シロツメクサ

2011/05/03


 風がそよそよと吹いていた。
 心地がいいなと、アルトは本物の空を見上げる。ここに来て初めて、そうしたような気がした。
 退院してすぐの、よく晴れた日。学校なんてサボッていいからつきあって、と手を引いて連れてこられたそこは、緑がたくさんの丘だった。
 傍には小川が流れ、そよぐ花にはチョウチョが止まっている。どこからどう見ても、平和そのものだった。
「うーん……」
 なのに隣の男からは、なにやら不穏そうなうなり声。こんな場所に不似合いだなと振り向いて、アルトは目を瞬いた。
「……ミシェル?」
 ミハエル・ブランの手には、数本の花が握られている。花屋で見かけるようなものではなく、まさにそこらへんに生えているものだ。あれは確か、シロツメクサとかいった名前だったはず。
「なにしてんのお前」
 見れば、膝の上にも何本か散らばっており、過剰に言えばミハエルが花に埋まっているようにも見えた。
「いや、どうやって作るんだったかなと思ってさあ」
 ついこの間ランカちゃんに教わったのに、と口を尖らせるミハエルに、アルトは首を傾げる。
 ランカ・リーと良い友人なのは知っているが、彼女に教わる事柄がこの男にあるのだろうか?
 ミハエルはシロツメクサを一本手に取り、もう一本、その茎に絡めては首を傾げ、また元に戻す。もう茎がよれよれになっていた。
「あー、無理、もう無理分かんねー」
 ミハエルはとうとうすべてを放り出して、草の上に寝っころがった。放ったシロツメクサが彼の上に降って、パサパサと音を立てる。
「なにがしたかったんだ? お前、そんなに花摘んで」
 アルトはミハエルに再度訊ねた。彼に花を愛でる趣味があったなんて知らなくて、これは意外な一面の発見としていいのだろうか。
 ミハエルはバツが悪そうにそっぽを向く。言い出しにくいことなのかと思ったが、アルトは気になってしょうがない。言えよと額を弾いてやったら、イテ、と少しも痛くなさそうな声が漏れた。
「ミシェル、言わないともう口きいてやんねーぞ」
 それは困ると即座に返ってくる応答に、アルトは口の端を上げる。口をきかないなんてそんなこと、アルトの方こそ我慢できないに決まっているのに。
 それで?と促すと、ミハエルはやっと口を開いた。
「アルトにさ、……アルトに、花冠作ってあげようかなって思ってたんだ」
「は? 花……冠?」
 一瞬耳を疑って、花冠とはあの花冠だろうか?と思い浮かべた。
 花の茎をうまく編んで作る、あの輪っかのことだろうか。
「え、は、ははっ、ミシェルが? ミシェルが作んのか?」
「あ、笑うことないだろアルト、俺はまじめにだなあ」
「だって、らしくないっていうか、ハハハ、悪い、怒るなよ、ふ……くくくっ」
 肩を揺らして笑うアルトに、これはなにを言っても笑われるなと諦めて、ミハエルは思わず起こした体をまた草の上に横たえた。
「なんでまた、花冠なんだ? お前なら普通に花束とか持ってきそうなのに」
 ひとしきり笑い終えたらしく、アルトは新たな疑問を投げかける。
「それじゃ他のヤツらと同じだろ」
「え?」
「退院祝いに花束なんて、みんな持ってくるだろ。印象づけられないじゃないか」
 はあーとため息と一緒に吐かれる言葉を、アルトは頭の中で繰り返す。
 アルトは先日まで、入院していた。
 しかし死にそうな大けがをしたわけでも、病にふせっていたわけでもない。検査検査の毎日だったのだ。
 この星に、還ってきてからずっと。
 新統合軍、SMS各支部、たくさんの民間人を巻き込んだバジュラとの戦争で、アルトはバジュラと一緒に銀河の彼方へフォールドしていった。
 彼に関わったすべての人が信じていた【無事の帰還】は現実のものとなり、泣きながら迎えてくれた仲間たちを、アルトは愛しく思っている。
「俺にしかあげられないもの、お前に見せたかったのにな」
「ミシェル……」
 とりわけこの金髪の美青年を、ことさらに愛しく思うのだ。
「アルトにあげたかったんだ、こんな綺麗な星をみんなにくれたアルトに、この星の自然」
「この星をくれたのはバジュラだろ」
「バジュラを信じたのは、お前だろう?」
 バジュラとともに消えたアルトは、バジュラに連れ添われて戻ってきた。言葉は通じないけれど心は通じるんだと笑っていたのを、ミハエルはまだ覚えている。
「そうだな、俺はバジュラを信じたかったし、バジュラにも信じてほしかった。こんな風になるなんて思ってなかったけど」
 本当の空が頭上に広がる星を、緑の草を、アルトはそっと撫でた。
「もう少し体調が回復したら、一緒に飛ぼうなアルト」
「俺はもう大丈夫だって言ってんのに」
 アルトはミハエルの上に陣取っていたシロツメクサを拾い集める。ときどき花びらでミハエルの頬をくすぐっては、こらぁと諫める彼を見下ろした。
「絶対ダメ、まだドクターストップかかってんだから」
 空を見上げるミハエルに、ちぇっと舌を打ってみせる。自分の体調は自分がいちばんよく知っている。とは言うもののあまり無茶をして大事な人を悲しませるわけにもいかない。
「アルトは今や英雄なんだぜ? お前だけの体じゃないし、もちろん俺だけのものなんて言えないくらい有名になっちまってんだ。ああ、ちくしょう」
 一直線に向かってくる想いは少しも変わってないな、とアルトは笑う。単位をわざと落としてまで、一緒に卒業しようと言ってくれた彼を、本当に愛しく思った。
「俺はお前に独り占めしてもらっても、全然構わないんだけどな」
「え?」
 はい、とミハエルの頭に輪っかをかぶせる。
 なに、と指先でそれを探ったミハエルが気がついて、ガバッと体を起こした。
 それは、ミハエルが編むことを諦めた、花冠。
「俺からお前に。俺を信じて待っててくれて、ありがとな」
「…………俺がもらってどうすんの。お前の退院祝いにならないだろ」
「今からもらう」
 え、と飛び出る前に声が飲み込まれていく。重なった口唇は、以前となにも変わらなかった。
「お前の気持ちとキスで、ちゃんともらった」
 ちょん、と人差し指で口唇に振れてくる、アルトの笑顔。ミハエルは頬を赤らめて頭を抱えた。どうしてこの人は、こうも簡単に人の心を持っていくんだろう。
「ありがとうミシェル、こんな綺麗なとこに連れてきてくれて」
 そんなミハエルの心情をよそに、花のにおいがする恋人へ、アルトは惜しげもなく口づけた。