件名 Re;

2008/09/06


 ずいぶん増えてしまったな、とアルトは携帯電話の画面を眺めてそう思った。
 日々増えていくメールの表示件数が、嬉しくもありまた恥ずかしくもある。
 アルトは普段、あまり自分からメールをするという習慣がない。もちろん来たものには返信をするし電話だってする。ただ、特別に好きというわけではなかった。
 この携帯電話だって、ないと不便だからと家を出てから購入した。初めは使い方さえ分からず、取扱説明書を片手に利用していたものだ。
 今ではもう、無くてはならないものになってしまった。
 友人たちとの交流に、緊急の召集に、そして、恋しい人とのやり取りに。
 友人たちのメールが2割、職場関連1割、恋人7割。


“ミシェル”


 そう名づけたフォルダには、すでに3桁の受信メール。他のフォルダもあるというのに、このフォルダだけが異様に受信が多かった。
 少し前まではこのフォルダ名も、“ミハエル”としていたのに、より深く彼を知って、頬を染めながらも名前を変更した。
 その名を見るだけで胸が鳴るなんて、こんなに不思議なことはない。
 何度も読んだメールを読み返して頬が緩むなんて、他人から見ればさぞ不審なことだろう。だけどここはミハエルと二人の自室。他に誰がいるわけでもなし、アルトは思う存分頬を緩め染めた。
 メールとは言っても他愛のないもので、課題終わっただとかちょっと買い物に行ってくるだとか、マニューバのことだとか。
 学校も職場も、部屋まで一緒で、それこそ四六時中一緒にいるというのに話題は沸いて出て、その度に笑いながら時間を費やす。
 学校では隣の席だからか、口に出して論争を繰り広げることもあるが、それは主にマニューバのことで、少しも色気のある話題ではない。だけど、机の影で、隠れてそっと触れ合う指先がくすぐったくて、伝わってくるわずかな温もりが嬉しかった。
「ミシェル……」
 まだ帰ってこないのかな、とアルトは枕に突っ伏す。
 勤務時間はとうに過ぎているはずだが、ミハエルはまだ帰ってこない。バルキリーの調整だとかで、メカニックに呼び出されていたのは知っているから、何かを疑う余地もないのだけれど。
 メカのことは専門でないとはいえ、S.M.Sのパイロットをして恥ずかしくないだけの知識はある。メカニックと相談しながらバルキリーを作り上げていくのは、アルトだって好きだった。
 先に帰ってて、と言われて帰ってきたけど、こんなに遅いのならあっちで待っていた方が顔も見られるし良かったかななんて、女々しいことを考える。
 今ミハエルは何をしているだろう。メカニックが弾き出したデータとにらめっこの最中だろうか。それとも、調整の終わったバルキリーでテスト飛行でもしているだろうか。それだったら、今メールをしても返ってこないだろう。
 アルトは大きく息を吐いた。
 学校の課題も終わってしまったし、この増えすぎたメールの整理でもしようかなとメールボックスを開く。受信メモリだって無限ではないのだ。
「…………」
 ミハエルから来たメールを最初のものから読み返して、必要なものとそうでないものを分けようと思った。
 思ったのに。
 アルトの指は、このメールは取っておきたいと次へのボタンを押し、そしてまた。
「無駄じゃね?」
 20通くらいまでを終えて、気づく。
 全部、消せない。
 全部嬉しくて馬鹿らしくて愛しくて、不要なものだなんて思えない。きっと今みたいにミハエルがいないとき見返して、笑ったりするのだ。消したりなんてできるはずも無い。
 長い文章でも、たった一言のメールでも。
「消せねえよ、ミシェル」
 呆れ気味に笑って、携帯電話を持った手の甲で額を押さえた。
 こんなに好きになってるなんて。
 こんなに、大好きになってるなんて。
 彼なしでは生きていけないなんて言うつもりはないけれど、傍にいてくれたら幸福だとは思う。


 溢れる、と思った。


 恋しすぎて、溢れてしまうと感じた。
 ミシェル、と名を呼んでゆっくりと息を吐き出す。閉じていた目蓋を持ち上げ、起き上がってカバンの中からブランクの記録媒体を取り出した。
 小さなそれは、ケーブルで繋げばすぐにデータの移動ができる。こちらへ移し変えておこうと、アルトは携帯電話に繋いだ。




 シュン、とドアが開く。やっとご帰還の、ミハエルだ。
「アールトーひ、……め」
 ただいまのキスをしてお帰りのキスをもらおうと思ったが、部屋の中は静まり返って、小さな寝息だけが聞こえていた。ミハエルはアルトのベッドを覗き込んで、肩を竦めた。
「眠ってたのか……どうりでメールが返ってこないわけだ」
 今から帰る、とメールをしたのに、いつもは返ってくるはずのメールがこなかった理由を知って、やはりどこかホッとする。
 彼になにかしてしまっただろうかと不安になるなんて、本当にこのお姫様に落ちてちまっているのだなと、ミハエルは眼鏡を上げた。
 今まで付き合ってきた女性たちとは勝手が違って、日々が驚きの連続だ。これが恋なんだろうかと、初心なことを考えてみたりもする。
 なにせ、今まではこんなこと無かったのだ。メールはいつも、来るのを待っていればいいだけだったし、期間が開いたって気にも留めなかった。メールボックスがその人のもので埋まるなんて、無かったのに。
 今ではアルトからのものが半数以上を占め、3桁を優に超えていた。
 四六時中一緒にいるというのに彼とのメールは楽しくて嬉しくて、つい何度も返信してしまう。他人から見たらひどく馬鹿馬鹿しい話しでも、ミハエルにとっては大切なものだった。
 ベッドの端に腰をかけて、アルトの髪を撫でる。相変わらず手触りがいいなと微笑んだ。
 枕元の携帯電話はメールの受信を知らせてチカチカと光っており、読んでもらうのを待っている。きっとさっき自分が送ったものだろうなと、ミハエルは携帯電話に手を伸ばした。
 その発光で彼が目を覚ましてしまわないようにと思って、受信確認をしようと思っただけだった、のに。



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