Voice

2009/12/29


 ミハエルは、自分の腕を枕に眠る恋人をじいっと眺めた。
 何人かの女性と関係は持ったけれど、こんなに可愛くて綺麗で、見ていて飽きないひともいないよなあと、心の中でひとりごちながら。
 時計を見れば起きるにはまだ早い時間で、もう一眠りするか、このまま恋人の顔を眺めていようか考えて、ふとしたいたずら心が生まれる。
 無造作に放られた携帯電話が見える。自分の物でないということは、あれは間違いなく、恋人である早乙女アルトの物。携帯のタイプは自分の物と同じ、カラーもお揃い。
「一応アラームはセットしてるのか」
 最近は、ハードなS.M.Sの訓練とミハエルとの甘ぁい時間があるせいで、滅多にアラーム通りに起きられてはいないようなのだが。そう、その度にミハエルは登校の支度を中断して、キスで起こしてあげるのだ。眠り姫を起こす、王子のように。
「ん……」
 携帯電話を操作するミハエルの仕種がアルトの覚醒を促してしまったのか、もそりと肩が動く。それに気づいて、まだ寝てて大丈夫だよと髪を撫でてやると、んーと甘えて身体をすり寄せてくる。
 可愛い、と額にキスを落として、ミハエルはまた携帯電話の操作に戻った。
「さて、これで起きられるだろ」
 なんて優しい恋人なんだと自賛して、ミハエルも浅い眠りにつくためにアルトをそっと抱きしめる。
 なんだかもう、このひとを抱きしめていないと、安心して寝られない状態にでもなっているかのように、腕になじむ、恋人の身体。
「愛してるよお姫様」
 寝入りに小さく呟いて、ゆっくりと目を閉じた。





 ヴーヴーと何かが震える気配がして、アルトは覚醒する。携帯電話のアラームだと認識する前に、耳に飛び込んできた音に、首を傾げた。
『おはよう子猫ちゃん。早く起きないと、いたずらするぞ?』
 バイブレーションとともに繰り返される、聞き覚えのある声。どれだけか機械的な音にはなっているものの、これは。
 アルトはガバッと起き上がり、その声の発信源を確認して頭を抱えた。
 自分の携帯電話から、なんでこの声が聞こえてくるのだ。しかも、こんなことを!
 ピッとディスプレイの停止ボタンを押して、隣で肩を震わせながら笑っている恋人を見下ろす。
「ミシェルお前なあっ、勝手にアラーム変えてんじゃねーよ!」
「いやあ、おはよう子猫ちゃん。ご機嫌麗しく?」
「最悪だバーカ!」
 いつも通りデフォルト設定のメロディで起きようと思っていたのに、とアルトはあからさまに眉を寄せた。
「でも起きられたじゃないか。いつもは三度ほど鳴らないと起きないだろう?」
 ベッドの上に頬杖をついて、ミハエルは八つ当たりに放られたアルトの携帯電話を手に取り直し、今度また違うボイスを録って変えておいてやろうと、口の端を上げた。
「だいたい、なんだよ子猫ちゃんて。俺はお前のペットじゃねえんだぞっ」
「気に入らなかったのかい子猫ちゃん?」
「気に入るかっ」
 疲れてんだから朝っぱらからさらに疲れるようなこと言うな、とアルトは枕にぽすんと突っ伏す。
 こんなアルトの態度にはもう慣れているけれど、もう少しくらい昨夜の余韻があってもバチは当たらないと思うんだけどなあと口を尖らせた。
「じゃあ、訂正」
「ん?」
「おはよう、アルト。愛してるよ」
 ぐいっと抱き寄せて、とびっきりのスマイルとボイスで囁いてやる。案の定、ボッと顔を赤らめたアルトが、じたばたとミハエルの腕から逃げ出した。
「あれ。なんでこれもヤなのーアルトー。俺いっつも言ってると思うんだけど」
「ばばばばば、バカお前、そんなん素面で聞いてられるかぁっ」
 囁かれた耳を押さえ、もうお前こっちくんなとベッドの端に身を寄せてしまうアルト。それが面白くなかったのか、ミハエルはアルトの携帯電話の録音機能を作動させてしまった。
「おはようアルト、今日も愛してるぜ」
「うわああああお前なにやってんだこのやろう! 消せよ!」
「だぁめ、アルトはこれを毎日アラームにするように。これは上官命令だ」
 これ以上好きにさせてたまるか、と携帯電話を奪おうとするアルトだが、ミハエルのリーチに届かない。朝から元気だなあと、ミハエルはわざと、少しも痛くないアルトのパンチを受けてみる。
「こんなこ時に権限発動させんなよっ、返せ、もう!」
「おっと、いたた、イタイって、ほら返すから」
 ひとしきり、可愛らしいアルトを見られて満足したのか、ミハエルはお揃いの携帯電話をアルトに返す。
「ったくもう……、バカかお前は…。こ、こんなことしなくたってな、いつだって聞けるじゃねえか……」
「え……」
 ミハエルに好きにされてしまった携帯電話を労わるように撫でて、アルトはぼそりと呟く。ため息混じりのそれに、ミハエルは手のひらに乗せていた頭を上げた。
「アルト、今の」
「え、あっ……」
 しまった、とアルトは口を押さえる。今さらながらに自分の口走った言葉の意味を理解したらしく、見る見るうちに頬が真っ赤に染まっていった。
「なあアルト、今のって、いつだって、毎朝だって直接聞けるじゃないかって意味だよな?」
「ち、違う違う、そんなこと言ってねえっ」
「違わないだろ。だって俺は、いつだってどんな時だって、アルトを愛してるんだからな」
 ほらこっちおいで、と今にも落ちそうな位置にまで逃げてしまった子猫を、ミハエルはぐいと抱き寄せる。
「バカ、離せってば、ミシェル」
「嫌だね。アルトが素直になってくれれば、俺も考えてやるけど?」
 口の端が嫌味なまでに上がるのを見て、アルトは片眉を下げる。こうなってしまったら、この男はアルトが何も言うまでてこでも動きはしないのだ。
 まったくなんて男を好きになってしまったんだろう。
「お、俺は……」
「ん、なに、アルト?」
 ミハエルは鼻先をすり寄せて、愛情の意を表す。言い終わるまでくらいじっとしていられないのか、と思ったが、そんな鼻先の体温でさえ嬉しいと感じてしまうアルトには、何もできやしないだろう。
「俺は……お前の」
 アルトは両手を伸ばし、ミハエルの頬をそっと撫でるように包み込む。指の腹でツ…とラインをなぞれば、昨夜の熱が蘇ってきそうだった。
「お前の声、……好きだ」
 心の底からの、本音だった。
 こんな声で耳元に囁かれたら、どうやったって陥落してしまうんだろうなと、片想いだった時から考えていたのだ。
 そしてそれは実際違わず、おはようやおやすみという言葉でさえ、アルトは身体から力が抜けていってしまう感覚を味わっている。
「……こら、ミシェル」
「なに」
「なに、じゃない、なんだこの手はっ!」
 抱きしめた腰のあたりをもぞもぞと動く、朝っぱらからいけない手。アルトは両手で包んだ頬をペチンと叩き、盛るなと腕をつねった。
「痛いなーもう」
「お前が悪いんだろ。俺はちゃんと、素直に言った」
 だから離せとアルトは言うが、ミハエルは面白そうに笑って、アルトの頬に口唇を寄せる。
「考えるとは言ったけど、離すとは言ってないからなあ」
「なんだよそれ! こら、ミシェ……」
 愛してると囁く口唇に、アルトの声が持っていかれる。結局はいつも、こうなってしまうんだ、と思いながらも、力ずくで逃れようとは思っていない。
 仕方ないなあとアルトは目蓋を閉じて、ミハエルの首に腕を回した。