シルバー

2010/07/27


 目を開けて、生まれてから何度目かの幸福な気分に陥る。そんな感情がこの世にあるなんてこと、この人に出逢って初めて知ったのだ。
 ミハエルは肘を折り、いつものように愛しいひとの髪を撫でる。そうすると、半分覚醒しつつも、子供のように身を寄せてくる恋人――早乙女アルトに、これまたいつものように破顔した。
 まだ寝てていいよと、声に出さずに、髪を撫でる手で伝えると、安堵したように肩の力を抜く。
 いつもの光景だった。
 いつまでも見ていたいと感じる寝顔を飽きもせず眺めて、ミハエルはアルトへの想いを膨らませる。
 昨夜はいちだんと可愛かったなあ、とか。あの照れた表情がたまんないんだよなあ、とか。
 キスをしたあとの嬉しそうな顔は、それだけで銀河さえ救ってしまいそうだなあ、とか。

 こんな関係を続けて、短くもないのに、アルトへの気持ちは広がっていくばかりだ。
 どうしたら喜んでくれるだろうか。
 どうすればもっと嬉しそうな顔をしてくれるだろうか。
 なにをプレゼントしたら抱きついてくれるだろうか。

 そう、なにをプレゼントしようか。

 今日という日を、これほど重要に感じたことはない。
 こんな気持ちを知る前は、ただ過ごしていく日の中の一日に過ぎず、カレンダーに印を付けたり携帯のスケジュールにまで登録したりするなんてことも、なかった。
 今日は、早乙女アルトという人間がこの世に生を受けた日だ。
 誕生日なんて、これまで気にしたこともなかった。
 つきあっている女性が今日誕生日なのと言ってくれば、たとえそれが嘘だとしても、へえそれはおめでとうお祝いしなきゃと、おきまりの文句を言って、いつもより丁寧な行為をしてきてはいたが、特別大事なものとは思っていなかったのだ。
 自分の誕生日さえ、気にしたことなんかなかったのに。
「こんなに変わっちまうもんなのかねえ」
 空とベッドの撃墜王と謳われた自分が、たった一人の人間、それも同性の男に撃墜されハマりこんで、夜明けのこんな時間さえ愛しく思うようになるなんて。
「んー……みしぇるー…?」
「あれ、起きちゃった? おはようアルト姫」
 肩が動いて、閉じられていた目蓋が持ち上がる。  そうか、普段ならもうすぐで起床しなければいけない時間帯。目覚ましより早く起きられるのは、さすがに軍人といったところか。
「まだ早いよアルト」
「クセなんだよ…」
 おはよ、と小さく呟いた恋人は、ベッドの上で肘をつき、乱れた髪を梳く。
 今日だけは、と訓練を休ませてもらっているのに、身体は素直に覚醒をしてしまうらしい。
「じゃあ、せっかく早く起きたことだし、どっか行こうかアルト? どこでも、お前の行きたいところ」
 ごろんと寝返りを打って、ミハエルもベッドの上でひじをつく。同じ高さになった目線で、愛しいひとを眺めた。
「どこでも?」
「誕生日だし。おめでとうアルト」
「……寝る前にも聞いた」
「いいじゃないか、何回言ったって」
 ミハエルは笑う。
 そうだ、愛しい人の誕生日を祝うのに、制限なんかあるものか。
「なあどこに行きたい? プレゼントは何がいいかな」
 どこだっていいしなんでもいいよと、ミハエルは囁く。何でもと言ったってそりゃあ現実的に限度はあるけれど、気持ちの上では嘘じゃない。
 この銀河に存在しているものなら何だって手に入れてやりたいし、連れて行ってやりたい。そうしたあとの嬉しそうな表情を見るためなら、たとえば星のひとつやふたつ。
「別に……行きたいとことかねえし…」
「アルトはもうちょっと欲張りになってもいいと思うぞ」
「……俺ほど欲張りなヤツもいねえと思うけどな」
 むぅ、と口を尖らせてやると、困ったようにアルトは片眉を上げる。ん?とミハエルは首を傾げた。
「それに、プレゼントならもう……もらったし…」
 視線をそらしながら呟くアルトに、ミハエルはますますわけが分からなくなって、んー?と考え込み始めた、けれど。
 ふと思い当たって、まさかと思いつつ訊ねた。
「プレゼントって、もしかして俺?」
 めいっぱい自惚れて、茶化して囁いてやったけれど、
「分かってんなら訊くなよ、バーカ」
 否定は返ってこずに、思わず頬が染まった。
 確かに昨夜はいつもより優しく、丹念に、激しく愛したけれど、期待に副えていたらしい。
 行きたいところも特にないというのは、このまま二人だけの空間で過ごしていても構わないという、アルトの最大級のワガママなのだろうか。
「お前は、俺がどんだけ好きだと思ってんだ、ミシェル?」
 半端じゃねーんだぞ、と不機嫌そうに呟く彼の横顔を、ミハエルは物珍しそうに、愛おしげに眺める。普段は恥ずかしがって表してくれない気持ちを、今日は言葉にしてくれる。
 もちろんアルトの気持ちは分かっているつもりだったが、言葉の力がこんなに大きいとは思っていなかった。
「アルトの誕生日なのに、俺がそんな嬉しいプレゼントもらってどうすんの、ねえ」
「……俺だってたまにはお前にそういうこと言いたいんだよ、ダメなのか!?」
「ダメだなんて言ってないだろ? 本当にお前って男は扱いが難しいよ」
「んむ」
 ちゅ、と口唇にキスをする。何気ない言葉で、機嫌を損ねたりしてしまう。
 それはまあアルトに限ったことではないのだろうが、つむぐ言葉にまで気をやるのは、やっぱり今までなかったことだ。
「しかしまあ、プレゼントが俺だけってのは、ちょっと安上がりだなあ」
「なに言ってんだ、お前をもらえるのは、今は俺しかいない。すげえ贅沢だぞ」
 目を瞬いて、言葉をなくした。まさかそんな言葉で返されるとは思っていなくて、頬が染まる。
「照れてる」
「照れてない」
「嘘つけ」
「うるさい」
 それを目ざとく察知したアルトに、頬をつつかれて、行き場をなくした幸福感をキスに換えて贈る。  絡めた舌の熱さに喘ぐアルトの喉を、そっと撫でた。
「まあ……ちゃんと用意してるけどさ、プレゼント。出しにくくなったな」
「え、何。くれるんならもらうぞ。っていうか用意してんなら何がいい?なんて訊くなよ」
 頭をかきながら、ミハエルは息を吐く。身体を起こしベッドから降りて、引き出しを開けて、小さな箱を片手に戻ってくる。
 なんだろう?とそわそわしているアルトの目の前に、シンプルにラッピングされた箱が差し出された。
「本当は、夜景の綺麗なとことかで、渡したかったんだけど」
「開けていいのか?」
 いいよ、とミハエルはベッドに腰掛けながら促してやる。無邪気な顔は、心を満たしてくれた。
 そうしてアルトが目にしたものは、
「ペンダント……?」
「つきなみだけど、ま、ペアな。ほら、ふたつに分かれてるだろ」
 シルバーのスクエアが、ふたつに分かれる。一目で、対になっていると分かるものだ。
 ミハエルは、貸して、とその内のひとつを持ち上げる。ホックを外して、アルトの首の後ろで止めた。
「首にかけてりゃ無くさねーし、バレないだろ」
 指輪にしようかとも思ったんだけど、とミハエルは意地悪そうに笑う。
 他人にバレてからかわれるのが嫌だというアルトの気持ちはよく分かるし、ミハエルだっておかしなことになって別れたりはしたくない。
 だけどときどき、こうしてイジメたくなってしまう。
「受け取ってくれるだろ、アルト」
 鎖骨の少し下を陣取ったシルバーを指で撫で、アルトは幸福そうに口許を緩めた。
「嬉しい、ミシェル…」
 喜んでくれてよかった、とミハエルはホッとする。これでさえ恥ずかしがってつけてくれなかったらどうしようかと思っていたけれど。
「ミシェル、お前にもつけてやる」
「え?」
「だって、ペアでつけるもんなんだろ、これ?」
 箱の中にひとつ残ったペンダントを手に取り、アルトは腕を広げ、ミハエルの首に回す。
 ゆっくりとホックを止め、胸元に収まった銀色を、満足そうに眺めた。まるでそこにあるのが当然とでもいうような自然な色に、吸い寄せられるように口唇を寄せる。
「アルト…」
「なあミシェル、抱けよ」
「もう少し可愛らしく誘えねーの? お姫様」
「なんだよ、充分可愛いだろうが。あと、姫じゃねーから」
「はいはい、ずっと抱いててあげるよ。俺のアルト」
 アルトはミハエルのその言葉に、満足そうに微笑む。
 腰を抱いて、抱かれて、二人でベッドに沈んでく。
 身体の上で重なったシルバーが、カチリと音を立てた。