苦笑して、今度は違う呼び名で呼んでみる。
「ひーめ、姫」
「んー、なんだよさっきからー」
 やっと次に繋がりそうな返事が聞こえたが、なんだよ、はこちらの台詞だ。ふう、とため息をついて、
「ちょっと重いんだけどね」
 胸の上に乗る、彼の頭をぽんぽんと叩いてみた。
 素肌同士のままこうして、どれだけ時間が経ったのだろうか。時計を見る余裕などなかったから、どれだけそうしていたのか分からない。それどころか、今現在の時刻さえ分からない。
「我慢しろよ」
「そうは言ってもさ、寝返り打てないってちょっとしんどいぞ」
「うるさいミシェル。ちょっと黙ってろ」
 素肌が触れ合うことは別に厭うことなどないし、むしろ嬉しくて幸せ。実際さっきまでずっと、これでもかというほど触れ合って入り込んで、お互いの境界線がどこなのかも分からないほど抱き合っていた。
 だけど、何度目かの開放を終えてからずっと、アルトはミハエルの胸の上を陣取って、気持ちよさそうに惰眠を貪っている。
 彼にとって安心できる場所なのだろうかと考えると嬉しくもあるが、この体勢ではロクに顔も見られない。どうせなら、正面から抱き合って眠りたいものだ。
「うるさいって、お前ね。奇跡の生還を遂げた恋人に対してそれはちょっとないんじゃない?」
 無理やりにでも起きてしまおうと、ベッドに肘をついて上体を起こすと、不満そうにしがみつきながら、アルトもそれについてくる。
「うーごーくーなーよ、ちゃんと聞こえねえだろっ」
 下から見上げられ、ミハエルは起こそうとしていた身体をそこで止めた。アルトの様子を見る限り、それはとても重要で重大なことのように思える。仕方なく身体をベッドに沈ませ、彼の好きなようにさせてみた。
 ミハエルがおとなしく身体を横たえたのを、満足、とアルトは再度胸に頭を乗せる。揺らめく髪の毛が、ミハエルには少しくすぐったかった。
「聞こえないって、なに?」
 髪を、優しく撫でる。それを嬉しく思ったのか、アルトは強く、ミハエルの胸に耳を押し付ける。
「お前の音」
 その一語を大切そうに呟くアルトに、ミハエルはやっと合点がいった。


 心臓の音を聴いていたのか。


「お前の生きてる音だ」
 うん、とミハエルも静かに呟く。
 ドクンドクンドクン。
「ミシェルの、音だ」
 いつの間にか心音が重なって、呼吸も重なる。
 ふたりでそっと目を閉じる。


 ミハエルが助かったのは、奇跡といえばいいのか、偶然が重なっただけといえばいいのか。
 宇宙空間に投げ出された彼は、仮死状態のまま何日かをそこで過ごした。ゼントラーディの血を引いていたのが幸いしてか、常人では有り得ない程存命率の高い状態で発見され、医療用カプセルに放り込まれ、それから数週間。
 初期発見だったV型感染症も、ワクチンが間に合い、最悪の状態には至らなかった。
 幼馴染の少女は泣きじゃくり、彼が目覚めるまでずっと傍についていた。
 目を覚ました、と連絡をもらって駆けつけたときにはもう、ベッドの上に身体を起こし、たくさんの同僚に囲まれていて。
 ごめんとありがとうを一生分言った気分だ、と笑っていたミハエルを見て、やっと現実なんだと思ったけれど、それでもまだ、不安が残る。
 本当に生きているのか。幻ではないのか。 
 他の見舞い客がいなくなって、次の検査は明日の午後から、と看護士に告げられたミハエルが、アルトに向かって手を伸ばす。その瞬間さえ、夢なのではないかと疑った。
 言葉を交わすより先に、キスを交わした。
 熱い、と思った舌が絡み合って、ベッドが悲鳴を上げる。素肌を、と衣服に手を伸ばしたのはどちらが先だっただろうか。


「聞こえる? 姫」
「ああ、聞こえる」
 ドクンドクンドクン。
 抱き合うよりもっと、楽で体力も失わない方法もあっただろう。
「姫の音も聴きたい」
「あぁ、こら、バカ……もう無理だろ……」
 伸びてくる腕を払いのけもせずに、アルトは言葉だけで拒絶してみせる。
 抱き合う他にも、きっと方法はあるのに。若さと愚かさと愛しさで、全部投げ捨てる。
「聞かせろよ、お前の音」
「生きてる音?」
 この人が愛しいのだと、笑って全てを投げ捨てる。
 後で身体が言うことを聞かなくなっても、今はただこの人の音を聞いていたい。
「アルトの音、全部ちょうだい」
「欲張りだよお前」
「なんとでも」
 アナタノオト。
 生きてる音。
 ドクンドクンドクン。
「生きててくれてありがとう、ミシェル」
「待っててくれてありがとう、アルト姫」
 口唇からも伝わってくる、アナタノオト。
 あなたの生きてる音を、愛してる。
 ドクン、ドクン、ドクン。